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・・・(再度経緯を大まかにまとめてみると、)
06年の秋頃から、ネットで自分が強く感じ得てきた事々を表現して(書いて)いくことから始まって、
07年それを高く評価して下さる方が現れたかと思うと、
今度は中傷批難を受け、傷つく中、自らの心の奥の課題に気付かされ、
新たなる心の解放の境地を得、
その後も心の試練を越えさせられながら、
08年の秋までに計100の詩が与えられていきました。
そして、09年には、その詩を通して出会わされた人とのやり取りを通して、未来を担う人に向けての心の上昇に至らしめるこれまでにないようなプログラムの青写真のようなものが見えてきて、詩の効果や力もしっかり確認することができました。
そして、なぜか詩の一節を書に表したことによって、それも呼び水ともなり、
06年秋頃から、ネットでの表現開始(ブログ掲載開始)とたまたま同じ時期から、避けられないような流れで、その管理に関わってきていたアパートの、その一室をギャラリーに変えて(・・・ここで同時期に始まった全く異なる二つの流れがつながったのでした・・・(99年にもつながる現象がありました(⇒二つ前の記事 ))・・・)、
そのアパートが建っている茨城県取手市にこれも偶然のように位置していた藝大美術学部、その学生やその他アーティストを巻き込むようにしていくような流れで、
ゴッホの黄色い家に象徴される、アーティストのユートピアにもつながっていけるような場を創造していくような運びに、これもなぜかたまたま外壁が黄色であったことにより、その実現に向けた一歩が踏み出されていったのですが、
(~99年の出来事は、政界において、当時、国のトップ(首相)クラスの方との不思議な関わり、そして、今回(06~)は政界ではなく、芸術の世界において、国を(象徴的に)代表するような立場(語弊が生じかねませんので、象徴的なと思って下さい)の藝大と、世界を代表するような立場のようなゴッホと不思議な関わりが生じてきているのです)
そして、常に、その過程においては、私自身が様々な心の葛藤、戦いが強いられてきたのでした。
例えば、次のようなもの、名誉欲、地位欲、財欲、色欲、こういったものを求めようとすると、というか、求めたくなるように、目の前にぶら下げられるような状況が不思議に迫ってきて(例えば、本の共著の話や、去年の春の、黒澤明監督関連イベントに関するオファーもそうでした)、
そして、それに安易に飛びつこうとしてしまうと、痛い目に遭ってしまったり、遭いそうになったりしてしまい、逆に、それを克服すると、次への展開が広がっていったりするのです。
大抵、人は欲しいものなら我慢せずに求める方がいいじゃないか、と考えがちですし、私自身も、心の奥ではそれらを明らかに求めている自分がいたのは事実です。
しかし、このような過程の中で、いくつもの試練を与えられ、七転八倒しながら、失敗や克服を重ねていく中で、それらによって、結局はどういう結果につながっていくのか、自分の心の中の、心の奥の、どの部分が未来に残っていくべく魂であるのかが、いろいろと見えてきたのでした。
一瞬の喜びや満足は得られても、いえ逆にその一瞬の満足がとても心地よく、天にも昇るような喜びを与えられたりもするために、私たちはついついそちらを得ようとしてしまうのですが、
それは大きな罠であるということを実感、痛感させられてきたのでした(まだお伝えしきれていない具体的な話はまた折を見て書いていこうかと思ってます)。
逆にそうでないものを求めていった時には、より永遠性の高い、より心深く満足できる結果やそれにつながる方向性や切っ掛けなどが目の前に与えられていくようになるのです。
そんな経緯の中で進められているのが今回のギャラリーなわけですが、
これまでも、トントンとある程度まで進んでは、また立ち止まり、もがき苦しみ(笑)、そして何かを克服して、次が見えてくる、、、
こういった繰り返しだった中で、
このギャラリーも、昨年後半は、そういう小刻みな繰り返しがあったり、
また、ある種、素人のような立場であるゆえの戸惑いや、新たな試みに対するそこはかとない不安などがあったことも事実であります。
しかしながら、このシリーズの記事の冒頭の方で書きましたが、昨年終盤までにはそれでも、97%ぐらいまでたどり着いた感があったのです。ですが、そこまでいきながら、なぜか、残りがすーーーっと行かないのです。
まさか、10年前と似たような流れもあるので、10年前、ある所で止まってしまったように、今回もついに止まってしまったのでしょうか(+_+)、、、
しかし、ようやくここへ来て、次が見えだしてきた感があります。
ただし、それがどうしてかというのは、まだ私の中で確定できる分析はできていません。後になってわかるということがあるので、その辺は、様子を見ていきたいと思います。
(続く)