大韓民国建国は1919年なのか、1948年なのか
大韓民国の出生証明書の再発行でもしなければならないようなありさまだ。教科書国定化をめぐる賛否の火の手が、最近では韓国の建国日をめぐる論争へ飛び火している。要するに「1919年建国論」と「1948年建国論」の対立だ。
「19年建国論」は「わが大韓民国は三・一運動で建立された大韓民国臨時政府の法統を継承し」という韓国憲法の前文に依拠している。韓国が臨時政府の法統を受け継ぐと明示していることから、1919年に生まれたと見なすのが正しいという主張だ、これに対し「48年建国論」は、政府樹立記念日の1948年8月15日に韓国が誕生したと考える。双方はそれぞれ、強みと弱みを持っている。
韓国現代史を断絶ではなく継承の観点から見ることができる点こそが「19年建国論」の魅力だ。植民地化という「挑戦」に対し、臨時政府樹立という「応戦」で堂々と韓国史を説明できる。ところがこの強みは、同時に弱みでもある。
「19年建国論」は「政治学のいろは」とズレている。現代の政治学は、国家とは領土・国民・主権の3要素を持つものであって、3要素の一つが欠けただけでも国家とは見なし難い、と教えている。韓国が1919年に建国されたと見る場合、徴用や慰安婦問題といった植民地時代の苦難をどう説明するか、はっきりしない。「韓国の誕生」という事実判断と「臨時政府の法統継承」という価値判断を混同している、という批判も免れ難い。
金九(キム・グ)主席の臨時政府も、1941年の「建国綱領」で「敵の統治機構を国内から完全に撲滅し、中央政府と議会の正式な活動で主権を行使する過程」を「建国の第1期」と規定した。建国を今後の課題として設定したのだ。こうした事実を見過ごすと、歴史がファンタジーの領域に退行する危険がある。
従って「韓国の誕生日は1948年8月15日」と見る方が自然だ。ところが「48年建国論」は、ここから一歩踏み出している。「1948年8月15日は韓国の建国節にもかかわらず、政府樹立記念日に格下げされている」と主張しているのだ。
(以下略)
キム・ソンヒョン文化部次長
1 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/19/2015121900428.html
2 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/19/2015121900428_2.html
引用ここまで
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昨日は午後から集落の会計の監査でした。私は今年は監査委員なものですから。
そして監査が終わると集落の役員の忘年会。ブログの更新は朝の1回しか出来ませんでした。
しかし、さすがに”歴史がファンタジーの領域に退行”・・・している韓国だけのことはありますなあ。
日本のような歴史の古い国になりますと建国の時期がいつかなんてことを正確に決めることは不可能なんです。
とにかく日本列島という海によって外界から守られていた地域で、歴史が断絶することもなく続いてきましたから。
韓国・・・・というよりは朝鮮半島の歴史などは断絶だらけですからね。別に恥じることもありません。シナの歴史も断絶だらけなんですから。ああ、英国も。
”「19年建国論」は「わが大韓民国は三・一運動で建立された大韓民国臨時政府の法統を継承し」という韓国憲法の前文に依拠している”・・・今年の8月13日付けの中央日報なんぞは、臨時政府はソ連から承認されていたニダ!とかやっていましたな。
まあ馬鹿ですから・・・・・・
今年8月15日付けの東亜日報は”(1945年)8月15日は異民族の圧制から解放された日であり、大韓民国を建国した日だ”・・・とか書いていましたが、その日は朝鮮半島南部がアメリカの支配下に置かれた日であり(実際には9月頃になりますが)、当時は大韓民国なんざ存在してません。
”従って「韓国の誕生日は1948年8月15日」と見る方が自然だ”・・・いいえ、アメリカが朝鮮半島南部の施政権を韓国人に返還したのは1948年8月13日だと何度教えたら・・・・・・
”「19年建国論」は「政治学のいろは」とズレている。現代の政治学は、国家とは領土・国民・主権の3要素を持つものであって、3要素の一つが欠けただけでも国家とは見なし難い、と教えている”・・・その通りです。
”金九(キム・グ)主席の臨時政府も、1941年の「建国綱領」で「敵の統治機構を国内から完全に撲滅し、中央政府と議会の正式な活動で主権を行使する過程」を「建国の第1期」と規定した”・・・ということですから、臨時政府なんぞは朝鮮半島に対して何の力も持っていなかったのです。
日本に代わり朝鮮半島南部の支配者となったアメリカ(名称は国連軍ですが)に対して臨時政府とやらは”韓国占領の過程で米軍との連携を希望し、日本軍の武装解除や再編成で米軍を支援し、韓国の独立運動家が韓国問題で発言権を持つことを望む”・・・とか申し入れたそうです。
あいにくアメリカの方針は”個人としての帰国なら反対しない”・・・ということでしたので金九以下は”彼らとともに太極旗(テグッキ、注:韓国の国旗)を振るために出迎えた人々は飛行場のどこにもいなかった。その日、この地の人々は臨時政府の要人の帰国を誰も知ることができなかった”・・・ということになっていました。
そりゃそうですな。朝鮮半島なんぞは連合軍にとっては戦争相手の日本の一部でしたし、だからこそ戦後3年も占領されていたわけです。
そこにどこの馬の骨とも知れない、自称臨時政府とかがしゃしゃり出たって相手にされないのが当然で。
しかし韓国においては歴史はファンタジーなんですから、その日の気分でテキトーなことを書いていればいいと思いますよ。
忘年会は楽しかったニカ?