文学韓流・・・・哀れな | こりあうぉっちんぐ

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2015/12/2 中央日報
韓国人のような外国人翻訳家の登場…文学韓流に光見える




 最近、発表されたことしの大山(テサン)文学賞・翻訳部門の受賞作は審査委員から異例の称賛を受けた。小説家チョン・ヨンムンの実験的長編小説『ワセリン注ぐ』(原題)をドイツ語に翻訳したドイツ人のヤーン・ディルクス氏(40)に対して「ハングル原作が持つ文学性に引けをとらない等価翻訳を施した」と評した。ドイツ人が読んでも文学性を感じるほどの翻訳だということだ。

  審査委員は、特に外国人による単独翻訳という点に大きな意味があると解説した。韓国文学の翻訳領域に変化の風が吹いているということだ。文学賞を運営している大山文化財団のクァク・ヒョファン常務は「過去の韓国文学の翻訳は韓国語のことがよく分からない外国人と外国語を理解する韓国人がペアになり、韓国人が粗訳をしたあとで外国人が推敲して仕上げる程度だった」と説明した。ディルクス氏のように韓国語を流暢に使いこなす外国人が韓国文学作品を一人で翻訳することは、これまであまり見られなかった現象だということだ。

  (中略) 


  韓国文学の海外翻訳歴史は遠く19世紀後半に遡る。その間、成果がなくはなかった。申京淑(シン・ギョンスク)の小説『母をお願い』、李承雨(イ・スンウ)の『植物の私生活』などがそれぞれ米国とフランス市場で好評を得た。

  だが、韓国文学が世界文学の一領域を築いているといえるようなものはほとんどない。韓国文学の翻訳領域で新たな外国人翻訳家世代の登場が歓迎される理由だ。

  翻訳院のコ・ヨンイル部長は「最近では実力を持った外国人翻訳者が確かな韓国語能力を基に普段から親しんでいる韓国文学作品を翻訳しようとするケースが増えている」と話した。

  (中略)

  このような現象は韓国文学翻訳院と大山文化財団の韓国文学翻訳支援の努力が一定の役割を果たした結果だと見ることができる。特に、翻訳院は国内に在留している外国人を対象に2008年から1年過程の翻訳アカデミーを開設して翻訳の実習と並行して韓国文学全般に対する教育を行ってきた。その勢いに乗ってことしに入ってアカデミーを2年過程に伸ばした。より競争力のある外国人翻訳者を養成するとの趣旨だ。

  もちろん否定的な声もある。文学の海外進出は人為的な振興策でできるようなものではないとの主張だ。評論家のファン・ジョンヨン氏は「米国・フランスのような文学強国が自国文学の翻訳人材を体系的に養成しているというような話は聞いたことがない」と指摘した。反論もある。評論家のファン・ヒョンサン氏は「市場論理によって韓国文学の輸出がうまくいかない場合には人為的な支援策も必要」と話した。

http://japanese.joins.com/article/195/209195.html?servcode=400§code=400    

引用ここまで


 緑色の文字列は関連記事へのリンクです。


 タイトルにも書きましたが、哀れな・・・・・・

 韓国文学の翻訳状況については何度も書いてきました。”
過去の韓国文学の翻訳は韓国語のことがよく分からない外国人と外国語を理解する韓国人がペアになり、韓国人が粗訳をしたあとで外国人が推敲して仕上げる程度だった”・・・要するに韓国人が翻訳していたんですね。

 日本文学の場合は、アーサー・ウェイリーという人が有名でしょうが、源氏物語を英国人が独力で訳して、それが今でも売れているんですね。

 韓国文学の場合はお隣の日本でも商売になっているとは言えません。在日も大勢いるのに・・・・・まあ在日は日本文化人ですから、文学に興味があれば自分で日本語で書き・・・・・芥川賞その他を受賞した作家が多々・・・・

 そういう状況でも日本に売り込みに来る韓国人がいるんですが、最初から”
収益事業ではないため難しさがある」として、韓国の出版界や関連機関に支援を訴える”・・・ですからねえ

 小説などの出版が収益事業じゃなくて何だというんだ?現在の蔦屋という書店などは、江戸時代の出版業者、蔦屋重三郎から名前を頂戴したものだぞ・・・・・多分。

 ええ、日本じゃ出版事業などは江戸時代から収益事業だったんですね。

 しかし現代の韓国では”
市場論理によって韓国文学の輸出がうまくいかない場合には人為的な支援策も必要”・・・政府のカネがないことには・・・・・

 2011年9月の中央日報は”
韓国政府が翻訳支援金を出す方法では、これを手に入れようとする、質の良くない現地出版社ばかり群がるということだ”・・・という批判を紹介していましたが、日本とは違うんだから。

 要するに韓国文学どころか料理から何から、韓国文化はゼニにならないんですね。







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