飯田線全駅間歩き2(中部天竜-天竜峡) その4・小和田駅アスレチックコース | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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その3からの続き

私が川村カ子ト氏の名前を初めて聞いたのは、10年ほど前のことでした。

当時、アイヌ文化に傾倒していた私は、
旭川にある「川村カ子トアイヌ記念館」を見に行きました。
館内には川村氏が収集したアイヌの生活用品が展示されていて、
アイヌの伝統住居であるチセも見学することができました。

そのなかに、明らかに毛色の違うコーナーがありました。
駅名標をはじめとする鉄道用品…それも北海道ではなく、飯田線のものでした。
川村氏は、飯田線の前身である三信鉄道の測量を行ったことでも知られています。
急峻な地形に鉄道を引くために、山岳地での測量に長けた川村氏に白羽の矢が立ったわけです。

大嵐から先は、川村氏が線路を引いた区間を歩きます。
厳しい地形に鉄路を通した先人達の功績と苦労に触れることができればと思います。



-大嵐(13:40発)-西山林道分岐点(15:12着・15:30発)高瀬橋-小和田(18:05着)


 
大嵐(おおぞれ)駅に着きました。
無人駅ですが、「みんなの休む処」という待合室が設置されています。

大嵐駅は静岡県浜松市にありますが、
この待合室を造ったのは、対岸の愛知県富山村(現・豊根村)なんだそうです。
町どころか県まで跨いでいるので、完成までには結構すったもんだがあったそうで。
富山村にとって大嵐駅は玄関口、玄関口といえば東京駅ということから、
東京駅をイメージしたデザインになっているそうです。

待合室はとっても快適なんですが、
欲をいえば、自動販売機が欲しかった…。




トンネルとトンネルの間に大嵐駅のホームが設けられています。

 

 

 


駅横の駐車場には車が何台か止まっていますが、
パークアンドライドしている利用者でもいるのでしょうか。


ここで昼食タイムです。
疲れ具合は想定の範囲です。
ところが、携帯を取り出してみると、真っ青になるようなトラブルが発生していました。
ちょっと前に某女医さんが「やられた」と騒いでいたアレが起こっていたのです。

言葉だけだとピンと来ないかもしれないけど、
勝手にLINEされてたり、電話かけられてたりするほど怖いことはありませんよ!
小和田の山奥歩いていて友人から「今の電話、何だったの?」って聞かれるんですよ。
心に余裕があれば「今どこにいると思う?小和田だよ~。」って会話続けるところなんだけど、
(もちろん体力的にも)そんな余裕などまったくありませんでした。


トラブルに対処しているうちに出発予定時刻を過ぎてしまい、
気持ちの整理もつかないまま、慌ただしく駅を出発することになりました。
このときは、まだトラブルの原因がハッキリ分かりませんでした。
結局、東京帰着後に携帯を初期化するハメになりました。




次の駅は、秘境駅として名高い小和田駅です。

小和田駅へ向かうためには、天竜川林道との交点まで戻らなければなりません。
さらっと言ってしまいましたが、大嵐駅から天竜川林道に戻るには7km以上歩くことになります。
行きに歩いた道と同じ道を7km戻るというのは苦行以外の何物でもありません。

大嵐駅でのトラブルは、精神的なダメージにとどまりませんでした。
朝登った大津峠の比にならないくらい、急速に体力を消耗していきました。


それでも上り坂をあえぎあえぎ進む中で、
行きは見つけられなかった飯田線の鉄橋を見つけることができました。




大嵐駅から1時間ほど歩いたところに一軒の木造家屋がありました。
今は誰も住んでいなそうな雰囲気です。

大嵐駅に向かうとき、この家の前に一台の車が止まっていました。
玄関先には、80代くらいのおばあさんが座り込んでいました。
軽く挨拶するだけで通り過ぎてしまったのですが、
もしかすると、座っていたおばあさんがこの家の住民だったのかもしれません。




たっぷり1時間半歩いて、天竜川林道との交点まで戻ってきました。
大嵐駅の標高が約280メートルで、ここの標高が約700メートルですから、
ここでも軽く山登りしているような感じです。

これより高低差のある大津峠の登りは大して疲れなかったのに、
今回の登りは酷くつかれてしまいました。


…死ぬかと思った。



ここからは、天竜川林道を北へ向かいます。 
緩やかなアップダウンを繰り返しつつ、小さな集落を通過します。

1時間ほど歩いたところで、天竜川の谷底を見渡せる場所にさしかかりました。
この谷底に、これから目指す小和田駅があります。




小和田駅への玄関口として知られる塩沢集落が見えてきました。
塩沢集落は、山の斜面に張り付く小集落です。



 
塩沢集落の中に、谷底へ続く小道がありました。
この道こそが、小和田駅にアプローチする歩道です。
最近は「天界」から小和田駅にアプローチする人も増えたのか、
「下り 小和田駅へ」という小さな看板が2つ立てられています。
(カメラのヒモが写ってしまい、申し訳ない!!)




小道は人ひとりが歩ける程度の道幅ですが、一応舗装がなされています。
急な下り坂を5分ほど進むと、物置のような小屋が見えてきました。
外に伸びるつっかえ棒を外したら、すぐに倒れてしまいそうです。

小屋の中は垂れ流し式のトイレになってますが、
こんなところで用を足す勇気はちょっとありませんね(笑)。
そもそも扉が無いから、屋外でするのと大して変わらないというオチも…。



 
急な下り坂はまだ続きます。
写真見るだけでも足が笑ってしまいそうです。

…明日の朝は、この道を登るんだよな。わなわな。


途中、高瀬橋に向かう道と勘違いして、
倒木いっぱいの廃道に足を踏み入れてしまいました。
気がつくのが遅れて、復帰するまで10分以上かかってしまいました。

さらに坂道を下ると、沢を渡る吊り橋にさしかかりました。
見かけ通り、この吊り橋は結構揺れますよ~。




道なりに進むと、道がこんなことになっていました。
重い荷物を背負って、この上を歩けというんですか?????

…どうぞご安心を。
来た道を振り返ってみると、沢を経由する迂回ルートが用意されていました。
今の体力では、沢へ上り下りする10メートル程度の高低差もなかなかハードですが。

 
迂回を終え、本来のルートに復帰すると、
小和田エリア唯一の民家が見えてきました。
このまままっすぐ進めば15分ほどで駅に着きますが、
ここまで来たのだから、「渡れない橋」として知られる高瀬橋も見に行きたいと思います。




さっき迷い込んだ道と同じくらい荒れた道を5分あまり歩いて、高瀬橋に着きました。

高瀬橋は、県境の川を渡る吊り橋でした。
立派な橋塔とケーブルは健在ですが、床板は無残なまでに崩れ落ちています。
橋塔近くの床板が無くなっているにもかかわらず、橋中央付近に床板が残っているところを見ると、
無謀な冒険者を寄せ付けないために、床板をわざと落としたとする話も納得できます。

ところが、手持ちの最新版2万5千分の1地形図「三河大谷」(H26.11発行)など、
地形図や一部の市販地図では高瀬橋が健在であるかのように描かれています。
ここまで「渡れない橋」として知られているのに、どうして改訂しないんだろうと思っていたら、
「地理院地図」(国土地理院HP内)では、高瀬橋が消されていました。
この前崩落した、中部天竜の原田橋もきちんと削除され、
ご丁寧にも仮設道路が国道としてしっかり描かれていました。
国土地理院もちゃんと仕事しているなぁと思って見ていたのですが、
小和田駅周辺(静岡県側)の点線道は未処理のまま…。うーん。


この橋が健在であれば、次の中井侍駅までの駅間歩きはどんなに楽だったことか…。
秘境駅ブームで、小和田駅も中井侍駅も訪れる人が多くなった今、
この橋を復旧して、遊歩道として整備することはできないんでしょうかね。

…やっぱり、その程度の動機じゃ「採算」に合わないんでしょうか。




いよいよ小和田駅へ向かいます。
さっき上から見下ろした景色が、今目の前に広がっています。




小和田駅に着きました。
秘境にたたずむ木造駅舎が、疲労困憊の私を出迎えてくれました。




秘境の地に植えられたツツジは満開を迎えていました。
近くで3県の境界が交わることから、ホームには「三県境界駅」という看板も立っていました。



今日は、この小和田駅で駅寝します。
最近はキャンプ場のバンガローを借りることが多く、
考えてみれば、駅寝は石北線の金華駅以来5年ぶりです。
ここに来るとき、外で食事している集団がいたけど、彼らも駅寝組なんだろうか。

駅事務所の横に蛇口があったので、淡い期待をしてみたのですが、見事玉砕。
まぁ、それは想定の範囲内ですけどね。


19時になると、周囲はすっかり暗くなりました。
外で食事していた集団は19時台の列車で帰ってしまいました。
一方、予想に反して、駅寝目的の旅行者はいつまで待っても来ませんでした。
GWのまっただ中だから、同じこと考える人が来ると思ったんだけどなぁ。



 
食事を終えた頃、特急列車が通過しました。
時刻はすでに20時を回っていました。


小和田駅が無人駅となってから、すでに何十年という時が経過していますが、
券売窓口や小荷物窓口は有人駅時代のままでした。
待合室の中は、時計の針が止まっているようでした。




豆ができはじめた足を引きずって、夜のホームに出てみました。
ホームの灯りに照らされたツツジは、昼間よりも美しく見えました。


21時30分、今日最後の列車が小和田駅を後にしました。
どうやら今日の「宿泊客」は自分一人だけのようです。

明日の出発は早いので、そろそろ寝る支度を始めたいと思います。
長いすの上で寝ようかと思ったのですが、
せっかく銀マットも用意しているので、床に新聞紙と銀マットを敷くことにしました。
久しぶりに駅ノートにも書き込みして、22時過ぎには床につきました。


明日は雨の予報。
果たしてどんな展開になるのでしょうか。

その5へ続く


5月3日(日)  歩行区間:水窪-小和田  天気:晴れ  日出/4:55 日没/18:37
鉄道距離:9.5km  歩行距離:37.6km  総歩数:58,987歩  所要時間:9時間50分

平岡(7:34発)=2524M=水窪(8:02着・8:15発)-8.9km-大津峠(10:07着・10:25発)-11.1km-
-大嵐(12:36着・13:40発)-7.3km-天竜川林道交点(15:12着・15:30発)-10.4km-小和田(18:05着)



大嵐駅から小和田駅までのGPSログです(1/54,000)。
鉄道距離的にはたいした距離ではない両駅間ですが、
鉄道以外でアプローチしようと思うと恐ろしく大回りを強いられます。
実は、水窪から大嵐駅に向かうのも、大嵐を経由せず直接小和田駅に向かうのも、
距離の上ではそれほど大差ありません。


 
1日目、2日目のGPS標高データです。
22~23km地点から先が2日目、それより手前が1日目です。
標高の「盛り上がり」は、左から八丁坂峠、大津峠、天竜川林道への行き来です。
2日目に登った右2つのアップダウンに比べると、
1日目の峠越えがとてもかわいく見えてしまいます。