「ワンボイスないしはノーボイス」…韓国外交、存在感発揮できず | こりあうぉっちんぐ

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 嫌韓ではありません、笑韓です。観ているだけなら、これほど面白い人たちもありませんから。

2013/12/5 中央日報

「ワンボイスないしはノーボイス」…韓国外交、存在感発揮できず





 闇がたち込み始めた。派手な年末のロンドンの都心部から少し外れた所にランズダウンクラブがあった。250年になる建物のわりによく管理された外壁には、1780年代に首相を歴任したランズダウン侯爵や1920年代のデパート所有主として名が知られたヘリー・セルフリッジが暮らした場所という表示がついていた。いわゆる「名所」であった。韓国にとってはしかし、それ以上の場所だった

101年前の1902年1月、2人の男がここで外交文書に署名した。西欧の列強国と東洋の1つの国が初めて対等に締結した条約として知られた日英同盟だった。日本にとっては、これがアジア強国への大きな踏み台となった。2年後、日露戦争で勝利したが、日清戦争で勝っても露・仏・独の干渉によって「戦利品」を出さなければならなかった外交的敗退を、9年ぶりに報復したものだった。

韓国にとっては災難だった。高宗(コジョン)は締結の事実を認知した後、4日後に内閣を改編した。危機を感じていたということだ。しかしそれから1カ月後、露仏同盟が従うとすぐに朝鮮の中立化の可能性が大きくなったと誤認した。実際、できることはなかった。

その後のことを十分に噛みしめるためにランズダウンを訪れたのでなかった。考えはそれ以前に向かわなければならなかった。

日本は同盟国で英露をめぐり、はかりにかけて英国を選んだ。その過程で激烈な討論があった。当時のエピソードだ。伊藤博文は対ロシア交渉を優先しなければならないという側だった。彼がロシア訪問を決めるとすぐに首相が独断的な専横をするなと要求し、伊藤は「そのような小言を言うならば外遊をやめる」と立腹した。伊藤が意図しようがしまいが、彼のロシア訪問は英日同盟を操り上げる成果を上げた。英国でも19世紀初めにアジアから3000キロだった英露間の距離が19世紀末に数百キロに縮まった現実に対処しなければならなかった。日独との3国同盟を苦心して結局、日本を選んだ。昔も今も、集団的であっても冷徹な国益計算は外交の要諦だ

この頃、世界列強が競り合った朝鮮時代末から大韓帝国までの時期を思い起こす人が多い。2つの大戦に帰結されたドイツ・ロシアの台頭を連想する人も、2400年前の共倒れにつながったアテネ・スパルタの競争を取り上げる人もいる。十分に共感する。列強国間の勢力の変化が緊張を招くというのは一般理論だ。

 「反日」が国民運動になった今、「(日本の)集団的自衛権は個別国家の主権に関する事案として国連憲章も推奨している。朝鮮戦争の時に米軍を主軸にした50万人以上の国連軍が作戦できたのも、日本の後方基地があったため」〔孔魯明(コン・ノミョン)元外交部長官〕という声が公開的に出てくるのは、それだけ民間の状況認識が重症だという意であろう。

だが本来の外交当局はどうかわからない。内部力量を結集しているところなのかも真に分かり難い。外交安保の専門家である与党要人Aの話を思い出した。

10月、金章洙(キム・ジャンス)青瓦台(チョンワデ、大統領府)国家安保室長が米国で色々な人に会ったが、会う人ごとに日本の悪口ばかり言っていたそうだ。米国の動きも感づくことができないで。米国は、韓国が『ワンボイス(one voice)でなければノー(no)ボイス』と言って驚いていた

大統領が話したことについては大統領と同じように話し、大統領が言及しなかった事案については何の話もしないという意味だった。独自行動のため、話のために飛んで行ったと分かった崔大錫(チェ・テソク)元引継ぎ委員と徐虎(ソ・ホ)元南北実務会談首席代表の名前が一瞬かすめた。

彼はさらに話した。「青瓦台でも外交部はワシントン・北京・東京の現場と距離がある。大統領の人気にトップとの親密なよしみに安住しているようだ。すでにその人々は、私たち(韓国)を以前のように親切に優しく対応してくれない」。

セヌリ党議員Bは大きくため息をついた。「外交は誰がしているのか。外交安保首席の名前も思い浮かばない…」。

周囲はもう闇だけになった。しかし記憶の中は彼らの声ぐらいではなかった

<ロンドンで>コ・ジョンエ政治国際部門次長





(1) http://japanese.joins.com/article/072/179072.html?servcode=100&sectcode=120

(2) http://japanese.joins.com/article/073/179073.html?servcode=100&sectcode=120


引用ここまで







 中央日報ですからねえ。ええ、サムスンの機関紙ですから。


 ご存知のようにサムスンの創立者は早稲田出身ですし、二代目の現会長も同じ。三代目はどういうわけか慶応のようですが・・・・・


 とにかく日本の資本財抜きではサムスン・・・・どころか韓国工業・・・・が成立しないことは李会長はよく知っていますし、マスコミも実はちゃんと知っています


 それで李会長は1年の内、相当な期間を日本で過ごしますし、今年もグループ首脳を日本に集めた東京会議を5回も開いていたそうで


 李会長のパパである創立者は、まだ外貨の持ち出しが厳しく制限されていた時代から日本で愛人を囲って贅沢な暮らしをさせていたそうですから、遥かに外貨が豊かになった今は、息子はもっとゼイタクをやっているんでしょうなあ。



 そういえば李会長は日本の資本財メーカーと定期的な寄合をやっているようですな。そりゃそうです。日本がそっぽを向けばサムスンは何も造れなくなるんですから。

 ただし、80年代の韓国財閥はそういうことを下には隠していましたから、課長クラスの勇ましいのは日本から厳しいことを言われると「もう日本とは手を切りましょう!」と息巻いて上を困らせたそうです。



 情報が行き渡っているはずの今でも”皆さん、実態をわかっているんですかねぇ。スマホを始め、サムスン製品の部品の多くに日本製が採用されているんですよ。液晶パネル、スピーカー、携帯のバイブ機能用モーター……うちが傾けば困るのは日本経済ですよ”・・・と逆転の発想(笑)で日本を戒めるサムスン関係者もいるようですが 、サムスンは日本なしでは何も造れなくても、日本はサムスンなしでも何でも造れますし、サムスンが傾けば喜ばない日本メーカーはいません。

 資本財の代わりに最終製品を輸出すればいいだけの話ですからね。



 ”西欧の列強国と東洋の1つの国が初めて対等に締結した条約として知られた日英同盟”・・・日本は明治以来、欧米の世界支配に抗して戦ってきたんですよ。日本なしではアジア・アフリカは今でも植民地のままだったかも知れませんしね。



 ”この頃、世界列強が競り合った朝鮮時代末から大韓帝国までの時期を思い起こす人が多い”・・・さしずめクネあたりは閔妃に擬せられるかも知れませんね。


 上が上なら下も”金章洙青瓦台国家安保室長・・・会う人ごとに日本の悪口ばかり言っていたそうだ”・・・いいことですね。いくらお人好しの日本でもそろそろ韓国の正体に気が付いてきたようで。



 かっては韓流を煽っていた文春、新潮、ポストその他の週刊誌も競って嫌韓記事を書きまくっていますし。

 まあ内容なんぞは韓国ウォッチャーにとっては先刻承知のことばかりで目新しいものはないんですが。



 しかし日本にそっぽを向かれたら存立も危ないサムスンとしては、これ以上日本を刺激したくないんでしょう。

 それで機関紙の中央日報に指示して”外交は誰がしているのか。外交安保首席の名前も思い浮かばない”・・・と批判記事を書かせるわけですな。可哀そうなコ・ジョンエ次長だって反日記事を書きたいだろうにねえ。



 ”周囲はもう闇だけになった。しかし記憶の中は彼らの声ぐらいではなかった”・・・日本のマスゴミの主流は相変わらず反日親中親北親韓 なんでしょうが、ようやく前途に薄明かりが・・・・・



 そういえば特定秘密保護法がやっと成立しましたが、朝日毎日や左巻きの地方紙は、民主主義の危機!と騒いでいましたな。しかし多数決は民主主義の基本なんだが、君たちは憲法を否定するのか?










こりあうぉっちんぐ


 

 我が家の多数決。パパが1票、アタチが5票・・・・