第二百四十二話 手帳と予定(44歳 男 会社員) | ねこバナ。

第二百四十二話 手帳と予定(44歳 男 会社員)

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そろそろ手帳の季節、来年はどんな手帳を使いたい? ブログネタ:そろそろ手帳の季節、来年はどんな手帳を使いたい? 参加中
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「やっと終わりましたねえ」

そう行って、新人のサカイは背伸びをした。
今日はクライアントへの顔繋ぎのため、彼を連れて一日中歩き回っていたのだ。
自分のためだと知ってか知らずか、こいつは恐縮など微塵もせずに、一日の予定が終わったことを喜んでいる。

「明日からは、お前ひとりで回ってもらうんだからな。よろしく頼むぞ」
「任せてくださいよ」
「軽く請け合うんじゃない。仕事はそんなに甘かないぞ」
「はい、わかってます」

若干の不安を抱えつつ、俺はサカイと並んで歩き出した。
ようやく涼しさが感じられるようになった夕暮れ時。道行く人々も何処かせわしない。
そういえばこの頃、時間の経つのが妙に早い。ふん、俺ももう年だな。
苦笑して足許を見ながら歩いていると、

「あ、チーフ、ちょっと寄っていきませんか」

サカイが声をかけてきた。

「どうしたんだ」
「手帳ですよ手帳。来年のやつ。俺そろそろ買っておかなきゃと思って」
「あのなあ。そういうのはプライベートの時間にするもんだ。俺達ゃまだ帰社してないんだぞ」
「いいじゃないすかちょっとくらい。最近はいろんなのがあって、俺、迷っちゃって」
「まったく...。じゃあ俺は、そこの喫茶店で待ってるからな。さっさと済ませて来い」
「えっ、チーフはいいんですか手帳」
「俺はもう買うものは決まってるんだ。それに喉が渇いた。じゃあな、早くしろよ」
「はーい」

気の抜けた返事をして、サカイは文房具店の人混みへと紛れていった。
俺はまたもや苦笑して、古びた喫茶店のドアを開いた。

  *   *   *   *   *

アイスコーヒーの氷が溶け終わってしまう頃、サカイは軽い足取りで、喫茶店に入って来た。

「遅い」
「へへへ、すみません。でもいいのが買えましたよ」

サカイは小言を意に介さず、紙の包みを開いて、真新しい手帳を俺に見せびらかした。

「ほら、これ、月間予定のすぐあとに週間予定が書き込めて、しかも脚注みたいな欄があるんですよ。俺はけっこうきっちり予定を立てるほうなもんで、こういうのは助かるんです」
「へえ」
「チーフはどんなの使ってるんですか」
「俺はもう、十年ばかり、これさ」

俺は胸ポケットから、黒い革張りの手帳を取り出した。シンプルな、ただのメモ帳だ。

「ああ、モ◎スキンですか。そんなんでよくスケジュール管理できますね」
「俺にとっちゃ、こんなもんは備忘録に過ぎないからな。肝心なことは憶えているし、忘れちまうようなことは予定には入れないもんだ」
「へえ、やっぱすげえやチーフは」

サカイは何やら感心しているようだが、俺にとっちゃ、そんなにせこせこ予定を書き込むような手間こそ、無駄のような気がしてならない。

「しかしお前、こんなに早く買ってもしょうがないだろう。来年のことは来年でいいじゃないか」
「そうはいかないんすよ。俺は計画たてるのが好きなもんで。ほら」

と、サカイは鞄から自分の分厚い手帳を取り出し、俺に中を見せた。

「仕事の予定だけじゃなく、買い物とか、旅行とか、デートとか、ぜんぶ書き込んであるんですよ。あとで見返すのも楽しいもんすよ」
「へえ」

確かに、時間単位で予定がびっしり書き込まれている。たまに彼女らしき女性と撮ったプリクラが貼られている。こんなものを見せられてもな。俺は少々うんざりした。
と、俺の視線が、あるところで止まった。

「...血液検査?」

こいつ、まだ二十代半ばだというのに、どこか悪いのだろうか。

「どうしたんだお前」
「え、これっすか? いやあ俺のじゃないんですよう」
「じゃあ誰なんだ」
「ええとですね、じつは俺」

キョロキョロと辺りを見回して、サカイは小声で言った。

「チーフ、ナイショにしててくださいね」
「何をだ」
「じつは俺、ね、猫を飼ってるんですよ」

「なに? お前が、猫だって?」

俺は拍子抜けした。どんな一大事かと思ったら、猫だと。

「いやあの、いちおうペット禁止んとこに住んでるもんで。あんまりオープンにはできないっすよ」
「ほう」
「チーフは口が堅そうだから言うんですよ。よろしくお願いしますよ」
「は、まあそんなことは俺がとやかく言うことじゃない。好きにすればいいさ」
「よかったあ」

サカイの奴、心底ほっとしているようだ。
しかしよく見ると、こいつの手帳には、猫に関することが、かなり詳しく書いてあるようだ。

「フード買出し予定、砂取替え予定、美容院...これ全部、猫の予定か」
「えへへ、じつはそうなんす。うちの猫、シルビアっていうんですけどね」
「ずいぶんオトメな名前だな」
「いやあ、かわいいんすよ。ほらこれがシルビアで」

と、サカイは手帳のうしろに入っていた写真を取り出して見せる。なるほど、明るい灰色のチンチラか。

「ふうん」
「こいつの予定は、すぐに新しい手帳に書き込むんすよ。むこう一年の予定なんて、すぐに埋まっちまいますよ」
「おいおい、そんなに必死になって予定立てなくたっていいだろう」
「そういうわけにはいきません。シルビアはちょっと腎臓が悪いんです。だから健康診断はばっちり予定に入れとかないと」
「予定が狂ったらどうするんだ」
「すぐに訂正しますよ、むこう一年分。俺がこんなに計画魔なのも、じつはシルビアのせいでしてね」
「はあ...すると、新しく買ったその手帳も...」
「ええ、家に帰ってすぐに、シルビアの予定を書き込みます。あ、仕事の予定は、なるべく優先しますんで、ご安心を」
「なるほど。なるべく、ね」

俺は感心した。というか、呆れた。

「...チーフ、呆れてますね」
「ああ。いやはや、恐れ入るよ。そこまでして飼い猫に尽くすとはね」
「いやあ、照れるなあ」

別に褒めているわけじゃないんだが。

「さて、じゃあ社に戻るぞ」

俺が腰を浮かしかけたとき、

「あ、俺もアイスコーヒーね」

サカイのやつ、ちゃっかり注文しやがった。
そのあと二時間ばかり、俺は奴のシルビア自慢に、付き合わされる羽目になったんだ。

  *   *   *   *   *

やれやれ。今日は予定が狂ったな。俺は重い足取りで、マンションの自室に帰って来た。
シルビアの予定、ねえ。あんなに手帳にみっちり書き込みやがって。
まあ、その気持ちも判らないでもない。

がちゃり。

「うみゃ~ん」
「ミクちゃん、ただいま~~ん、良い子にしてたか~い」
「うみゃ~うん」

そうさ。俺だって、愛するシャム猫ミクの予定は、ばっちりなんだからな。
俺はミクを抱いて、ベッドルームのカレンダーを見る。
そこには。

「ほうら、あしたはいっしょにお散歩でちゅよ~。あさってのごはんは手作りしまちゅからね、そして日曜日は、くるまでいっしょにおでかけちまちょ~ね~」

俺のカレンダーは、ミクの予定でいっぱいだ。しかもみっちり、むこう二年分。

「うみゃ~」

ミクは、ざりざりと俺のあごを舐める。

「うれちいでちゅね~、むふふ」

俺は、むこう二年分の幸せな時間を想像し、ひとりニヤけていた。
さて、今日の予定を片付けてしまわねば。

「さあ、今日はシャンプーとブラシちまちょーね~、遅れてごめんなちゃいね~」

そのことばを聞いた途端、

「ふぎゃっ」

ミクは一目散に逃げ出した。

「うわっ、ミクちゃ~ん、逃げちゃだめでちゅ~」

ずどどどどどっどどどどど

シャンプー嫌いなミクだが、これはだいじな予定なんだ。

「逃げちゃだめええええ」
「しゃー」
「ミクちゅわ~ん」

俺とミクの追いかけっこは、日付が変わるまで、続いた。

よ、予定が。




おしまい



※ 第百八十三話 おめでとお(44歳 男 会社員) もどうぞ。





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