坂本龍馬を維新の英雄扱いしない。
龍馬の妻おりょうを、英雄を支えたとして讃美しない。
2人を「等身大」で描く。
龍馬に惚れながらも自立した魂が輝く「門井版おりょう」の物語。
幕末の京で仲居として働くおりょうは、
「世話のやける弟」のような男・坂本龍馬と出会う。
図らずも龍馬と結婚することになるが、
夫を呼び捨てにし、酒を浴びるほど飲み、
勝海舟にも食ってかかる。
「妻らしからぬ」振る舞いに、
龍馬の周囲からは離縁を迫られる始末だった。
しかし寺田屋事件で龍馬の命を救ったおりょうの名はとどろき、
二人は仲むつまじく薩摩から長崎へ向かう。
その旅は、ハネムーンなのか、戦場への門出なのか。
いつのまにか英雄になってしまった夫に、
自分は何をしてやれるだろう。どんな世話がやけるだろう・・・。
作者の門井慶喜さんは、こんなふうに龍馬のことを言い放つ。
龍馬という男は、筆まめといえば聞こえはいいが、経験を自分の胸にしまっておくことが絶対に出来ない。
要するに自慢話。現実生活の充実の宣伝。もし、龍馬が二十一世紀のこんにちに生まれていたら、スマホを片時も身から離さぬSNS中毒愛好者になっていたかもしれない。
龍馬を持ちあげない。
龍馬ファンが読んだら気を悪くするかもしれないが、
確かに、「歴史上の人物」ではない龍馬は、こんなふうだったかもしれないなと思わせられる。
歴史は、偶然の積み重ねであっても、後に必然の如く評価されると
それが一人歩きしてしまう。
坂本龍馬が、とても身近な存在に見える。
門井さんは、これまでにない視点で、小説を書く。
おりょうも、大酒飲みで、口達者な自立した女として描かれる。
龍馬に仕方なく惚れてしまっていく心の動き、
龍馬が維新の立役者になっていくことへの戸惑い、
龍馬の死を受け入れられない葛藤、
維新後、立ち行かぬ暮らし向き、
おりょうの翻弄される人生から「龍馬」が見えてくる。