「エイゼンシュテイン」 は、なぜ、「アイゼンシュタイン」 ではないのか? | げたにれの “日日是言語学”

げたにれの “日日是言語学”

やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

   エイゼンシュテイン




〓先日、 Lehman という姓について書いていて、ふと、思い出したたんです。映画を本格的に見るようになってから、ずっと、疑問に思っていたことです。


   なぜ、“エイゼンシュテイン” であって、“アイゼンシュタイン” ではないのか?


〓こんな単純な疑問であるのに、誰も答えてくれませんでした。こういう名前のフシギというような、素朴でサマツな疑問に対する解答は、たとえば、


   エイゼンシュテインの評伝をアタマからシッポまで読んでも書いていない


のが普通です。おそらく、映画の本質とは関係がない、ということなんでしょう。


〓“エイゼンシュテイン” が “アイゼンシュタイン” でない理由は、実は、明快なものなんです。


   “エイゼンシュテイン” という姓は、イディッシュであって、ドイツ語ではないから


です。


〓日本では、ソ連邦の映画監督 「セルゲイ・エイゼンシュテイン」 の名で有名なこの姓は、ロシア語では、


   Эйзенштейн ejzenshtejn [ ɛjzɛn'ʂtɛjn ] [ エイゼンし ' テイン ]


と言います。このタイプの外来語的な姓では、多くの場合、 е を軟母音ではなく、硬母音の э として発音します。とくに、 штейн では、ゼッタイに 「シチェイン」 [ ʂtʲejn ] とはなりません。


〓もう一度くりかえしますと、この “アシュケナージ系ユダヤ人” のロシア語姓は、ドイツ語の Eisenstein を転写したものではないのです。


   אײזנשטײן Eyznshteyn [ ' エイズンシュテイン ] [ 'ɛɪznʃtɛɪn ] イディッシュ姓


〓これです。まさしく、「エイゼンシュテイン」 です。



〓この単語は、ドイツ語では、「鉄鉱石」 を意味します。


   Eisenstein [ ' アイズンシュタイン ] [ 'aɪznʃtaɪn ]
      ※英語の iron ore, ironstone にあたる


〓なぜ、このような姓があるのか?



〓アシュケナージ系ユダヤ人の姓には、ある種のパターンがあって、 stein 「石」 とか baum 「木」、 thal 「谷」、 stamm 「木の幹」 など自然をモチーフにしたものがよく見られます。 Eisenstein という姓は、このパターンである、と同時に、


   地名である可能性


もあります。


〓アシュケナージ系ユダヤ人の姓の中には、現在の土地に移住してくる前に、もともと先祖が住まわっていた土地の地名を取ったものがあります。たとえば、


   Durkheim [ デュル ' ケンム ] [ dyʁ'kɛm ] デュルケーム


〓フランスの社会学者、エミール・デュルケームの姓として有名です。 Durkheim というのは、フランスとの国境に近い南ドイツの温泉療養地、


   Bad Dürkheim [ バート ' デュルクハイム ]
      ※2006年の FIFAワールドカップ、日本対オーストラリア戦の
       おこなわれた “カイザースラウテルン” のほぼ隣りである


のことです。


〓同じように、 Eisenstein という地名があります。いや、ありました。


   Markt Eisenstein 「マルクト・アイゼンシュタイン」


〓現在はチェコ領になっている、山と緑に囲まれた自然豊かな観光町です。近代以前には、現在のチェコ領も “ドイツ語圏” であったわけで、その当時は、 Markt Eisenstein と呼ばれていました。「市」 が立つ町だったので、 Markt 「市」 (英語の Market) が冠されました。


〓現在では、特に、鉄鉱石を産出するというワケではないようです。13世紀に、この地で鉄鉱石が発見されて通商路が開かれ、町ができたのは16世紀です。


〓チェコ語では、


   Železná Ruda [ ' ジェれズナー ' ルダ ] 「ジェレズナー・ルダ」


と言います。 železná は、ロシア語で言うところの железная zheljeznaja [ じぇ ' りぇーズナヤ ] ですね。「鉄の」 という形容詞の女性形です。 ruda は руда [ ル ' ダー ] 「鉱石」 です。要は、「鉄鉱石」 です。
〓おそらく、ドイツ語から直訳されたものでしょう。東中欧には、現在では消えてしまったドイツ語の地名というのがたくさんあります。



   ジェレズナー・ルダ
   ジェレズナー・ルダ



〓チェコの 「ジェレズナー・ルダ」 は、まさに、ドイツとの国境スレスレに位置する町で、ドイツ側には “Bayerisch Eisenstein” 「バイエリッシュ・アイゼンシュタイン」 (「バイエルン側のアイゼンシュタイン」 の意) という小さな町があります。


〓アシュケナージ系ユダヤ人の 「エイゼンシュテイン」 という姓の雛形 (ひながた) は、この地方から移住してきたユダヤ人が名乗ったものかもしれません。しかし、「エイゼンシュテイン」 姓の多くは、それが地名に由来するものとは知らずに、ユダヤ姓としてシックリ来るので採用した例が多いでしょう。


〓あるいは、ドイツ人の姓には、この地方出身の Eisenstein というのがあるかもしれません。しかし、あったとしても少数ではないでしょうか。
〓現在、ドイツ国内で Eisenstein 姓を名乗る人は 766人だそうです。このうち、ドイツ語由来の姓を持つ人がいるのか、いたとしたらどれくらいいるのか、それを知る方法はありません。



               クローバー          クローバー          クローバー



〓アシュケナージ系ユダヤ人の運命については、先だって申し上げたので繰り返しません。


〓彼らは、ロシア帝国から 「徴兵や徴税」 などで管理されるにあたり、キリール文字で姓を登記することを余儀なくされたハズです。

〓彼らは、イディッシュを母語とし、おそらく、隣接して住む地元の住人たち、たとえば、ポーランド人と商売をするような必要から、わずかなポーランド語などを話すことができたかもしれません。

〓しかし、自分の名前をヘブライ文字以外で綴る必要には迫られたことがなかったハズです。さあて、どうするか。

〓イディッシュは、かなりドイツ語の発音からズレています。ドイツ語のアクセントのない弱化母音 e [ ə ] は脱落してしまっています。それを、そのまま、キリール文字に写すとキッカイになってしまう。
〓このような場合、若干、ドイツ語に歩み寄るのが普通だったようです。「エイゼンシュテイン」 の場合は、 e を1つ挟み込んでいます。脱落していた曖昧母音 [ ə ] が復活するワケです。


   Эйзенштейн [ ɛjzɛn'ʂtɛjn ]


〓それでも、イディッシュの ײ [ ɛɪ ] を、ドイツ語式に [ ] にはしなかった。譲れるのは、そこまで、ということでしょう。






  【 イディッシュに残るドイツ語の歴史 】


〓イディッシュで、ドイツ語の -ei- [ ] 「アイ」 に当たる二重母音を [ ɛɪ ] 「エイ」 と発音するのは、


   東欧を目指したユダヤ人が、ドイツ人の元を去ったあとに、
   ドイツ語で -ei- の発音が 「エイ」→「アイ」 と変化したから


です。つまり、イディッシュは、古い時代のドイツ語の発音をとどめているわけです。


〓アシュケナージ系ユダヤ人は、その言語に含まれる語彙から、イタリアやフランスを経て、最初の集団で10世紀ごろに “ラインラント” Rheinland に到達したと考えられています。この地域は、ライン川、モーゼル川の流域で、現在のドイツの西端部にあたり、ベルギー、フランスと国境を接しています。デュルケーム Durkeim の語源である 「デュルクハイム」 Dürkheim もラインラントにあります。



〓彼らは、自分たちにとって、少しでも住みやすい土地を求めて北上していたのかもしれません。

〓十字軍が開始されると、それと同時に反ユダヤ主義も高まり、第一回十字軍が開始された 1096年には、ラインラントのヴォルムス Worms、マインツ Mainz で、歴史上、最初と言われるユダヤ人の大量虐殺が起こっています。
〓また、十字軍は、行きがけの駄賃とばかりに沿道に居住するユダヤ人を襲い、殺戮・陵辱・略奪をおこなって行ったと言います。



〓10世紀、ラインラントでは、現代ドイツ語の祖先にあたる


   「古期高地ドイツ語」   Althochdeutsch


が話されており、もうそろそろ


   「中期高地ドイツ語」    Mittelhochdeutsch


へ変化しようとしている時期でした。



〓彼らは、それまで話していたロマンス語 (たぶん、イタリア語、南仏語など) を捨て、ドイツ語を話すようになりました。

〓11世紀なかばからは、「中期高地ドイツ語」 という新しいドイツ語の時代を迎えます。その後、アシュケナージ系ユダヤ人の母語となるイディッシュは、その初期において、この 「中期高地ドイツ語」 そのものでした。




〓彼らが、次に大規模な移住を始めたのは、14世紀なかばです。ヨーロッパじゅうでペストが流行り、ドイツやフランスの各所で、


   「ユダヤ人が、井戸に毒を入れているのを見た」


というデマが飛びかいます。敬虔なキリスト教徒の集団は、宗教的な熱狂をもって、ユダヤ人を襲い、リンチ・虐殺をおこないました。当時の教会は、たいてい、ユダヤ人から借金をしていたため、ドサクサに紛れてチャラにするため、こうした行為を黙認していました。


〓アシュケナージ系ユダヤ人は、東へと脱出し、その多くは、当時、宗教的にも、民族的にも寛容であったポーランド王国へ逃げ延びました。当時の国王カジミェシ3世 Kazimierz III は、積極的にユダヤ人を受け入れ、これを保護したために、ポーランドは商業的に大いに発展しました。


   ペストをキッカケにして、ユダヤ人が東欧へ移動した時代
   “中期高地ドイツ語” が “初期 新高地ドイツ語” に変化した時代


〓実は、この2つの時期がピッタリかさなります。14世紀なかばです。



〓この際、おそらく、若干の時間差をもって、次のような母音の変化が起こりました。



   î [ i: ] [ イー ] 中期高地ドイツ語
    ↓
   ei [ ] [ アイ ] 初期 新高地ドイツ語



   ei [ ] [ エイ ] 中期高地ドイツ語
    ↓
   ei [ ] [ アイ ] 初期 新高地ドイツ語



〓つまり、現代ドイツ語で、「アイ」 と発音している -ei- には起源が2つあって、それは、中期高地ドイツ語では î 「イー」、 ei 「エイ」 という別々の母音だった、ということです。


〓ですから、まさに、その変化の起こった時期にドイツを脱出したアシュケナージ系ユダヤ人の言語には、クッキリとその痕跡が残っているのです。

〓たとえば、中期高地ドイツ語で、長母音 î [ i: ] を持っていた単語は以下のようになります。



   zît [ 'tsi:t ] [ ' ツィート ] 「時」。中期高地ドイツ語
   Zeit [ 'tsaɪt ] [ ' ツァイト ] 現代ドイツ語
   צײַט tsayt [ 'tsaɪt ] [ ' ツァイト ] イディッシュ


   wîȥ [ 'wi:ts ] [ ' ウィーツ ] 「白い」。中期高地ドイツ語
   weiß [ 'vaɪs ] [ ' ヴァイス ] 現代ドイツ語
   װײַס vays [ 'vaɪs ] [ ' ヴァイス ] イディッシュ



〓このグループでは、現代ドイツ語とイディッシュの音が一致しています。しかし、中期高地ドイツ語で、二重母音 ei [ ei ] を持っていた単語は以下のようになります。



   heiȥ [ 'heits ] [ ' ヘイツ ] 「暑い」。中期高地ドイツ語
   heiß [ 'haɪs ] [ ' ハイス ] 現代ドイツ語
   הײס heys [ 'hɛɪs ] [ ' ヘイス ] イディッシュ


   stein [ 'stein ] [ ス ' テイン ] 「石」。中期高地ドイツ語
   Stein [ 'ʃtaɪn ] [ シュ ' タイン ] 現代ドイツ語
   שטײן shteyn [ 'ʃtɛɪn ] [ シュ ' テイン ] イディッシュ



〓このグループでは、現代ドイツ語とイディッシュの音が一致しておらず、中期高地ドイツ語のままであることがわかります。ちなみに、語頭の st- は、すでに [ ʃt- ] になっていたことがわかります。




〓そういうようなワケで、現代ドイツ語で 「アイゼンシュタイン」 と発音する単語が、イディッシュでは 「エイゼンシュテイン」 となるのです。いわば、


   14世紀なかばのドイツ語の発音をフリーズドライで保存している


といったぐあいです。






  【 「アイゼンシュテイン」 という姓のユダヤ人もいる 】


〓実は、ロシア語の姓を調べると、


   Айзенштейн Ajzenshtejn [ アイゼンし ' テイン ] 「アイゼンシュテイン」


という姓のヒトがいます。オヨヨ…… どういうコッチャ?


〓ちょいと、「鉄」 という単語の変遷を調べてみましょう。



   îsen [ 'i:zən ] [ ' イーゼン ] 「鉄」。中期高地ドイツ語
   Eisen [ 'aɪzn ] [ ' アイズン ] 現代ドイツ語
   אײַזן ayzn [ 'aɪzn ] [ ' アイズン ] イディッシュ



〓オリョリョ? 「鉄」 という単語は、中期高地ドイツ語で î [ i: ] という母音を持つグループの単語だったんですよ。だから、イディッシュでは、


   「アイゼンシュテイン」 が正しい


のです。ぢゃぢゃぢゃぢゃぢゃあ、「エイゼンシュテイン」 はナンだ?ってことになりまさぁね。



               ネコ          ネコ          ネコ



〓イディッシュにも方言というものがあります。そりゃそうです。広い中東欧地域に広がって住んでいるのに、彼らには 「国家」 がありませんでした。「国家」 がなければ、標準語を定める機関もないし、それを統括して教育を施す機関もありません。


〓イディッシュの方言は、大きく


   「西イディッシュ」 と 「東イディッシュ」


にわけられます。


〓「西イディッシュ方言」 は、オランダ、スイス、フランスのアルザス=ロレーヌ、ドイツ、チェコ、スロヴァキア西部、ハンガリー北部で話されていましたが、早くから母語率は下がっていたようです。


〓ペスト流行の余波で、ユダヤ人が大規模に東方へ脱出したのちもドイツにとどまっていたアシュケナージ系ユダヤ人は、その約1世紀後、狭いゲットーに押し込められることとなりました。


〓いっぽうで、ドイツのユダヤ人は、国家や都市への財政的貢献度 ── すなわち、金をもたらすか否か ── で扱いが変わり、もっとも富裕な層は、国家や貴族のために資金を調達するだけでなく、経済顧問や財政管理までおこなうようになり、貴族として von の称号さえ与えられることもありました。


〓しかし、大多数の下層のユダヤ人はゲットーから出ることができませんでした。




〓それでも、ドイツのユダヤ人は、総じて、上昇志向を持ち、なんとかドイツ人と同化し、ドイツ人と同じ市民権を獲得しようと努力しました。
〓こうした意志こそが、彼らの話すイディッシュを “正しいドイツ語” へと変えていきました。


〓18世紀以来、


   啓蒙家のモーゼス・メンデルスゾーンの活動、

   フランス革命により、フランスのユダヤ人に市民権が賦与されたこと (18世紀末)、

   ナポレオン1世率いるフランス革命軍がドイツに進駐し、

          ゲットーのユダヤ人を解放したこと (18世紀末~19世紀初頭)、

   ドイツに産業革命の波が訪れ、投資家・出資者としてのユダヤ人が擡頭したこと (19世紀後半~)


── こうしたことは、一貫して、イディッシュの使用率を下げ、アシュケナージ系ユダヤ人をドイツ語化しました。


〓アンネ・フランク Anne Frank は、1929年 (昭和4年)、ドイツのフランクフルト・アム・マインの生まれですが、3歳か4歳の時に、一家ともどもナチス・ドイツを逃れてオランダに移住しています。彼女の書いた 『アンネの日記』 は “オランダ語” で書かれました。



               あじさい          あじさい          あじさい



〓イディッシュを近代まで保存していたのは、シュテトルというユダヤ人コミュニティーが成立していた 「東イディッシュ」 地域でした。


〓ポーランドが、プロイセン、オーストリア、ロシアに 「三国分割」 されると、ユダヤ人地域の大部分はロシア帝国に入りました。彼らは、ロシア帝国では冷遇され、移住や教育を制限され、隔離状態にあったため、逆に、この地域でのイディッシュの母語率は高いまま維持されました。


〓 19世紀末のロシアの国勢調査では、


   ユダヤ人が、イディッシュを母語とする割合は 97%


となっています。つまり、第一次世界大戦やロシア革命が起こるまでは、この地域のアシュケナージ系ユダヤ人の日常言語は、そのほとんどがイディッシュだった、ということでしょう。



〓ところで、近代までイディッシュを維持した 「東イディッシュ方言」 にも大きく3つの方言圏があり、


   リトアニア、ベラルーシ方言
   ポーランド方言
   ウクライナ、モルドヴァ方言


に分かれます。


〓現在では、YIVO ייִוואָ [ イィヴォ ] “Institute for Jewish Research” という機関が、イディッシュの標準語を定めていますが、それは、「リトアニア、ベラルーシ方言」 をベースにしているようです。

〓ということで、「エイゼンシュテイン」、「アイゼンシュテイン」 の語頭の 「エイ」、「アイ」 に当たる文字 ײַ を各方言でどう発音するか比べてみやしょう。



  【 「東イディッシュ」 の各方言における ײַ の発音 】

   ay [ アイ ] 標準イディッシュ (超方言的な文語音)
   ay [ アイ ] リトアニア、ベラルーシ方言音
   ā [ アー ] ポーランド方言音
   ā [ アー ] ウクライナ、モルドヴァ方言音



〓ポーランド、ウクライナなどの方言に現れる長母音の ā は、 ay 「アイ」 が変じたものと考えられます。なぜならば、


   イディッシュには、そもそも、長母音が存在しない


からです。ドイツ語の長母音はすべて二重母音で受けます。おそらく、


   [ ] → [ ] → [ a: ]


という変化ではないでしょうか。一般的に、「アイ」 という二重母音は、「エー」 になることが多いんですが、イディッシュには、すでに、 [ ɛɪ ] という二重母音が多用されているため、これとの接近をさけるため、より広い母音へとシフトしたんでしょう。




   リガ
   エイゼンシュテインが生まれた19世紀末ごろのリガ



〓ところで、エイゼンシュテインは、現在のラトヴィアの首都 “リガ” の生まれです。「リトアニア、ベラルーシ方言」 地域でしょう。するってえと、標準文語音 Ayznshteyn と同じ、 Ayznshteyn 「アイズンシュテイン」 であったハズです。

〓さすれば、「アイゼンシュテイン」 でなく、「エイゼンシュテイン」 であった理由は、ドイツ語の影響から


   過剰修正した


としか考えられません。


〓リガというのは、最初に、フィン=ウゴル系のリーヴ人 (リヴォニア人) が住み着き、そこに、ラトヴィア人が進出してきましたが、人口はまばらでした。
〓12世紀から、ドイツ人の商人や傭兵などが移住を始め、13世紀初頭にはドイツ騎士団が植民を始めます。13世紀後半には、リガはハンザ同盟に加盟。つまり、リガというのは、ドイツ人が建設した都市だったんです。


〓リガは、その所属をスウェーデン、ロシアと変えながらも、都市におけるドイツ人の優位は続き、1891年 (明治24年) に、市の公用語がロシア語に切り替わるまで、ドイツ語が公用語として使われていました


〓エイゼンシュテインが生まれたのが、1898年 (明治31年) ですから、彼の両親が生まれたころのリガの公用語はドイツ語だったことになります。


〓おそらく、ドイツ語とイディッシュとの微妙な綴りの “食い違い” が、エイゼンシュテイン家を悩ませたに違いないんですね。


   Eisenstein [ 'aɪznʃtaɪn ] [ ' アイズンシュタイン ] ドイツ語形
   אײַזנשטײן Ayznshteyn [ 'aɪznʃtɛɪn ] [ ' アイズンシュテイン ] イディッシュ形


〓先にも書きましたように、ドイツ人が優位である地域では、つねに、イディッシュはその影響を受けます。ただ、その地のユダヤ人自身の考え方により、


   ドイツ語に迎合するような影響を受けるのか、
   ドイツ語から離反するような影響を受けるのか


が決まるわけです。
〓一般のアシュケナージ系ユダヤ人に、


   ドイツ語の Eisen  ei  Stein  ei は起源がちがう


などということが分かろうハズはありませんでした。さすれば、


   אײַזן ayzn は “ドイツ語化” した語形だ


という誤解が生まれてもおかしくありません。それを “正しいイディッシュに戻す” という 「過剰修正」 がおこなわれれば、


   אײזנשטײן Eyznshteyn [ ' エイゼンシュテイン ]


という、どんな方言にも存在しない語形が生まれます。エイゼンシュテインが生まれたときには、リガの公用語は、すでにロシア語に切り替わっていますから、公的書類には、


   Эйзенштейн Ejzenshtejn [ エイゼンし ' テイン ]


と書くことになります。アクセントが後ろに移っているのは、ロシア人の発音グセによるものでしょう。ロシア語として綴られたイディッシュ姓は、合成語の後半の単語にアクセントが置かれます。





  【 ヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ “こうもり” 】


〓1874年 (明治7年) に、ヨハン・シュトラウス2世によって作曲され、初演されたオペレッタ、


   『こうもり』 »Die Fledermaus« [ ディ フ ' れーダァマオス ]


には、


   Gabriel von Eisenstein [ ' ガーブリエーる フォン ' アイズンシュタイン ]


という裕福な銀行家が出てきます。


〓オペラのガイドブックなどを見ても、この名前が意味するところは書かれていません。しかし、19世紀後半のウィーンの観客にとって、この名前の意味するところは “自明” だったんですね。


   Eisenstein  ユダヤ人


〓さらに von を付けて 「嫌み」 を増幅しているわけです。ユダヤ人で、貴族の von の称号を持っているのは、「宮廷ユダヤ人」 (独 Hoffaktor [ ' ホーフファクトァ ]、英 Court Jew) と呼ばれる、国家や貴族に資金を提供したユダヤ人銀行家でした。


〓ウィーンには、18~19世紀に “宮廷銀行家” をつとめた


   von Arnstein 「フォン・アルンシュタイン家」


がありました。 Arn は現代ドイツ語の Aar [ ' アーァ ] 「ワシ」 の古期高地ドイツ語形です。中期ドイツ語では、 -n が落ちて、 ar となり、現代語で Aar です。


〓今、手元のイディッシュ語辞典を引いても 「ワシ」 には、 אָדלער odler [ ' オドれル ] という、現代ドイツ語の Adler [ ' アードらァ ] に当たる単語しか載っていないんですね。フシギだ。
〓「アルンシュタイン」 とは、「ワシ」+「石」 です。解釈によっては、「ワシのとまる巖 (いわお)」 とも取れます。しかし、~stein というユダヤ姓のパターンに従っただけ、とも言えます。



〓『こうもり』 の von Eisenstein という名前の下敷きには、この von Arnstein があったと考えてもいいんではないかしらん。 Gabriel は旧約聖書に現れる名前であり、ドイツ人もユダヤ人も使います。



〓19世紀を通じてユダヤ人は富を蓄積し、気がついてみると、一般のドイツ人やオーストリア人は、軽蔑の対象であったユダヤ人よりも、自分たちのほうが貧しいという事態におちいっていました。
〓それゆえ、ユダヤ人に対する彼らの怒り・恐れは増幅し、ユダヤ人を


   「いやしいニワカ成金」


とみなす風潮がありました。『こうもり』 の 「ガーブリエール・フォン・アイゼンシュタイン」 という人物は、まさに、そういう設定と考えるべきでしょう。



〓今となっては、そういう点を強調するような演出はしないでしょうし、あるいは、演出家も出演者も、そうした当時の時代背景に気がついていないかもしれません。





〓というわけで、「エイゼンシュテイン」 という名前から、いろいろ、考えてみました。