●高知県☆長沢ダムと長沢取水堰。
こちら の話の続きなんですが、一応。
覚えてらっしゃいますか。
金200円しかなくて、ガソリン無くて土小屋から石鎚公園線降りてきたって話なんですけど・・・
あの続き、というか、あの日に見た「長沢ダム」のことを書きます。
よさこい峠から石鎚公園線をずっと道なりに下りてくると
吉野川の源流である白猪谷渓谷を通り、そのまま川に沿って下流へ進んでくると
道路右側がしだいに長沢ダムのダム湖となります。
広大なダム湖に沿って進んでくると、道の右側にこの堤体が建っています。
長沢ダムは1949年の竣工。
かなり年季の入った黒い、コンクリートのダムです。
大橋ダム が1938年の竣工ですからちょうどその10年後で、戦後に出来上がったダムですね。
天端の雰囲気も、レトロなムードいっぱいです。
大橋ダムに雰囲気も似てるのですよ。
コンクリートの古ぼけ具合といい
素敵なバルコニーがついているところなんかも。
やっぱりバルコニーには入れませんけれども。。
昔のコンクリートダムは、減勢工に向かって導流部が内側に囲い込むようなデザインが印象的です。
左の岸に見える建物は発電所です。
この長沢ダムは、発電専用のダムで、大橋ダム や津賀ダム のように戦時中のエネルギー増強の為に
高知県に作られた歴史的な発電ダムの一人です。
シブいです。
この疲れたコンクリートの風合いがたまりません。
天端を進んできてから振り返りました。
あの白い建物は管理棟。
長澤堰堤竣工記念碑
北の長澤堰堤は太平洋戦争時代及び戦後の混乱と窮乏のさなかにあらゆる困難を克服して施工された。
産業と文化の向上に寄興させんとするすぐれた人々の情熱とたゆまざる努力とが尊き犠牲を乗り越えて慈に此の堰堤を竣工せしめたのである。
此の堰堤は下流の発電所群をして其の偉力を飛躍的に増大せしめ吾が邦の産業と文化の発展に大いなる貢献をもたらすであろう。
と書かれています。
この真っ赤な字。
最後の「もたらすであろう」に、「やりきった感」がにじみ出ていて、
ほんと、この真っ赤な字のように血のにじむような努力によって、作り上げられたものなのだと感じます。
ダムって、ほんと涙出る。
貧しい時代に先人達が努力の末に作り上げたモノ。
確かに私達はこの人達の労力のおかげで、今幸せな文明生活を送ることが出来ています。
そう伝えたいです。
ほんと、ありがとうって言いたいです。
あなたたちは、偉業をなしとげたと、言いたいです。
やばい、書いてたら泣きそうになってきた。
おだやかなダム湖。
取水塔も年季はいってる。
錆び錆びやね。
このときって200円しかないしガソリンないしであんまり写真を撮る精神的余裕が無かったみたい。
あまり写真ありませんでした。
長沢ダムのすぐ下流に「長沢取水堰」が。
ここから取った水はよその発電所に繋がっています。(そりゃそうだろ、アバウトでごめんなさい)
このすぐ近くに郵便局があったので、私は無事に3000円くらいお金を手にしたんですよ。
で、元気に運転していたら東温市くらいまでガソリン持ちました!
東温市のフジにマクドナルドの看板を発見して、買いに走りました。
お腹ペコペコだったから、初めてダブルクオーターパウンダーを食べちゃいました!
余裕で食べれた。
めでたしめでたしー
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