オーム真理教の高橋氏は逃亡中も教祖の本を持ち歩いていたという、そして教祖である松本氏への敬愛の感 | 社会の窓

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オーム真理教の高橋氏は逃亡中も教祖の本を持ち歩いていたという、そして教祖である松本氏への敬愛の感情を語るらしい
 その話を聞いて、少しほっとした。世論ではこれを異常行動として忌避する反応が主流だが。その拒絶反応も良く判る。かれは日本という国家や国民に戦争を仕掛けたグループの一員なのだから。敵か味方かという二者一択では、明らかに敵の存在なのだろう。気持ち悪い、けしからん、という反応があるのもよくわかる。ぼくにもその感情はもちろんある。
 しかし、今日この頃、原子力発電にしろ、政治にしろ、明らかに理屈に合わない経過の、手のひらを返したような変わり身ばかりが幅を利かせているなかで、損得勘定から言えば明らかに不利になるとわかりきったことを、逮捕されるのだからこれから不利な証拠とされることはわかりきっているにもかかわらず、義理や恩義もしくは信仰のようなものだろうからかあえて口にして行動する。
 彼のことを口汚くののしる報道機関、たとえばこれまで脱原発など考えたこともなくむしろそういった団体や個人を弾圧し続けていて、急に自らの保身のために大衆に迎合し、大衆の耳に喜ぶことのみを追求して、脱原発をさけび原子力研究機関をこれまた口汚くののしるニュースキャスターや芸人よりは、高橋氏の言動は敵ではあっても高潔で美しいとさえ感じる。
 個人的には彼にはほとほと迷惑をこうむった。僕は名前が漢字も同じ克也なのと、身長がほぼ一緒で年齢も近く、特徴が一致する。そのためパスポートを見せるとしばしば別室に通されて質問された。
このようなことわざわざかくとおまえもオームか!詰問する人が出てくるとおもうが、それこそがこの国の大衆の最大の病理なのだろうなとかんじる。
大衆は大衆に迎合しようとこびてくる人を好むものだ。
大衆がこれから彼を糾弾しようと舌なめずりをして、許してください堪忍してくださいと侘びをいれてくることを待ち構えているとわかりきっているときに。裁判の行方しだいでは死刑になるかどうかというときに、死刑を回避するには不利になるとわかりきった言動をあえてできるものかどうか。
ゆえに敵としてのかれは、不気味だし強大でもある。逮捕されてより凄みを感じた。
法律や国家の権力で弾圧処刑したところで、この事件は終わらないのだろうと感じた。 
福山克也 2012、6