”見てはいけない”といわれると… 第三十七話 | ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

人は無量の恩の世界で生かされています。一日を真剣に生き努力に生き、感謝報恩に生きる。

こんにちは。
お使い頂く心心を大事にしている建築士設計のヒロボー坊主です。

ホオリの命と結ばれた、海の神さまの娘・トヨタマ姫は、そのあとも海の国にいらっしゃったのですが、あるとき、地上にあがってきて、ホオリの命に、こうおっしゃいました。「じつは私のお腹のなかには、あなたの子供がいて、出産が近づいています。いろいろと考えましたが、天の神の子孫であるこの子を、海の国で生んではいけないと思い、それで、こうして地上に来たのです」。

そうおっしゃると、トヨタマ姫は、海岸の波打ちぎわに、出産のための建物を建てはじめられます。鵜の羽根で、屋根をおおった建物です。ところが、屋根をおおいつくさないうちに、陣痛がはじまりました。そこで姫は、急いでその建物におはいりになります。そすて、いよいよ出産…という時、ホオリの命に、こうおっしゃいました。「海の国の者は、出産の時、その国にいた時の姿になって子を産むものです。私も、そうしたいと思いますので、けっして出産の時の姿を、観ないでください」。

しかし、「見てはいけない」といわれると、逆に見てしまう…というのが、洋の東西を問わず、神話や伝説などに共通するストーリーです。わが国の神話でも、すでにイザナギの命が、ヨミの国の神話でも、すでにイザナギ飲み事が、ヨミの国のイザナミの命の姿を見て、そのあと、たいへんなことになっていますが、ホオリの命も、やはりこの時「見てはいけない」といわれたのに、やはり、のぞき見をされます。

トヨタマ姫は、大きなサメの姿で、のたうちまわっていました。ホオリの命は、恐ろしくなって、逃げ出されます。トヨタマ姫は、見られたことを知って、こうおっしゃいました。「海のなかの道を通って、これから私は、この地上の国と海の国を、行ったり来たりしようと思っていましたのに…。あなたは、出産の時の私の姿を見てしまいましたね…。ほんとうに残念です」。そう言うと、トヨタマ姫は、産んだばかりの男の子であるウガヤフキアヘズの命を置いたまま、海の国に帰ってしまわれました。しかも、陸の国と海の国との通り道を、塞いでしまわれます。こうして、地上の国と海の国との行き来は、できなくなったのです。

かつてはイザナギの命が妻の姿を“のぞき見”され、その結果、死者の国との行き来ができなくなりましたが、今度は、ホオリの命が妻の姿を“のぞき見”され、その結果、海の国との行き来ができなくなりました。山の神の娘のコノハナサクヤ姫、海の神の娘のトヨタマ姫…、それらに象徴される“聖なるもの”が、つぎつぎと皇統に合流しつつ、しかし、その一方では、“この世”“この世ならざる世界”との分離がすすみ、しだいに今につづく“現実の世界”ができあがっていくようすが、ここには、みごとに描かれています。

ちなみに、「見てはいけない」というタブーをテーマにする神話や伝説は、世界中にありますが、わが国の神話や伝説には、タブーを犯した者への「処罰」がない、という特徴があるそうです(『河合隼雄著作集』八)。しかも、外国のその種の話には、きわめて残酷なものが少なくありません。たとえば、フランスの「青ひげ」などがそうです。しかし、わが国の神話や伝説には、そのような残酷な話は見られません。日本のその種の話に共通して見られるのは、たとえば、「鶴の恩返し」に見られるような、最後の「別れの寂しさ」です。わが国の神話や伝説には、おしなべて日本ならではの、しみじみとした「もののあはれ」が、ただよっています。

トヨタマ姫も、海の国に帰っては来たものの、夫と子のことを忘れることができません。そこで、妹のタマヨリ姫を、地上に送ります。ウガヤフキアヘズの命にとっては、叔母です。ウガヤフキアヘズの命は、そのタマヨリ姫と結婚され、やがて二人の間に神武天皇がお生まれになります。(つづく)
【解脱一月号 神国日本の甦り 皇學館大學教授 松浦光修】

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