この「幸せの割合」を「幸福度」と名付けましょう。
「欲しいと思う事」が10あり、「達成された事」が5の場合、「幸福度」は50%になります。
では、「幸福度」を上げる方法はなんでしょうか…?
小学生の「算数」ですね…
一つは、分数の分子を増やす。
つまり、「達成された事」が増えると「幸福度」は上がります。
「欲しいと思う事」が10あり、「達成された事」が8の場合、「幸福度」は80%…
もう一つは、分数の分母を減らす。
つまり、「欲しいと思う事」が減ると「幸福度」は上がります。
「欲しいと思う事」が5あり、「達成された事」が4の場合、「幸福度」は80%…
前者に比べ、後者は「達成された事」が半分なのに、両方とも「幸福度」は同じ80%です。
プラクティカルに考えると、「欲しいと思う事(状態)や物」を手にすること(増えること)は難しい時代だと感じます。
現代社会は「緻密なマーケティング」よる様々な製品の情報が、あらゆるメディアを通じて私たちに
「これを買って~っ!」「早く買わないと売り切れるよ!!」とメッセージを送り続けています。
「製品」だけではありません。
「生命保険」「損害保険」は、「亡くなったら家族はどうする」「事故を起こしたら大変だ」と不安を煽ります。
いつのまにか分母の「欲しいと思う事」がどんどん増えていき、「幸福度」は下がってきます。
老子の言葉「足るを知る…」ではないですが、「欲しいと思う事(状態)や物」を吟味してはどうですか…
「吟味」とは「念入りに調べ、選ぶこと」と辞書にはあります。
「吟味」する。 言い替えれば、考察し、考証し、熟考して、取捨選択するということ…
私事で恐縮ですが、「自己破産」した当時、所有していた「クルマ(自動車)」を手放しました。
罹患するまで何台もの「クルマ」を乗り換え、クルマのある生活が「当り前」だった私は、
「軽自動車の中古車」でもいいから「欲しい」という欲求を感じました。
しかし、財産の全てを「差し押さえ」されていたので購入することは叶いませんでした。
「クルマ」を手に入れられないことで、私の「幸福度」はとても低く感じていたと思います。
しかし時が流れ、最近思うのですが、
「クルマ」なんて排気ガスをまき散らすだけだし、自転車の方が「健康」にはプラスです。
ガソリン代や駐車スペース等の維持費、どこかに出かけてもパーキング探しに苦労する…
もしもの為に「保険」にも加入しなければならない。
バスや電車を利用すれば、都会に住んでいるので、「行きたい所」に簡単に行けます。
どうしても体調不良などでバスや電車が辛く感じる時は、タクシーを使えばいいだけです。
つまり、「クルマ」が欲しいという「欲求」を
本当に必要か…
何故必要なのかと、欲しいモノを「考察し」、
昔はどうだったと「考証し」、「熟考」を重ねる。
「それがない」生活をイメージする。
そして代わりの方法はないかと、また考える……
多くの場合、「持たない(買わない)」という「判断」が、とても合理的な納得のいく「判断」に変化します。
「モノ」に限ったことではないと思います。
「恋人が欲しい」「友人が欲しい」「結婚したい」etc…
恋人・友人・結婚は「相手」がどう考えるかがポイントですから、自分の気持ちだけではどうしようもありません。
それでも「〇〇〇したい」という結論になったとき
あなたは、きっと「〇〇〇したい」ということを、日々の生活の「最優先課題」として行動し、
日々「願い」、「想い」、「行動」するでしょう…
するといつの日か「〇〇〇〇〇したい」という「欲しいと思う事や物」を、あなたは手にすることができると思います。
多くの「成功者」が、このような体験を語っています。
「幸せになる方法」にはセオリーなんてありません。
一人ひとりが違った「取捨選択」をする、オーダーメイドだと思うのです・・・
nico