問題は、「200字論述新研究63(問題23・24)」で確認してください。

解説は、「200字論述新研究64(問題23を考える➊)」をご覧ください。

解説は、「200字論述新研究65(問題23を考える➋)」をご覧ください。

 

問題23 解説

 

国風文化(10世紀~11世紀)

 

国風文化の時期になると、中国文化を吸収することだけで精一杯ではなくなり、そこに独自性を付加することができるようになる。

国風文化を代表するかな文字が漢字を簡略化したものであることからもわかるように、新しい文化は、中国文明の巨大な影響の上に育っていった

 

仏教面では、来世において極楽浄土へ往生することを願う浄土教の隆盛が国風化の具体例になる。

 

国風文化 仏教史の重要ポイント

 末法思想

釈迦の死後の時代を区分し、時代がくだって末法になると世の中が乱れると考える仏教的歴史観。

 

日本では1052年から末法の世に突入すると解釈され、それが律令体制の動揺やあいつぐ戦乱などの現実と結びついて説得力をもったため、当時の貴族たちは浄土への信仰を募らせることになった。

 

 浄土教の流行

民間への布教をおこない、「市聖」(いちのひじり)と呼ばれた空也『往生要集』(極楽と地獄の様子を描き、浄土にいたるための具体的な方法を示した書物)をまとめた源信、などが登場した。

 

 阿弥陀堂

11世紀になると末法思想の流行とともに人々の不安や無常観が一段と増大し、浄土への救済を願う場として貴族たちによる阿弥陀堂の建立が盛んになった。

 

具体的には法成寺(ほうじょうじ)藤原道長)・平等院鳳凰堂藤原頼通)などがあり、仏師定朝寄木造の技法を完成して仏像の大量需要に応えた

 

 寄木造

寄木造は、巨木を必要とせず木材確保が容易で分業も可能であり、さらに軽量で移動にも適していた。

 

問題23 解答

8世紀には仏教理論を研究する南都六宗が形成され、鎮護国家思想のもとで仏教は統治の手段として活用されると同時に国家の保護・統制をうけた。最澄・空海が天台宗・真言宗を開いた9世紀には密教が成立し、それは国家仏教であると同時に加持祈禱により現世利益を図ったため貴族に歓迎された。10世紀になると社会不安が増大する中で来世での救済を願う浄土教が隆盛し、貴族の心を捉えると同時に空也などにより民間布教も進展した。

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