【前回までのおさらい】
■ PMに最も必要なのは、リーダーシップである。
■ PMを取り巻く環境は、非常に厳しい。
■ そのため、リーダーの育成が充分に出来ていない企業が多い。
今回からは、リーダーというものの定義と、必要なスキル経験について考えてみたいと思います。
【リーダーとは?】
語源から言うと、Leadする(先導する)人となります。
先導すると言うと、なんか強引にグイグイ引っ張るイメージがあるかも知れませんが、そういう人だけがリーダーに当てはまるワケではないと、僕は考えています。
僕が好きな三国志の人物に例えて、4人のリーダータイプを挙げてみます。
*分析は大いに主観が入ってますので、飽くまでリーダータイプ分けの観点でご覧ください
■ 関羽雲長
リーダータイプ: 「背中を見せて担がれる」
自ら先陣に立ち、多くの武功を立てつつ、部下にも慕われたリーダーです。
強きを挫き、弱きを助ける。
部下には優しいが、目上の人を侮る傾向があったとのこと。
言葉より態度や結果で人を導くタイプですね。
持ち上げられると、子供のように喜んだという逸話もあります。
最終的には、呉の呂蒙の「極端にへり下ることで関羽を油断させる策略」にハマり、命を落としました。
■ 張飛翼徳
リーダータイプ: 「背中を見せて人を担ぐ」
赤壁の戦いで、長板橋という橋の真ん中に1人で立ち、大喝一声、曹操軍5万の兵を退却させたという豪傑です。
桃園の誓いで義兄弟になった君主劉備のために、初陣の頃から自ら戦功を立てることで、劉備の名声を広める役割を担った中心人物の1人です。
関羽とは逆で、上司や高名な人にはへつらい、部下には厳しかったという話もあります。
関羽の弔い合戦の準備状況が遅れた部下を鞭打ちの刑に処し、恨みを買って寝首を掻かれ、あっけない最後を遂げました。
■ 劉備玄徳
リーダータイプ: 「言葉を操り担がれる」
貧しい家に生れながら、ルーツは漢の皇帝に連なる由緒ある家系の出身。
桃園の誓いで関羽、張飛の一騎当千の武将を得て、各地を転戦するも、一進一退。
ただ、人望が厚く、幾度となく領主や民から後継者に推されるも、御家騒動に巻き込まれ、不遇の半生を送っていました。
そんな劉備も、諸葛亮孔明との「水魚の交わり」を得て、遂には蜀の皇帝になりました。
関羽、張飛、諸葛亮始め、多くの優秀な人材に慕われましたが、自ら先陣で指揮を取る才能はそれほどありませんでした。
「この人のためなら」と慕われ続けた、三国志を代表するリーダーです。
しかし、最後は関羽の弔い合戦で私怨に囚われ、呉に大敗を喫し、白帝城で諸葛亮孔明に全てを託して逝きました。
■ 諸葛亮孔明
リーダータイプ: 「言葉を操り人を担ぐ」
千年に1人と言われた大軍師。
大望を抱きながらも仕えるべき君主を見出せず、荊州の外れの庵で晴耕雨読の日々を送っていました。
20歳以上も歳上の劉備の「三顧の礼」に応じ、世に出るや神出鬼没の戦術で戦況を立て直し、「蜀取り」を献策し、呉と同盟を結び、三国時代を実現させた戦略家です。
劉備の死の際に、「もし息子がバカなら君が国を治めてくれ」と言われるも、主従の道を守り通し暗愚な劉禅を担ぎ続け、10倍以上の国力を持つ魏へ戦いを挑み続けました。
意外にも義理人情に厚い人だったと、僕は分析してます。
しかし多勢に無勢で過労が祟り、五丈原で命を落とすも、生前に自分が死んだ際の退却方法を仕込んでおり、「死せる公明、生ける仲達を走らす」というエピソードを残しました。
さて、今回は三国志の話になってしまいました(笑)が、色んなリーダータイプがあって良いのです。
重要なのは、気負い過ぎず自分のタイプに合ったリーダーを目指すことではないでしょうか。
次回は、リーダーになるために必要な要素とスキル経験について、考えてみます。
本日も最後までお読み頂き、誠に有り難うございました!
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