(映画)歴史は女で作られる | Art and The City

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アートホリック(中毒)なcatnoelのつれづれ日記

「歴史は女で作られる」(原題:ローラ・モンテス)のデジタル・リマスター完全復元版を見てきました。イメージフォーラムで3週間のみの上映(~1/13)


http://www.eiganokuni.com/meisaku4-rekishi/

あらすじ(allcinema HPより):

浮揚するシネスコ画面の中に展開する錦絵。ルードヴィヒ公の想われ人だったことで知られる、19世紀末ヨーロッパ史を飾る、貴婦人にして踊り子ローラ・モンテスの生涯を大胆な回想形式でつづるM・オフュルスの野心作。サーカスの芸人に身をやつしたローラは彼女の半生を回顧するそのショウの主役だが、団長の立て板に水の口上に促された観客の不躾な質問にも答える。そして思い起こす作曲家リストとの秘めたる情事。苦渋に満ちた少女時代。彼女は母の愛人だった男爵と英国で結ばれるのだが、所詮田舎貴族の彼を捨て、パリに出てダンス修行をする。そして、数々の貴族、富豪と浮き名を流し、やがてババリアで運命の人と会うのである。一見すると、脈絡なく回想は現実のショウ場面と交錯し、その挿話の拾い方も散漫に思えるが、これが不思議と行間(というか画面外)に想像を働かせ、観る者の頭の中でドラマを紡ぐ。それが快い。そして、フェリーニ作品など比較にならないサーカスの美しい表現には圧倒される。映像自体が音楽となって鳴っているかのごとき錯覚を感じさせる詩的な描写で、“見せ物”に堕したローラの哀愁が際立つ。回想もいたって流麗であるがゆえに虚構性を生み、却って回想の主の真実に思いを至らせる。これはもう映画でなければ達し得ない表現領域の見本を示すかのような作品だ。オフュルス美学ここに極まれり--といった感じ。

ずっと見たかった作品なので、完全版を見ることができて感激もひとしお。この邦題のセンスの良さにはうなってしまうし、「椿姫」や「マノン・レスコー」といったクルティザンヌを題材にした物語ともオーバーラップして感慨深いものがあった。が、何といっても絢爛豪華な映像美学には茫然自失。去年見た「赤い靴」(これも復元版)といい、1950年頃の映画黄金期の作品を見ると、最近のCG映画がバカバカしくて見る気が起きなくなる...「フレンチ・カンカン」も凄かったな...

私が最初にローラ・モンテスの名を知ったのは、おそらく澁澤氏の「世界悪女物語」か何かでだったと思うが、恋愛スケールの大きさは単なる「悪女」と言うより「傾城」と呼ぶにふさわしい。古今東西の傾城史?の中では東のスターが楊貴妃なら西のスターと呼ぶに値すると思う。そう考えると日本の花魁、もとい日本史の悪女と呼ばれる存在は大したことないねえ...と残念気分?にもなったがそもそも男性視点の歴史観に呪縛されているからかもしれぬ。


国王の愛人から最後はサーカスの見世物と、境遇のアップダウンさがもの凄く、1ドルで観客たちに挨拶する姿は哀れさをさそう...というのが一般的な感想だろうけど、私は少し違った感じを受けた。もともと彼女はダンサーが出発点だったので、「ローラ・モンテス」というそれまでの自分を観客の前で「演じて見せる」のは実はそれほど苦痛ではなかったのではないかということ。そしてクルティザンヌの頂点のような彼女の人生自体が演技だったのではないかということ...

「赤い靴」のレルモントフだったルードヴィヒ一世役のアントン・ウオルブルックが素敵。マルティーヌ・キャロルは美しいがダンスは下手だった(苦笑)そしてこう言っては何だけど印象がデビ夫人と重なる...(爆)


ローラの生涯は「椿姫」や「マノン」と同様、とてもバレエ向きと思うんだが、ノイマイヤー先生がバレエ化してくれないものかしらねえ..