〓9月25日の 「タイムショック」 を見ました。アッシとしましては、
菊川怜 さん、 眞鍋かをり さん
の2点ガケ、いや、もとい、2人を応援しておりました。
〓眞鍋ネエサンは、クイズ番組に出ると、いつでも、今ひとつのところで正解にたどり着かないんですね。
〓また、クイズ番組における菊川怜さんというのは、どうも、前評判のワリには成績がふるわない……
〓今回は、菊川怜さんは、初めて決勝まで残りました。残りました、ではありますが、
には、けっきょく、かなわないんですね。
〓今回、北野大 (きたの まさる) センセは、スタジオ入りしていませんで、別撮りした 「解説」 のビデオをクイズのあいだに挿入していました。
〓でですね、「ヘチマ」 に関して、こういう解説がなされていたんですね。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ヘチマは、なぜ、ヘチマと呼ばれるようになったのか、みなさん、ご存じですか?
ヘチマは、もともと、イトウリと呼ばれていたんですが、江戸時代、イトウリの 「イ」 が抜けて、
「トウリ」 と呼ばれるようになりました。
この 「ト」 は、イロハ歌の中で、「ヘ」 と 「チ」 の間にあることから、江戸の人がシャレて、
「ヘチマ」 と呼ぶようになったそうです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
〓バックに、効果音として 「へぇ~」 なんて声が入ってました。お茶の間でも、「へぇ~」 と唸 (うな) ったヒトは多かったと思います。
〓北野センセは、自信たっぷりに言っておられました。おられましたが、もちろん、先生は、放送作家のつくった台本を読んだだけでしょう。
〓今、ここで Wikipedia の 「ヘチマ」 の項を見てみましょう。
――――――――――――――――――――
本来の名前は果実から繊維が得られることからついた糸瓜 (いとうり) で、
これが後に 「とうり」 と訛った。「と」 は 『いろは歌』 で 「へ」 と 「ち」 の間にあることから
「へち間」 の意で 「へちま」 と呼ばれるようになった。今でも 「糸瓜」 と書いて 「へちま」 と訓じる。
――――――――――――――――――――
と書いてあります。
〓まったく同じことですね。あるいは、「タイムショック」 の放送作家は、Wikipedia を見たのかもしれない。
〓この説明の中の 「基本的な誤り」 を、まず、1つ指摘してみましょう。
もともと、「イトウリ」 と呼ばれていたものが 「ヘチマ」 になった
〓これはまったくの間違いです。 「ヘチマ」 という呼び名は、江戸時代に入る少し前に現れています。しかるに、「イトウリ」 という呼び名が現れたのは、ほぼ 「江戸時代の中ごろ」 です。もう、それだけでも、この説がオカシイことがハッキリします。
〓「ヘチマ」 が 「“ヘ” と “ち” の間」 である、という説を最初に唱えたのは 『物類称呼』 (ぶつるい しょうこ) という江戸時代中期 (1775年) の 「方言辞典」 です。
〓この方言辞典は、今でいうところの越谷市 (こしがやし) 出身の俳諧師 (はいかいし) 越谷吾山 (こしがや ござん) が編んだ、日本で最初の方言辞典です。
〓江戸幕府が開かれる前年の 1602年に、日光街道の宿駅制度の整備のために、江戸から3つ目の 「越ヶ谷宿」 (こしがやじゅく) が設けられました。この越ヶ谷新宿 (こしがや しんじゅく) の開発領主が 「会田家」 であり、吾山という人物は、その子孫です。
〓吾山は、早くから江戸に出て、俳諧の道に進みます。本名は、会田秀真 (読みは不明)。越谷吾山 (こしがや ござん) は俳名 (はいみょう) です。
〓この吾山という人物が、「方言に凝る」 という独創的な趣味を思いついたんですね。おそらく、当時は、誰も重要だとは考えなかった “お国言葉” を取り憑かれたように集め始めた。
〓ヨーロッパで 「方言学」 が始まったのは 19世紀です。ヨーロッパにおけるパイオニアは、ドイツの 「ゲオルク・ヴェンカー」 Georg Wenker というヒトで、その研究が始まったのは、1876年 (明治9年) だと言います。
〓してみれば、
『物類称呼』 1775年刊
というのは、ヨーロッパの方言学よりも1世紀も早いことになります。
〓この 『物類称呼』 (ぶつるいしょうこ) に、「へちま」 は 「“へ” と “ち” の間」 である、という説があらわれるのです。
――――――――――――――――――――
或人 (あるひと) の曰 (いわく) へちまといふ名はとうりより出 (いで) たり、
其故 (そのゆえ) はとうりのとの字はいろはのへの字とちの字の間なれば、
へちの間といふ意にて、へちまとなづくるとぞ
――――――――――――――――――――
〓このとおり。
【 年代があわない 】
〓この説は、今では、まっとうな学者は取り扱わないと思います。民間語源説というヤツです。
〓吾山の時代には、『日本国語大辞典』 もなければ、インターネットもないわけですから、民間語源説を載せるほかはなかったでしょう。しかし、現在では、ちょっと調べれば、この説がおかしいことはすぐにわかるのです。
【 へちま 】 の初出年 1595年 『羅葡日対訳辞書』 (らほにちたいやくじょしょ)
――――――――――
【 いとうり 】 の初出年 1775年 『物類称呼』
【 とうり 】 の初出年 1775年 『物類称呼』 信濃方言となっている
〓『羅葡日対訳辞書』 (らほにちたいやくじしょ) というのは、イエズス会の宣教師と日本人修道士とが共同で編集した 「ラテン語―ポルトガル語―日本語辞典」 で、1595年に長崎で刊行されました。
〓「初出年」 (しょしゅつねん) というのは、始めて文書に記された年です。過去のすべての文字資料が残っているわけではないし、話しコトバでは使われても、文字には書かれないコトバというのもあるので、「この例が、絶対的に最初の用例である」 というワケではありません。つまりは、
少なくとも 「初出年」 には、すでに存在したコトバである
ということです。これはガッテンできますよね。
〓初出年はご覧のとおりです。「へちま」 は 「いとうり」 の 180年前に記録されており、
「いとうり」 → 「とうり」 → 「へちま」
という順番でコトバが派生した可能性は、まず、ありません。
〓さらに、ここに問題がもう1つあります。『物類称呼』 では、
糸瓜 へちま。信濃にてとうりと云 (いい)、薩州にてながうりと云 (いう)、
とうりは糸瓜 (イトウリ) の上略なるべし
と記しています。
〓ところがギッチョンチョン、「トウリ」 という語形が記録されたのは、この 『物類称呼』 の一例だけ なのです。『日本国語大辞典』 では、「とうり」 を立項さえしていません。
〓近代・現代に記録された 「へちま」 の方言語彙に当たっても、「いとうり」 の語頭の 「い」 が落ちた語形は、日本じゅうどこにも見当たらないのです。ですから、
――――――――――――――――――――
ヘチマは、もともと、イトウリと呼ばれていたんですが、
江戸時代、イトウリの 「イ」 が抜けて、「トウリ」 と呼ばれるようになりました。
この 「ト」 は、イロハ歌の中で、「ヘ」 と 「チ」 の間にあることから、
江戸の人がシャレて、「ヘチマ」 と呼ぶようになったそうです。
――――――――――――――――――――
という説明はメチャクチャであることがわかります。「とうり」 というコトバは、1775年に、信濃方言として記録された一例しかないんですから。それなのに、そのコトバをもとにして、江戸っ子がシャレたと?
〓TVで紹介される語源なんてのは、万事、こんなぐあいです。日本に限らず、
語源説というのは、シロウトの発想でとなえてもいいのだ
という風潮があります。そりゃ、うまい説を思いつけば確かにおもしろうガスし、ヒトにしゃべりたくなります。酒席のオヤジの語源説なら、それでもよござんしょう。しかし、
大学教授をTVに出して、テキトーな語源説をばらまく
のは、どうなんだろう、と。
〓これが、たとえばですよ、物理学とか、医学の問題であったらどうです。放送作家が、インターネットでテキトーに調べた説を、大学教授をつかって、TV画面でしゃべらせる、なんて……
【 「ヘチマ」 の語源 】
〓はっきり言って、「ヘチマ」 の語源は不明です。いろいろなコトバを語源だと言って引っぱりだしたところで、たいしてオモシロクもありません。
〓ただですね、日本語における 「ヘチ」 という音は、ある時代に突然あらわれ、ある種のネガティブな意味合いを含んで、今日まで造語要素として伝わっているのです。
〓ちょっと、『日本国語大辞典』 から 「へち」 で始まるコトバを拾って、時系列でならべてみましょうか。
【 丿観 】 [ へちかん ] [人名] 安土・桃山時代の茶人。京の人。
山科に小庵を設けて、侘び茶を事とし、奇行をもって聞こえた。生没年不詳。
【 へちま 】 ── 『羅葡日対話辞書』 1595年
【 へちまの皮 】 ヘチマの種子などを取り除いたあとの繊維。垢すりなどに用いる。
── 『日葡辞書』 (にっぽ~) 1603~04年 (江戸時代のドアタマ)
【 へちまの皮とも思おもわず 】 つまらないものとさえ思わない。少しも意に介しない。
何とも思わない。へちまとも思わず。へちまの皮。へちとも思わず。
── 『醒睡笑』 (せいすいしょう) 1628年
【 へちまのだん袋 】 [ ~のだんぶくろ ] 「へちまの皮」 に同じ。
── 『誹諧発句帳』 (はいかいほっくちょう) 1633年
【 丿観風 】 [ へちかんふう ] 丿観流 (へちかんりゅう) の風儀、おもむき。おどけた茶の湯の趣向。
── 『東海道名所記』 1659~61年ごろ
【 へちま瓜 】 [ へちまうり ] 「へちま」 に同じ。
── 俳諧 『遠近集』 (おちこちしゅう) 1666年
【 へち糞 】 [ へちくそ ] 物を卑しめていう語。つまらないもの。また、そのさま。
── 俳諧 『花の雲』 1702年
【 丿観流 】 [ へちかんりゅう ] 京都、上京に住んだ丿観 (へちかん) の行なった茶道で、
おどけた、風変わりな茶の会を催したという。
── 随筆 『老人雑話』 1713年
【 へちまう 】 迷いうろつく。さまよう。徘徊する。へちまよう。
── 浄瑠璃 『信田森女占』 (しのだのもり おんなうらかた) 1713年
【 へち回る 】 うろつきまわる。さすらいあるく。
── 浄瑠璃 『末広十二段』 (すえひろじゅうにだん) 1715年ごろ
【 へちまとも思わず 】 「へちまの皮とも思わず」 に同じ。
── 浮世草子 『風俗遊仙窟』 (ふうぞくゆうせんくつ) 1744年
【 へちとも思わず 】 「へちまの皮とも思わず」 に同じ。
── 談義本 『地獄楽日記』 1755年
【 へちめんどい 】 いやに面倒である。変に面倒くさい。
── 浄瑠璃 『義仲勲功記』 (よしなかくんこうき) 1756年
【 へちを舞う 】 うろたえる。あわてふためく。
── 『川柳評万句合』 (せんりゅうひょう まんくあわせ) 1770年
【 へち物・へち者 】 風変わりな物。また、風変わりな人。変人。
── 浮世草子 『世間化物気質』 (せけんばけものかたぎ) 1770年
【 へちる 】 ふつうと異なる。一風変わる。
── 浮世草子 『世間旦那気質』 (せけんだんなかたぎ) 1773年
【 へち物好き 】 [ へちものずき ] 風変わりな物を好むこと。また、その人。
── 浮世草子 『小児養育気質』 (しょうにそだてかたぎ) 1773年
【 へち 】 一風変わったことをすること。一風変わっていること。また、そのことや人。
── 随筆 『秉穂録』 (へいすいろく) 1795~99年
【 へち物喰い 】 [ へちものぐらい ] ふつうの人の食べないようなものを、
わざと、または好んで食べること。また、その人。いかものぐい。
── 歌舞伎 『伊勢音頭恋寝刃』 (いせおんど こいのねたば) 1796年
【 へち迷う 】 「へちまう」 に同じ。
── 歌舞伎 『伊勢平氏栄花暦』 (いせへいじ えいがごよみ) 1782年
【 へちを巻く 】 うろたえる。あわてふためく。
── 『俳風柳多留』 (はいふう やなぎだる) 1808年
【 へちむくり 】 「へちむくれ」 に同じ。
── 滑稽本 『浮世床』 (うきよどこ) 1813~23年
【 へちむくれ 】 (ヘチマの皮がむくれることの意からという)
人をののしっていう語。へちむくり。へしむくれ。へちゃむくれ。へちゃもくれ。
── 滑稽本 『大千世界楽屋探』 (だいせんせかい がくやさがし) 1817年
【 へちま野郎 】 ぶらぶらしていて役に立たない男をののしっていう語。へちま。
── 『俳風柳多留』 1833年
【 へち固い 】 [ へちがたい ] 非常にきまじめ・がんこである。
── 『諷誡京わらんべ』 (ふうかい きょう~) 坪内逍遙 1886年 (明治19年)
〓「へちま」 を冠したものは別として、これらのコトバに現れる 「へち」 という形態素 (けいたいそ=コトバの造語要素) は、出自がハッキリしません。
〓中には、 「へちゃむくれ」 の語源となったコトバも見えますし、あるいは、 「しちめんどうくさい」 に似たコトバもあります。「しちめんどうくさい」 は 1902年 (明治35年) が初出なので、順番から言えば、
「へちめんどい」 → 「しちめんどうくさい」
という変化でしょう。方言形には、西日本の各所に、この中間形にあたる 「ひちめんどうくさい」 があります。
〓ここにならべたコトバの中には、どうも、いちばん最初に挙げた 「丿観」 (へちかん) の名に由来すると思 (おぼ) しきものがあります。
〓神沢杜口 (かんざわ とこう) という人物の書き残した随筆に、
――――――――――――――――――――
「丿観流 (へちかんりゅう) の事 茶の会に丿観流と云者有り (いうものあり)。……
私曰 (わたくしいわく) 世諺 (せいげん) に異風なる事を丿た (へちた) 事と云ふ (いう) も
是より出たり (いでたり) と或記 (あるき) に在り (あり)」
―― 随筆 『翁草』 (おきなぐさ) 巻之六一 1791年
「丿観流のこと。 茶会に “丿観流” (へちかんりゅう) というものがある。
世間的に、普通ではないことを “へちた” ことと言うのも、
これ (丿観流) に由来するのだ、と、物の本にある」
――――――――――――――――――――
とあります。実際の語源であるかは別として、当時のヒトは 「へちる」 を 「丿観」 に結びつけていたことがわかります。
〓同類のコトバとして、「へちまう」 (さまよう)、「へちまわる」 (うろつきまわる)、「へちめんどい」 (変に面倒臭い)、「へちを舞う」 (うろたえる)、「へちもの」 (風変わりな物、変人)、「へちまよう」 (さまよう)、「へちを巻く」 (うろたえる)、「へちがたい」 (非常にきまじめである) なども挙げられそうです。
〓「丿観」 (へちかん) という人物は、千利休 (せんのりきゅう) と同時代の茶人です。しかし、奇人として名を馳せた茶人で、高価な茶器などを使わず、手取釜 (てとりがま) 1つで、飯も炊き、茶も点 (た) てたそうです。
〓「丿観」 は、「丿貫」 などとも書き、Wikipedia では、こちらで立項されています。また、マンガ 『美味しんぼ』 に登場する 「丿貫」 という人物は、この 「丿観」 から名を取っているようです。
〓この 「丿観」 という人物が、ながらく伝説の人物であったろうことは、その後のコトバの経歴を見るとわかります。「丿観」 が 16世紀後半に名を馳せた茶人だとすれば、
【 丿観風 】 [ へちかんふう ] 1659~61年ごろ
【 丿観流 】 [ へちかんりゅう ] 1713年
というコトバは、彼の死後、100年、200年のあいだにあらわれているのです。さすれば、「へち」 というコトバの持つニュアンスも、100年、200年と伝わった可能性があります。
〓さらに興味深いのは、「へちま」 というコトバが、おそらくは、「丿観」 (へちかん) と、ほぼ同時代にあらわれていることです。初出が、安土桃山末期の 1595年としてみれば、実際に、巷間で使われ始めたのは、これより5年前とか、10年前である可能性があります。
〓このコトバが、中国語 (“丝瓜” sīguā [ スークワー ]) や朝鮮語 (“수세미외” su-se-mi-we [ スセミウェ ]) に存在する 「ヘチマ」 を意味する語彙とまったく類似していないからには、やはり、日本語であろうと考えざるをえないわけですが、
「丿観」 の 「丿」 (へち)
という字ですね。これ、ぶら下がっているヘチマに似てませんか。まあ、語源説というほどのものでもありません。
「丿観」 の 「丿」 は、ヘチマみたいな形をしている
ただそれだけです。
〓この 「丿」 という字は、とりわけ、何かの熟語に使われるわけではありません。漢字の 「ノ」 という画の呼び名です。逆の画を 「乀」 (ホツ) と言います。
〓現代中国語では、
丿 piĕ [ ぴエ ]
乀 fú [ フー ]
と言います。やはり、字画の名前であって、意味がありません。古代では、「丿」 は 「撇」 (ベツ・ヘイ・ぬぐう・はらう) と同字であったと言います。
【 撇 】 piĕ [ ぴエ ] 投げ出す、投げつける、「丿」 の画、口をへの字に曲げる
〓興味深いのは、
【 撇拗 】 [ ベツヨウ ] 「風変わりで、不細工なこと」
という熟語があることです。もっとも、この熟語は現代中国語ではまったく使われないようで、Yahoo! China で検索すると4件しかヒットしません。
〓「丿観」 (へちかん) という茶人は、何を思って、「丿」 という文字を引っぱってきたのか、とても、興味深いですし、また、同時代にあらわれた 「ヘチカン」 と 「ヘチマ」 に何か関係があるのか、はたまた、関係ないのか、そのアタリを想像してみるのも、これ、ナカナカ一興です。
〓あるいは、「丿観」 について、さらに詳しく調べると、何か出てくるかもしれませんし、はたまた、何も出てこないかもしれません。
〓まことにオソマツさまではありますが、要は、「丿観」 の 「丿」 は “ヘチマの象形文字” みたいだ、ということを、ちょっと言ってみたかっただけなんですね…… 毎度、シリキレトンボで申し訳ござらん。