日本を軽視してはいけないニダ | こりあうぉっちんぐ

こりあうぉっちんぐ

 嫌韓ではありません、笑韓です。観ているだけなら、これほど面白い人たちもありませんから。

2017/1/21 朝鮮日報

【コラム】韓国の歴史上、日本を軽視した時に何が起きたか

 

 

 

 

 

 日本について学び直す必要を感じたのは、10年ほど前に日本古代の中心地である奈良を訪れた時だった。それまで、日本の古代文化は韓半島(朝鮮半島)文化の複写版だと思っていた。実際には違った。古代の中心舞台に近づくにつれ、姿は変わった。直接貿易で中国の文化を猛然と吸収し、一方で朝鮮半島の痕跡は薄くなったのが見て取れた。首都を京都に移してから、日本は独自に発展を遂げた。奈良と京都を5-6回ずつ訪問し、近代の西洋人たちが日本に夢中になった理由が分かった。日本を軽視する先入観のせいで、自分だけがこの文化を無視していたにすぎなかった。

 

 (中略)

 

 朝鮮が日本の国力をおぼろげに理解したのは、苦難を経験した後だった。16世紀末の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)だ。「看羊録」は、戦乱の中で捕虜として日本へ連行され、後に朝鮮に戻った儒学者のカン・ハンが日本の実情を朝廷に伝えようと書いた報告書だ。「倭国の大きさを語るとき、わが国ほどではないとしていたが、そうではなかった。戦乱の時に倭人が朝鮮の土地台帳を全て持ち帰ったが、日本の半分にもならなかったという」

 

 (中略)

 

 

 

 それでも、朝鮮は変わらなかった。血の涙で書かれた「看羊録」と「懲ヒ録」は、朝廷の書架でほこりをかぶっていた。「懲ヒ録」は逆に日本に渡ってベストセラーとなった。朝鮮の将軍、李舜臣(イ・スンシン)の兵法を近代戦術で継承したのも日本だった。そのときにも警告した人々がいた。日本を自ら経験した使者たちがその中心だった。彼らは、日本が「武」はもちろん「文」においても朝鮮の先を行っていると訴えた。実学者も加勢した。丁若鏞(チョン・ヤクヨン)は「日本の学問がわれわれを凌駕するようになり、とても恥ずかしい」と語っている。国が滅びる100年ほど前のことだ。

 

 われわれの歴史において、日本を重視した知識人の末路は悲惨だった。朝鮮末期に日本の近代化を目の当たりにした若手エリートの多くが政治的混乱に巻き込まれて命を落とした。改革や政変を起こそうとして首を切られたり、百姓に殺されたりした人も多かった。日本による植民地時代では、「知日」は日本に寄生する「親日」と同じ意味になり、植民地支配からの解放後、この言葉は「社会的に葬られる」ことを意味するようになった。程度の差こそあれ、今でもそれは変わらない。こうしたタブーに踏み込み、歴史を客観化しようするのは、地雷原に身を投じるのと同じくらい無謀なことだ。そうして私たちの認識はますます日本の実体から遠ざかっていくのを感じる。

 

 日本を現場で7年近く経験した。日本は強い国だ。経済の強国、文化の強国だ。憲法を改正すれば、すぐに軍事強国にもなる。国際的に尊敬も集めている私たちはそんな国の大使館前に、70年ほど前の過ちを執拗に追及する造形物を設置した。「適切に解決されるよう努力する」と国として約束したにもかかわらず、総領事館前に新たに設置した。かつて日本は過ちを犯した。だが、私たちと同じような苦難を経験したほかのどの国も、相手にこんな風にはしていない。韓国はそうしても構わない国なのだろうか。今、日本が落ち着こうとしている理由は、私が知る限りただ一つだ。怖いからではなく、韓国が米国の同盟だからだ。だが、同盟までが揺らいでいる気配もある。

 

 (以下略)

 

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員

 

 

 

1 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/20/2017012001474.html

 

2 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/20/2017012001474_2.html

 

3 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/20/2017012001474_3.html

 

引用ここまで

 

 

 緑色の文字列は関連記事へのリンクです。

 

 

 ジョン君の記事は無駄に長くてねえ・・・・・・

 

 まあ保守派の朝鮮日報としては従北左巻きの大統領の誕生が確実的であることに危機感を感じているんでしょう。

 同じ左巻きのノムたんが大統領だった時も新聞法とかで虐められたしね。

 

 頼りの中国様からもどっちつかずの外交を責められてお仕置きを受けていますしね。

 

 しかし今更日本にすり寄らないように。

 

 とにかく慶応大学に留学し7年近く東京特派員を務めたのに、ジョン君の日本史に関する理解はアレですしねえ。

 

 ”首都を京都に移してから、日本は独自に発展を遂げた”・・・なんてことよりは200年くらいに渡って遣隋使・遣唐使を送りながら、日本はシナの皇帝から冊封を受けていなかった、つまり華夷秩序に参加していなかったことに着目しましょうね。

 

 日本の歴史の独自性が決定的になったのは鎌倉幕府以来ですしね。これ以後の日本史はアジアからは決定的に離れて、むしろ西欧の歴史に似てくるのです。封建制ですな。

 

 それでジョン君などは某歯医者さんには及ばないまでも、韓国人としてはマシな方なんですね。

 

 一般的な韓国人というのは”私は日本との対戦で一度も負けていない。日本に対しては良い記憶を持っている”・・・と豪語したり私たちが半導体、造船、鉄鋼、テレビなど、君たちの成長動力を吸収してリードしてきたこの10年間、君たちに負けた記憶が特にない”・・・と主張したりするものなのです

 

 それでもマスコミはたまに事実を書くこともあるんです。2012年4月の東亜日報も”韓国が傷ついた自尊心を慰めることもいいが、実情以下に日本を蔑むことも慎む時がきた”・・・と書いていました

 

 しかしその行為は韓国社会では”地雷原に身を投じるのと同じくらい無謀なこと”・・・なんですね。

 

 歴史に対する正確な認識・・・・・朱子学やマルクシズムには無理ですから。

 

 とりあえずジョン君は”朝鮮の将軍、李舜臣の兵法を近代戦術で継承したのも日本だった”・・・というような伝説・・・・それも日本製の・・・・などから自由になるように。

 

 事実としてはヒデヨシの軍は無傷で上陸し、無傷で引き揚げていたのです。

 

 君たちには約束なんて近代的な概念もありませんしねえ。国家間の合意を守るよりは慰安婦像に礼拝しているのがお似合いですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おおい、雪が・・・・・・