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 嫌韓ではありません、笑韓です。観ているだけなら、これほど面白い人たちもありませんから。

2015/12/16 朝鮮日報
【コラム】大韓帝国はなぜ滅びたのか





 解放(日本による植民地支配からの解放=日本の終戦)70周年を前に、昨年の今ごろある決心をした。解放前の歴史、特に旧韓末(大韓帝国1897-1910年)の歴史を学び、「当時の我が国はなぜ滅びたのか」について整理してみようと思ったのだ。学べば学ぶほど頭の中が混乱したが、それでも一つの流れはつかんだ。我々にも国権を守る機会と情熱、才能があったのだ。「1年勉強してやっとその程度しか分からないのか」とおっしゃられるかもしれないが、私にとっては意味がある。「外国勢力の侵略・略奪のせい」「先祖が無能なせい」という両極端な主張に振り回されない自信が生まれたからだ。


 先日、先輩論説委員から国権喪失後の朝鮮陽明学者の悲惨な死を記録した貴重な論文をいただいた。ミン・ヨンギュ教授(故人)が1987年に書いた「江華学最後の光景」という論文だ。この論文を読みたいと思っていたのは、日本史を学ぶ際に得たこま切れの知識のためだ。命懸けで国を列強の仲間入りさせた明治維新の主役たちは陽明学の大きな影響を受けていた。陽明学は知行合一(知ることと行うことは表裏一体で切り離せないという考え方)を重視するので、実践家に合う思想だ。我が国にもそうした陽明学派がいたということが興味深かった



 (中略)



 歴史書を読めば読むほど、とにかく外国勢力のせいにする主張に興味をなくした。江華島条約から国権喪失まで我々には30年近い時間があった。歴史にも三振法が適用される。甲申政変・甲午改革・光武改革は貴重なチャンスだった。歴史書を読むほどに興味をなくす主張がもう一つある。朝鮮は国力が枯渇し、すでに滅びた国だったという宿命論だ。我が国を長年見てきた当時の西洋人たちは、一様に優れた才能、熱い教育熱、豊富な資源を高く評価していた。まだ強くはなかったが、強くなることができる国だった。その国で黄ヒョンはなぜ「人間世界の識者役は難しい」という絶命詩を残して死んだのか。

 (中略)


 情熱と希望が枯渇した国には皇帝だけが残った。国権をよこせと要求する日本に対し、皇帝は「大臣と国民の意向を問う」と後に下がった。伊藤博文は「不可解なことこの上ない」と皇帝を嘲笑(ちょうしょう)した。「貴国は憲法政治でもなく、万機すべてを陛下が決定する、いわゆる専制君主制ではないのですか?」。この幻のような権力を守るために忠臣や改革を捨てたのか。

 旧韓末のことを語ると、「今は国力が違う」と人々は言う。それも事実だ。だが当時の我が国は国力が足りなくて滅びたのだろうか、それとも国力を育てる改革ができなくて滅びたのだろうか。考え方はそれぞれだが、民族の才能と情熱、改革の機会をまとめて国を引っ張っていくことができなかった政治のせいで滅びたのは明らかだろう。100年後の子孫たちが書き記す歴史に、今の私たちはどのような姿で書かれるのだろうか。歴史は我々の胸を痛くした分だけ教訓を与えてくれる。今年それを悟った。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員

1 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/16/2015121601154.html
2 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/16/2015121601154_2.html
3 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/16/2015121601154_3.html

引用ここまで


 緑色の文字列は関連記事へのリンクです。


 まあ最近のジョン君の劣化ぶりから見るとマシな記事ですかねえ。


 とにかく2009年8月の中央日報などは”(同年生まれの)高宗と明治天皇・・・2人が生まれた時、朝鮮と日本の国力はそれほど差がなかった”・・・などと目の眩むようなアホを書いていました

 いやいや、日本と朝鮮の国力差などは古代から圧倒的でしたよ。正直な高句麗人の石碑を信じれば、日本は三国時代の朝鮮に兵を送り、百済や新羅を属国化していたのです。
 現に百済が滅ぶ際には、大和は半島に数万の援軍を送っていましたが、朝鮮から大和に兵を送った記録はありません。

 そりゃそうですな。李朝は一国を挙げて対馬に侵攻しましたが、江戸時代ですら10万石格・・・・実質的には数万石程度・・・・・の島にすら勝てずに撃退されていましたから。

 高麗時代には巨大な元と組んで二度も日本に侵攻しましたが、二度とも水際で撃退されていました。

 だからジョン君も”
旧韓末(大韓帝国1897-1910年)の歴史を学び、「当時の我が国はなぜ滅びたのか」について整理してみようと思ったのだ”・・・なんてことを考えると不幸になるだけですから。

 むしろ、シナとイルボンに囲まれて、なぜウリナラは消滅しなかったニカ?と考えた方が・・・・・

 そういえば2012年7月の朝鮮日報は、書評欄で”
賢かった韓国人がなぜ日本人に国権を奪われたのか”・・・などという寝言を紹介していましたが、そりゃ君たちが賢くなかったからに決まっているでしょ。

 それでも陽明学に目をつけたのはまあまあですが、李朝じゃいくら陽明学をベンキョウしたって科挙には合格できず、国政には関われなかったでしょ。

 江戸時代の日本では幕府の官学は朱子学でしたが、諸藩を動かした人物には陽明学の信奉者が大勢いました。
 そういう諸藩の人物が藩政を改革し、やがて幕府を倒して・・・・・・朝鮮にはそういうことはなかったですからねえ。

 それにしても”
我が国を長年見てきた当時の西洋人たちは、一様に優れた才能、熱い教育熱、豊富な資源を高く評価していた”・・・やはりジョン君の劣化は止まらないようで。
 イザベラ・バード朝鮮紀行でも読めば・・・・・・

 とにかく日本が国権を奪ってから


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 こういう風景が


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 こう変わったのです。


 ”考え方はそれぞれだが、民族の才能と情熱、改革の機会をまとめて国を引っ張っていくことができなかった政治のせいで滅びたのは明らかだろう”・・・君たちは機会があれば国を逃げ出したがっているしねえ




 シリアあたりの自称難民の方々と大して変わりはないんですな。

 もうジョン君も日本と韓国を比較するのはやめないと。






 雪の予報が・・・・・出番だぞ。