イジメや差別はいやなものだし、日本型イジメのタイプがあるとおもえる | 社会の窓

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イジメや差別はいやなものだし、日本型イジメのタイプがあるとおもえる

 いじめとか差別は本当にいやなものである。と僕はおもうのだが。

 日本には、日本型のイジメというか、集団内での少数派や弱者を大勢で苛め抜くというタイプのイジメが多いようにおもえる。タイなどでは、出る杭はうたれる型の一人だけ得をしたり儲けたりすると、嫉妬を受けて攻撃されるという身の危険がある。集団ないでのリーダーの権限と利権も大きい分、リーダーには気前よさが求められるようにみてとてる。タイ語の反対語辞典でも、優しいの反対語はケチである。リーダーの資質には、賢さや力強さよりまずやさしさが求められる。タイでは最高の権威である国王のイメージにも、やさしさが強調されているようにみえる。スリランカは多数派工作などが日本の社会に近いところがあるように思える。成功者への嫉妬と報復は激しいように思える。一見スル・ランカ人はやる気のない怠け者ばかりのように見えるが、外に出たら急にがんばる人もいる。地元で妙にがんばって自分だけ儲けたりするところをみせると身の危険があるからではないか。と思っている。だからスリ・ランカ人は海外志向が強いように見えるのではないかとおもっている。本国内では温厚だが、怠け者ばかりのように見えるのだが、本国外で会うスリランカ人はバイタリティーにあふれ雄弁を振るう努力家、やり手タイプによく出会う。もしかしたら、本国の国力はぱっとしないのに、国際社会でがんばる人が多い、パキスタン人とかにも似たような傾向があるのかあと想像しているが。これらの国々の人びとの生の姿を知る人にきいてみたいなあと常々思う。

 日本では、弱いものを大勢でいじめる。弱いものいじめという言葉もあるし。イジメとは弱いからやられるのだろうと、ほとんどの人がおもっているだろう。それからちょっと変という少数派もいじめの対象になる。これも数の上で弱い勢力だからだ。

 いじめられるほうにも原因があるという。指摘もあるし。多数派に順応しない協調性にかける性格であるとか、イジメに抵抗して跳ね返す強さがない。という原因がイジメを誘発するということである。

 学校での子供同士のイジメを跳ね返すのに、「僕は空手を習っているんだぞ!!」というだけでも効果がある。という指摘も聞いた。たぶん日本の学校という場所の中では正解だとおもう。武力示威による抑止力というものである。そういった立ち向かう力というものを学べるという一面では、いじめにあうということは決してマイナスばかりではない。武力ばかりでなく知力も鍛えて、理不尽状況を考え抜いて跳ね返していければいい。

 ただしこれができる人ばかりではない、たとえば障害をかかえる子供をもつ親などは、子供が差別されイジメられることを、その事前からすでに神経をすり減らして恐れている。

 また、個人のレベルでイジメや差別をはねかえしても、全体としてはイジメが減少するということにはすぐに結びつかないと思われる。日本の社会構造では、その集団形成の多数派嗜好から、常に多数派の優位と安定を維持するために、差別やイジメの対象を探し出してイジメを継続している。自身をイジメの対象とされないために、保身のためにしばしばイジメに参加する。

 ある特定のイジメの例を非難する声が、皮肉なことに新たなイジメを引き起こしている。これが多数派の流れになっていると、これに迎合することが自信の保身として必要なことになり。イジメを非難してイジメをしていてはよくないじゃないなどと指摘したら、自分が新たなイジメのターゲットにされてしまうことは目に見えている。このような、日本の絶ちがたい因習となっているイジメの連鎖を断ち切るのは容易なことではない。 

福山克也