Akkoさんがまたまた素晴らしい作品を作られた
既に何人かのブロガーが「拡散」していただいている
うつ 薬 自殺企図 わたしの経験
http://www.youtube.com/watch?v=Dlywmq8GbeQ
Nicoは最近「自殺」という表現を極力使用しないように心掛けている。
理由は「自死遺族連絡会」代表の田中さんの意見に賛同・共感する部分が多いが、
情報発信者のリテラシー(1)を考慮すると、一般的に同じ行為と思われる「自殺」と「自死」に深い所で違いがあるとNicoは感じる。
「自殺」と「自死」のどちらが正しい表現などと論ずるつもりはない、Akkoさんは彼女の意図する目的のため「自殺」という表現をされたのだし、田中さんもまた同じである。
Akkoさんは自身の作品に必ず「わたしの場合」とか「わたしの経験」という様に「わたしの・・・」というタイトルで、この作品は「わたしの主観」ですと断ったうえで持論を展開される。リテラシー的に聡明な選択だとNicoは思う・・・
では何故Nicoは「自殺」という言葉を極力避けるのか・・・
人間は皆平等にいずれ「死」を迎える、しかし他人を殺せば「他殺」そして自分自身を殺せば「自殺」という表現になる
しかしこの「殺す」という行為はやはり「とても異常な行為」であり、残された遺族・友人にとっては「自分の意志で死ぬ時期を選択した」と思えるほうが痛み・悲しみは少しでも癒されるのではないかとNicoは感じる・・・
故にNicoはこのブログの目的の為に「希死念慮」という表現を使用している・・・
(1) リテラシー
日本語では「識字」、この場合の「字」は文字情報を意味する。
簡単に説明すると「情報を認識する能力」のこと。