今回意見聴取会には会場の入場者数も制限があるという触れ込みで、事前に申し込みと抽選が必要であった。
この申し込みにも住所氏名と当日も本人確認の身分証明書の掲示が必要という徹底ぶりであった。これでは政府なるものに文句のひとつでもいおうとすることをヤブサカとしない、マツロワヌ民ケシカラン連中を一網打尽にできるチャンスであっって。今回の参加者の名簿は経産省から公安に渡され、今ごろ精査していることだろう。プレスも撮影もフリーとあって、最新の高解像度カメラをかかえたカメラマンのだれが商売のプレスで誰が情報機関のカメラかわかったものではない。姿も最新の映像が抑えられているわけだから、防犯カメラなるものがある場所ではいつどこでもその動きを監視できる。こわーいですね。メールアドレスも何もかも抑えられているから、イツ、ドコデ、ダレトあって、どういう連絡を交わしているか。すかりつつぬけになってしまった。
そのリスクは最初からみんなわかっていたことだから、そのリスクを負っても会場に入りきれないほどの人びとが集まったということは。人びとの決然とした意思表示は重いものだろう。そういう人びとがまだ大勢いるのだということを知ったこともひとつの成果だった。中高年の男性がおおかったのもひとつ意外な事実だった。この年代は職場の人間関係や大人のしがらみがあり、なかなかこういったリスクを犯せないものである。リスクがあるということその怖さというのも、もっとも十分い知り尽くした人びとのはずである。その人たちがあえてリスクをおかして意思表示をしている。もっとも参加するだけなら逆の意思表示、政府経産省へ忠誠心を示すのにも絶好の機会であるので、明らかにそうと思われるという人もいたが。
福山克也