今、話題のひとつとなっております、映画 「ブラック・スワン」
ようやっと、
観に行くことができましたよ~
皮肉なことに
カヌレ自身、
来月、舞台で黒鳥を踊りますもので・・・
さすがに今現在は、超~仕上げ段階
この時期ですと、
自分の解釈での黒鳥を仕上げたいため、
ほかのダンサーが踊っている黒鳥の映像すら、
目に入れることは、控えるようにしております。
自分が作り上げたい役柄と、
多少なりとも、狂いが生じてきますからね
アッ
決して!黒鳥だから、ではなく、
長くなっております、カヌレのバレエ人生。
どの役柄、どの舞台に対しましても、こうして詰めてきております
で、ございまして・・・
この映画を、
自分の舞台前に、観に行ってもいいものだろうか
公開前、一応、頭には浮かんだのですが・・・
映画の1本や2本!
良くも悪くも、なにかしらの影響を受けているようでは・・・
黒鳥なんてパワーを必要とする演目、
元々、演じ切ることは不可能でございますからね
作品の入れ替わりが激しい、映画業界なことですし・・・
結局!
観に行くことにいたしましたよ
ストーリーに繋がってしまうかもしれませんで
これから観に行かれる予定の方は、
ぜひとも、すっ飛ばしちゃってくださいな!
ザックリ、
こんな感じに描いた作品だろう!とは予想して、観に行きましたけれども・・・
やはり、衝撃というものはありませんでしたね
言い換えますと
ダンサーが陥いる闇、
数々の心理状態や、数々の症状の序の口が!
むしろ的確に、描かれていたからではないでしょうか
30年間どっぷりと浸かってきました、バレエの世界。
日常!のひとことに尽きますので、
とても、受け入れ易かったです
けれども・・・
多くの方たちが鑑賞するものですので、
かなりソフトに描かれているな!とは、思いましたけれどもね
やはり
実際のダンサーが、
日々日常、自分自身に課していること。
役への不安、
舞台に立つことへのプレッシャー。
自分が置かれているポジションへの恐怖。
形は変われど、母親との確執。
どんなケースでも、
ほぼついてまわる、裏の世界。
自分の体を、
常に、ベストな状態に管理しておかなければならないことへの恐怖。
綴り切れないけれども・・・まだまだ、山ほどの恐怖。
山のような恐怖に包まれながら日常を送り、
年月が経てば経つほど、自ずと正気と狂気の境目がわからなくなる・・・
正気と狂気の狭間を行き来してるうち!
自ずと、人格も破壊してくる
人格が破壊してきたら、
自傷行為をいうものは、自然と避けられなくなってくるわけで
気が付いたときには、
人間としての生活自体が、既に成り立たなくなっている
それらの全てが
現実の世界では、
映画で描かれていたような、可愛らしい範囲では、収まらないですよぅ
けれども、
狂気の出方の方向性は、ほぼ的確に描かれていたな!と
まあ~、これも
より多くの方にわかりやすく、
観てみたい!と興味をそそられるよう、ストーリーとなっていたのでしょうが
ストーリーの根底が、
白鳥と黒鳥を演じ分けるのに苦しむ!ですからね
期間限定
この、「白鳥の湖」の舞台さえ乗り切れば、
これらの恐怖から開放されることとなってしまいますが
たったひとつの舞台など、実際のダンサーにとっては、
バレエ人生に於いての一瞬にしかすぎないわけですからね
この舞台が終わったら、次の舞台が待ち伏せしている。
舞台が終われど、
バレエに自体に対して課していることは、なにも変わらないわけでして・・・
この恐怖はエンドレス!
ヘタしたら自分の一生に付き纏っているのが、本物の現状だからこそ
実際のダンサーが陥る狂気の振れ幅も、
自然と大きいものになってしまっているのでしょう
偉大なる舞台芸術、クラシックバレエ。
尊敬して止まない、クラシックバレエ。
それに闇と言える部分があるとするならば
カヌレとしましては、
また、少し違うところにあるのですよ
映画の中の猟奇的な出来事は、
所詮、
通過地点の、ひとつひとつの症状にしか、過ぎないわけですからね
これほどまでの犠牲を払い、
自らをも蝕んでいることは、当然のこと
自分のみでは収まり切らず、
両親、姉妹、自分の周りの大切な人たち・・・
そんな大切な人たちの人生をも、
踏み躙っていることに、きちんと気が付いておきながら・・・
それでも決して!
辞めること、自ら離れることは、できない
この先、
更になにか、犠牲として提出しなくてはならないときが来たとしても・・・
自分の人生に、
なにか引き換えに与えくれるとなったとしても・・・
辞めない、辞められない
執着
それこそがバレエの魔力であり、
それを上回るほどの、バレエの魅力だと思っております
少々話題となっておりました、
実際、ナタリーが踊っているかどうか?は、ですね・・・
アッ!
カヌレも、どちらでもいい派でございます
むしろ
バレエに限ったことでなく、
専門の経験や技術を必要とするものが、背景とあるならば・・・
俳優さんや女優さんが、努力するところではなくて
正々堂々、
ちゃっちゃとダンサー使って、現代の技術で修正して
俳優さんや女優さんにしかできない、
それはそれの専門で、ベストを魅せていただきたい!と思うのですよね
だって~。
少しでもリアリティー追求するのなら、
どうやったって、それは無理ってものでしょう??
ミッチリ踊っている場面自体、
ほどんど見受けられませんでしたが・・・
顔が映っている場面での、
顔のライン、首のライン、背中のライン、なによりアームスのラインは・・・
観ているのに苦しかったです
せっかく、このマニアックな、
ダンサーの心の闇を描くことに目を付けたのなら
世間に馴染みの薄いバレエだからこそ!
映画として、
より多くの方に観てもらえるチャンスを見逃さず
美しい芸術として、
人々の記憶に残るものに、持っていってほしかった~。
踊っている場面はですね・・・
1人で踊っている二ナは、左利きのダンサー。
サポートを必要として、
男性と踊っている二ナは、右利きのダンサー。
ありゃりゃ
摩訶不思議なことが起こっちゃっておりますね
おそらく、ナタリーが左利きなのでしょう?
なので、基本左利きに合わせたのでしょうが、
左利きの女性ダンサー自体、そうそう存在しないですからね
映画 「ブラック・スワン」を観てまいりまして・・・
まずは、
その着眼点に拍手
最も深く、心に残りましたことは・・・
以前にも、
ちょこっと綴らせていただいたことがあるのですけれどもね
なんでもないときに、
カヌレママが、ボソッとつぶやく言葉
親として強制力があるうちに、
どんな手を使ってでも、その後、一生恨まれることになったとしても・・・
バレエを辞めさせることができなかった、
お父さんとお母さんを許してね・・・。
全てが含まれております、この言葉と共に!
一生、バレエと歩んでいこうと思っております ( HPより、お写真お借りしました )