*問題は、「200字論述新研究63(問題23・24)」で確認してください。
問題23 解説➊
ここでは、古代仏教の展開過程をまとめておくことにしたい。
■飛鳥文化(6世紀末~7世紀前半)■
倭の五王の時代にあたる5世紀には、日本と朝鮮半島との交流が活発になり、また朝鮮半島での高句麗・新羅・百済による戦乱から逃れるために多くの渡来人が来日し、さまざまな技術や文化が伝えられた。
こうしたなかで、6世紀になると、百済の聖明王が欽明天皇に仏像・経典を伝え、その受容をめぐって排仏派の大連物部尾輿と崇仏派の大臣蘇我稲目が対立した(崇仏論争)。
聖明王が仏教を伝えた年代については、538年説(戊午説、『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起』)と552年説(壬申説、『日本書紀』)があり、また、渡来人の一部では、それ以前から仏教が信仰されていた可能性が大きいと考えられている。
【飛鳥文化 仏教史の重要ポイント】
➊ 氏寺
蘇我氏の氏寺飛鳥寺(法興寺)、厩戸王(聖徳太子)の発願による斑鳩寺(いかるがでら)(法隆寺)など、豪族たちが競って氏寺を建立した。
➋ 仏像彫刻
飛鳥寺釈迦如来像・法隆寺金堂釈迦三尊像など、仏師鞍作鳥(止利仏師)らによる仏像彫刻が残された。
■白鳳文化(7世紀後半~8世紀初頭)■
白鳳文化は、律令国家の建設が進んでいく時期の文化になる。
その大きな特徴は次のとおり。
【白鳳文化 仏教史の重要ポイント】
➊ 中国文化の導入
新羅経由で中国(唐初期)文化が伝えられると同時に、遣隋使・遣唐使の派遣にみられるように、中国文化との直接的な接触をとおして成立した清新な仏教文化である。
たとえば、興福寺仏頭は大陸文化の影響をうけて従来よりも現実的な人体観察に基づく仏像になっている。
➋ 国家仏教化
国家仏教(国家の保護・統制下で国家を護る仏教)の確立をめざす動きが本格化し、大官大寺・薬師寺など官立の大寺院が建てられた。
*続きの解説は、「200字論述新研究58(問題21を考える➋)」をご覧ください。