みなさま、おはようございます。大空巡夢です。
先日、発表した企画も、最終日24日ということで、進めておりましたが、
いろいろと想定外のことも起こったりして、この先の展開が読めない状況が生じつつありました。
実は、一昨日朝に、茨城県の実家で病気療養中の父の意識がなくなり、病院に運ばれたという連絡が入り、
その後、昼過ぎに、意識が戻った、という知らせが入って一応、一安心したのですが、
また、夕方に、再び意識がなくなった、大変みたいだ、と知らせがあり、
東京から、実家、茨城、常陸太田の病院まで駆けつけたのでした。
夕方4時ごろから8時ごろまで意識がない状態がずっと続いてて、その後、ようやく意識が戻ったとのことで、
私が到着した9時半ごろには、少し目を開けて、呼びかけに、うなづいたり、手を少し動かしたりしていたのでした。
これまでずっと酸素吸入器を着用してきた父でしたが、
機械が人工呼吸器に変わり、それで呼吸をしている状態でした。
何本ものコードやら管があって、機械を自分で外してしまったりしないように、両手とも、あまり手が動かせないように、くくられてもいて、何とも痛々しげな可哀そうな姿でありました。
皮肉なことにこの日(21日)は、父の82歳の誕生日でもありました。
そんな日に倒れ、生死をさまよい入院。
この数年間、入退院を繰り返しながら、生きながらえてきた父ですが、何度か、危うい状況に陥りながらも、奇跡的とも思えるように、回復し、ここまで来ました。
しかし、今回、その日の夕から夜にかけては、かなり厳しい状況だったようでした。
意識が戻るも、この後、果して大丈夫だろうか?という不安を抱えたまま、一晩越えました。
しかしながら、翌朝、昨夜とは打って変わって、目もしっかり開け、手も盛んに動かして、人工呼吸器のため、話すことができないのですが、何やら、何かをしゃべろうとしており、だいぶ良くなっていたのでした。
もちろん、まだまだ手は固定されていてあまり動かせないし、口元の呼吸器が違和感をかなり感じてそうで、外したがっているのがわかるし、もう少し回復していかないと、本人もまだまだ大変そうではありますが、それでも、昨夜よりはかなり元気になっていました。
家族や親戚も少し安心し、私も、また帰路に着きました。
ところで、父は、これまでも数度、大きく容体が悪化し、危ない、と言われた時があったのですが、
それでも、その度に、運良く回復してきました。
お医者さんから、普通だったら駄目だった、と言われたこともいくつかあった気がします。
最近は、少し回数が増えました。先月半ば、今月に入ってから、そして、16日に再び退院したばかりでした。
過去を思い起こすと、これは以前、どこかで記事の中でも少し書いたかもしれないのですが、
なぜか、私の大きな転機となるような時期にそのような父の病状の悪化が重なることがあまりにも多いのです。
4年前にも、私が腰痛で3週間ぐらい苦しんでいた時期、全く同じ期間に、父が急に入院し、私の心身共の回復と同じ日に退院するようなことがありました。
この時、私は腰痛の件を一切、親に話をしておらず、あとで、メールの記録などから、その日時の一致を確認したのでした。
そんなこともあって、私は、何年も前から、割と細かく、日々、あったことをなるべく記録に残すことをし続け、いろいろな出来事の関連性を見てきました。
そういう流れの中で、近年、本当に自分でも驚くような様々な物事の関連性、シンクロ現象、など見せられ、気付かされてきています。
これからまた、そういったことごとを整理して何か参考になるようなことをお伝えできたらと思います。
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