第二百九十九話 朝顔に猫(下) | ねこバナ。

第二百九十九話 朝顔に猫(下)

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※ 前回 第二百九十八話 朝顔に猫(上)


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三日の後、半兵衛は千代と源助を伴って、日本橋本石町の薬種問屋長崎屋を訪ねた。
千代は風呂敷包を大事そうに抱え、源助は背に大きな壷を背負っている。

「旦那様、本当によろしいんでやすかねえ。あっしは心配で心配で」

長崎屋の門前で、源助が困り果てた顔を半兵衛の背中に向ける。半兵衛はちらと源助を見遣り、

「俺も詳しくは知らぬ。只あれを連れて来いと露庵に云われただけだからな」
「はあ」

あれ、とは件の白猫である。千代は風呂敷に包まれた竹駕籠を、ぎゅうと抱き締めた。

「御免」

半兵衛が声を張り上げると、中から小僧がひとり出て来る。井上露庵の求めで参上と言っただけで番頭が飛んで来て、半兵衛達はすぐに奥の間へと通された。源助は驚きと不安できょろきょろ辺りを見回し、千代も不安な面持ちで半兵衛の後に続く。

「長内様、お着きでございます」

と、畏まった番頭が平伏して言う。半兵衛と千代もその場にすいと座したので、源助は慌ててその後ろに控える。
するすると襖が開く。そこに居たのは、

「おう半兵衛、早かったのう」

井上露庵。そしてその脇には、山田朝右衛門吉睦。部屋の隅には吉睦の奥方、清の姿もある。

「さあ、客人がお待ちかねだ。入れ」

と露庵に促され、半兵衛は部屋の中央に進む。千代と源助はその後ろに回る。

「山田朝右衛門が門弟、長内半兵衛にございます」

深々と伏した半兵衛の背中越しに、千代と源助は見た。
大きく背の高い卓の向こう、大きな椅子に座る、二人の男。

「うむ、大儀」

そう半兵衛に声を掛けたのは、幕府の重鎮、老中青山忠裕である。
脇には長崎奉行遠山景晋が控え、じろりと半兵衛達を睨んでいる。
そしてその隣には、

「とっ、唐人」

源助が小さな声で叫ぶ。千代に見咎められた源助は、慌てて額を畳に擦り付けた。
くるくると巻いた、麦の穂の様な色の髪の毛、青い眼。彼はカピタン、即ち阿蘭陀商館長、ヘンドリック・ドゥーフその人であった。
長崎屋は、カピタンとその使節の定宿として使われていたのである。

「して朝右衛門よ、この男、噂通りの男であろうのう」

青山が吉睦に、やや不安げに尋ねる。

「ご心配は要りませぬ。青山様のお顔に泥を塗るような真似は、これなる長内半兵衛、決して致しませぬ故」

吉睦は涼しい顔で応える。本来、一介の浪人である朝右衛門吉睦が、老中と同じ部屋に座すなど有得ぬ事だが、刀剣の鑑定や屍体を用いた試刀、所謂「御様御用(おためしごよう)」の依頼などで、吉睦は幕府の重役達とも親交があったのだ。

「うむ。此度は遙々長崎から、阿蘭陀国の独立と云う、それは大事な報告を持って来られたのだが、公方様への拝謁が遅れ、カピタン殿はご立腹でのう。お詫びに何か余興は如何かと尋ねたら、侍の刀捌き、そして刀の切れ味を見たいと仰せだ。何とか機嫌を直して頂きたいものだ。のう遠山」
「は」

ふむう、と息を吐き、青山はちらりとカピタンを見る。するとカピタンは、すでに半兵衛の姿に興味津々の様だ。

「...彼が片腕の剣士なのかな、ロアン」
「...はい、ドゥーフ閣下。きっと良い余興になると思いますよ」

カピタンと露庵が、何やら不思議な言葉で話し合っている。半兵衛は平伏したまま、その妙な遣り取りを黙って聴いていた。

「では、早速準備を始めましょう。千代殿、源助、隣の部屋へ」

そう言うなり、露庵は千代と源助、そして大きな壷と風呂敷包と共に、隣室へと引っ込んでしまった。

   *   *   *   *   *

「お、奥様どうしましょう。ろ、老中様と、ととと唐人が」
「落ち着きなさいな源助」
「旦那様が何をなさるのか知りませんが、も、もしお咎めがあったら」
「そんな事にはなりませんよ」
「それというのも、こ、こいつの、こいつのせいで」
「源助! それは違います」
「いいえ奥様、そうでなければあっしらは」
「違います。この仔は、老中様や吉睦様、そして私達を、救ってくれるのですよ」
「へ、へえ」
「それに、旦那様を信じましょう。屹度ご立派に、役目を果たしてくださるわ」
「へえ…」
「さあ、そちらを持って」
「こ、こうでやすかい」
「そうそう。そのまま…」

そんな遣取りが隣室で繰り広げられていたが、一方、露庵は千代達に仔細を説明した後さっさと広間に戻り、カピタンの話し相手をかって出ていた。

「...日本の刀の切れ味というものを、私はまだ見た事が無い。だから信じられないのだよ。あのような細い刀身で、人の身体を切り落とすことが出来るなど」
「...ドゥーフ閣下の疑問は尤もです。西欧では切り落とす為の剣なら分厚く重いものが好まれるるようですからな。勿論我が国に於いても、戦争の続く世にあっては、そうしたものが使われておりました。しかしこの太平の世では、実戦の使い勝手を重んじるよりも、刀というモノが如何にあるべきかを追究することに傾いておるのです。「ワザモノ」としてこちらの朝右衛門殿が認めた刀は、その意味で洗練され磨き上げられているのですよ」
「...なるほど。では、その、ハンベエというこの男の技というのは」
「...彼の技は、罪人の首や屍体を切り落とす事に特化しております。まさに実用的な技術でしょうな。しかし我が国の武士というのは、刀と同様、実用以外の技にも磨きをかけてゆく必要があります。武士同士の斬り合いなど本来あってはならぬ事。それでも斬り斬られるという極限状態を想定して鍛錬を行う。これが剣の道と云うものですよ。彼の得意とするイアイヌキとは、そうした類の技です」
「...不思議なものだ」
「...そうですな。太平の世が産みだした突然変異の様なものです」
「...ふふふ、ロアン、長崎に居た時からそうだが、君は面白い喩えを使うな。医者ならでは、といったところか」
「...お褒めに与り恐縮ですな。では、そろそろ準備が出来た頃でしょう」

そう言って露庵は隣室へと消える。程なくして露庵と源助が、輿の様な台を持って現れた。
その真ん中には、大きな壷がひとつ、逆さに伏せて置いてあったのだ。

   *   *   *   *   *

「では、これより、山田朝右衛門が門弟、長内半兵衛の剣技を、ご披露いたします」

露庵が声高らかに宣言する。老中青山とカピタンの目の前には、逆さに伏せた大きな壷。
その左に襷掛で座すは長内半兵衛。
露庵はその周りを歩きながら、阿蘭陀の言葉で話し始めた。

「...これはマシコという土地で作られた頑丈な容器です。主に水を貯めるのに使いますが、このとおりの堅さ。しかも断面は空気をよく含んでおり、叩けば粉々に砕けてしまう。それをこの片腕の男が、すっぱりと切り落とす事が出来ましたなら、閣下、武士の技量の高さ、日本の刀の切れ味を認めてくださいますな」
「...うむ、もし出来れば、な」
「...それともうひとつ。もし首尾良く行きましたなら」
「...何だ」
「...閣下のお好きなものが、登場するやも知れませぬ。乞うご期待」
「...ほう」

「では半兵衛、何時でもいいぞ」

露庵はそう言って、すたすたと朝右衛門吉睦の隣へと引き下がる。半兵衛は深々とカピタン、そして老中に頭を下げ、片膝をついて壷に向かう。
右脇に差した刀に、半兵衛がゆっくりと左手を掛ける。
鞘の先が畳に当たり、かちりと鍔が音を立てる。
ひゅう、と半兵衛の口から、吐息が漏れ。
腰が軽く浮き上がる。
と。

つぴゅん
つぴゅん

正に一瞬。
光と風が壷の側面を、二度撫でた。

ぱちりと刀が鞘に収まる。

「失礼つかまつった」

半兵衛が平伏す。と同時に。
ずずず、と乾いた音がして、

「うわっ」

青山が思わず声を上げる。
カピタンは驚いて腰を浮かす。

壷の側面が、卓の方へ向かって、ごろごろどすんと転がった。

「おお、見事」

青山が声を上げた、その時。
ぱっくりと口を開けた壷の側面から見えたものがある。
腰程の高さの台に乗った竹駕籠。その蓋の留め金が、ぱらりと落ちた。

「ほお」

そして蓋が、ぱかりと開いて、

「ぴゃあ」

中からは、あの白い猫が、現れた。

「カッチェ!」

カピタンはそう叫んで、猫の許へと走り寄る。

「かっ、カピタン殿、そんな畜生めに」

青山は慌てふためくが、

「...ああなんて可愛いんだ。この白い毛、そして真っ赤な眼をしてるじゃないか。おおっ、これは!」
「ぴゃあう」
「...ロアン! この仔猫、素晴らしいぞ! まさに航海の守り神だ!」

カピタンはそう叫んで、仔猫を抱きかかえ高く掲げた。

「...そうでしょう。それはこれなる半兵衛の家で、大切に育てられているのです」

露庵はにこにこしてカピタンに話す。たまりかねた長崎奉行遠山が、

「露庵殿、一体どうしたのだね、カピタン殿は」

と尋ねる。露庵は、ぽかんと呆気に取られた一同に、説明を始めた。

「いえ、私が長崎で修業しておりました頃に、カピタン殿は大の猫好きだと知りましてな。特に白い猫が大層お好きなのですよ。それにこの猫、前足の指が七本もある珍しい猫でして」
「ほう」
「阿蘭陀や英吉利、亜米利加の船乗り達は、指の多い猫を珍重するのです。航海の守り神としてね。御覧なさいカピタン殿の喜びよう。すっかりこの猫に魅入られてしまったようですな。これも半兵衛と千代殿のお陰だ」

一同はカピタンに視線を戻す。すると、

「...ほうら、高いたかーい」
「ぴゃあう」

彼は頭の上に猫を乗せ、子供のようにはしゃいでいた。そして、

「...ロアン、この猫を私にくれないか」

と頼む。

「...閣下、それは出来ません。この猫は身体が弱いのですよ。長い旅には耐えられないでしょう」
「...そうか、それは残念。では、ええと、ハンベエと言ったね」

カピタンは屈み込んで、半兵衛に仔猫を差し出した。

「...頼みがあるんだ。この猫の肖像画を、誰かに描いて貰っておくれ。それを私は自分の船に飾ろう。航海の守り神として」
「ろ、露庵、カピタン殿はなんと」
「大切に育ててくれと。それからその猫を描いた絵が欲しいそうだ。それは俺が司馬江漢殿に頼んで置こう」
「そうか。では、カピタン殿、仰せの通りに」

半兵衛は深々と頭を下げ、白い仔猫を、押し戴くように受け取った。

「ありゃまあ、な、なんて事だ」

源助は呆けてその姿を見る。
千代も朝右衛門吉睦も、老中青山も、長崎奉行遠山も、信じられぬといった顔で、その奇妙な光景を見ていた。

   *   *   *   *   *

「いやあ、万事上手くいった。めでたしめでたし」

露庵はさも満足そうに、長崎屋の店先で伸びをしながら、そう言った。
事実、カピタンは上機嫌で半兵衛達に褒美をとらせ、老中青山と長崎奉行遠山も面目を保った。青山は大いに喜んで、朝右衛門に今後の後盾を堅く約したのである。

「どうだい源助、その仔猫は大切な航海の守り神だそうだ。それに、その猫がいなかったら、老中青山様は大変なお叱りを受けるところだったよ。そのとばっちりが朝右衛門に飛んでいたかもしれぬ。まさに仔猫様々だな」

と、露庵は源助に声を掛ける。

「はあ…しかし、そのう、あっしにゃ何だか信じられなくって」
「おやおや、源助は案外頑固だな」

からからと露庵は笑って、源助の背を叩いた。

「捨てる神あれば拾う神ありと云うではないか。お前の郷里では嫌われていたのかも知れぬが、ああして大事にする者達もまた居るのだよ。只見慣れぬ姿形をしていると云うて、忌み嫌うのは良くないな」
「へえ」
「それに、もしお前がこの仔猫を大事にしなければ、カピタン殿の祟りがあるかも知れぬぞい。ほれほれ」
「とっ、とんでもねえ。へへ~っ」

源助は腰を屈めて、猫の入った竹駕籠を、頭の上に押し戴いた。

「まあ」

千代が笑う。半兵衛は、ふふんと鼻を鳴らす。

「さあ、二人は先に帰っていておくれ。俺と半兵衛は吉睦殿の処に寄ってから帰るから」
「はい、では失礼いたします」
「ごめんくだせえ」

千代と源助は、露庵に深々と礼をして、仲良く並んで帰って行った。

「上手くいっただろう、半兵衛よ」

肘をぐりぐりと押し付けて来る露庵に、半兵衛は憮然として言った。

「ふん。要するに、お前が抱えていた厄介事を、俺達をダシに使って解決したのだろう。意地の悪い奴だ」
「あっ、お前可愛くないね。ちゃんと纏めてやったんだから、礼くらいは言って欲しいものだ」
「第一、指の多い猫が航海の守り神など、口から出任せではないのか」
「いいや、指の多い猫は物を上手に掴む事が出来るのでな、狭い船内に巣くう鼠共を退治するのに役立つのだそうだよ。何だ疑わしいか」
「さてな。それにだ。わざわざ俺が剣を振るうまでもなかったのではないか」
「そうはゆかぬさ。あれは朝右衛門吉睦殿が、遠山殿に頼んだのだ。近頃剣術の稽古でも控え目になり過ぎるお前を心配して、晴れの舞台を作ってくださったのだぞ」
「ふぬう」
「全て上手く事が運んだと云うのに、何だその仏頂面は」
「どうも、お前の掌で踊らされている様で、気に食わぬ」
「はああ、源助よりもお前のほうが困った男だのう。千代殿を見習って、素直に状況を受け容れたらどうだ」

大袈裟に嘆いて見せる露庵に、半兵衛はくるりと背を向けた。
猫の瞳のような上弦の月が、西の空に、くっきりと浮かんでいた。

   *   *   *   *   *

数日後。
隠遁生活を送っていた絵師の司馬江漢が、露庵に伴われて半兵衛宅を訪れ、白い仔猫の下絵を何枚も描いていった。カピタンが長崎へ出立する前に、絵を仕上げるのだそうだ。その折、

「あのう、司馬先生に、お願いがあるのですが」

千代はその老絵師に、ひとつの依頼をした。
ひと月も経たぬうちに、その依頼は果たされたのである。

「まあ。お前さま、ご覧くださいましな」

満面の笑みで、千代は一幅の掛軸を、半兵衛に披露した。

「おう」

脂色にくすんだ空。遠くには水平線が見え、異国の船が浮かんでいる。
そしてその手前には、竹の格子に巻き付いた朝顔が、立派な碧い花を咲かせ、

「ほら、お前の絵よ」
「ぴゃあう」

格子の隙間から、赤い目をした白い猫が、じいとこちらを見ていた。

「嬉しいわねえ、おう、よしよし」

我が子の様に白い仔猫をあやす千代の姿を、半兵衛は不器用な笑みを浮かべて、見ていた。そして、

「朝顔に猫、か。悪くない」

と、独りぼそりと呟いた。
朴念仁を自認する男は、この時初めて、絵に興味を持ったのである。




おしまい







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