【Chapter1】
その喫茶店に通うようになったのは昨年の夏からだ。
まだ暑かったあの頃、
私のオーダーはアイスコーヒー一択。
常にブラック。ガムシロもミルクもいらない。
がぶ飲みするのでストローも不要。
何日か通っていると、ベテランらしき店員が私のオーダーを覚えた。
店に入って、その店員と目が合えば、
何も言わなくてもアイスコーヒーが出てくるようになった。
それでもしばらくはアイスコーヒーのグラスに
ガムシロとミルクとストローが添えられていたが、
やがてアイスコーヒーのグラスだけが差し出されるようになった。
寡黙な客と寡黙な店員。
私と彼女の間で完全な信頼関係が構築された瞬間だった。
【Chapter2】
この喫茶店には常時店員が3~4名いて、
彼女は他の店員を取り仕切っていた。
店のどこにいても、入店してくる客への注意を怠らない。
私が席につくと、すかさず若手に指示を出す。
「3番さん、アイスね」
若手がトレーにアイスコーヒーを載せて私の席に向かおうとすると、
軽く手で制して、トレーをチェックする。
ガムシロとミルクとストローを取り上げ、
「これはいらないのよ」とささやく。
こうして私のテーブルにアイスコーヒーのグラスだけがさし出される。
店に入ってから私は一言も発していない。
【Chapter3】
秋になって肌寒くなってきても、
相変わらず私はアイスコーヒーを飲み続けた。
他の店員もベテラン店員である彼女の指示を待たずに、
確信を持って、アイスコーヒーを出し続けた。
しかしやがて12月になり、
コートをはおり、
マフラーを首に巻くようになり、
さすがに今日からはホットだろう。
私はその日、店に入るなり目についた店員に告げた。
「今日はホットで・・・」
すると脇でそれを見ていた彼女が厨房に向けて声を上げた。
「ごめん!今日はホット!」
「え?!ホットですか」
「今日ホットだって!」
厨房がにわかにざわついた。
私がアイスを注文しないことがそんなに一大事なのか。
その後、しばらくの間、彼女自らオーダーを確認してくるようになった。
「今日はホットでいい?」
しかしそのトレーにはすでにホットコーヒーが載せられているのだ。
【Chapter4】
私のオーダーは完全にアイスからホットに切り替わった。
何も言わなくてもホットコーヒーが差し出されるようになった。
しかしその日、彼女は私に近寄ってきて
「今日はどっち?」と聞いてきた。
私は一瞬考えてから「今日はアイス」と答えた。
彼女はニヤリと微笑んで厨房に指示を出した。
なぜ、ここ連日何も聞かずにホットコーヒーを差し出してきていたのに、
今日に限ってオーダーを確認してきたのだろう。
なぜ私がアイスコーヒーを注文する可能性を察知できたのだろう。
アイスコーヒーを飲みながら考えた。
そして分かった。
その日、私はマフラーをしていなかったのだ。
【Chapter5】
寡黙な客に寡黙に接してくれるこの店との付き合いは今でも毎朝続いている。
席につけば、何も言わなくてもホットコーヒーが差し出される。
やがて雪が溶け、春の花が咲く頃、
私のオーダーはアイスコーヒーに切り替わるだろう。
そのタイミングを彼女がどう読み切るのか。
楽しみではある。
「ホ、ホットお待たせいたしましたぁ~」
新人らしい店員が目の前に立っていた。
するとその背後から彼女が寄ってきて、
テーブルに出されたスティックシュガーとミルクを取り上げた。
「(このお客様には)これはいらないのよ」
私はコーヒースプーンをつまみ上げて「これも結構です」ニヤリと笑った。
すると彼女は(しまった)という表情をして、そして微笑んだ。