第二百二十二話 猫のお医者さん・夏の病気編(中)  | ねこバナ。

第二百二十二話 猫のお医者さん・夏の病気編(中) 

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あったかい。
じんわりと、僕の頬に熱が伝わる。
この熱は、ああ、あの看護士さんの。
あったかいなあ。僕はもんわりと温められて。
あたためられて。
あたため。
あた。

あづ。

あづい。

あづいいいいいいい

「あっぢいっ!」

僕は思わず飛び起きた。
かんかん照りの真っ昼間。僕はどうやら、ざらついたコンクリートの上に寝そべっていたらしい。訝りながら辺りを見回す。
さらさらと木々がざわめいている。周りは背の高い草が茂っていて、向こう側がどうなっているのか、よく判らない。かすかに潮の香りがする。
ここはいったい何処だろう。僕はどうしてこんなところに。
僕は確か、あの医者に、猫の医者に。

「おう、なんだお前」

ドスの利いた声にびっくりして振り向いてみると、そこには、大きな猫がいた。
薄汚れた白い身体に、ところどころ黒い斑がついている。かなり怖い顔だ。

「新入りか」

猫はそう言って、僕のほうへ近付いて来る。

「えっ」
「何処から来たんだ」
「そっ、それは」

僕は慌てて、手でその猫を制しようとする。
そう、手を差し出したつもりだったんだ。なのに。
僕の目の前には、猫の手が。灰色の虎模様の、猫の手が伸びていた。

「なっ」

顔を両手で触ってみる。太くて固いヒゲが生えている。耳はなんだか後ろのほうだ。
もしかして、僕はほんとうに。

「ほ、ほんとうに、猫になっちゃったのか」

びっくりして後ずさりする。

ぶにっ。

「ふぎゃん!」

何かを踏んだ途端、お尻に激痛が走った。
そこには尻尾が。
僕のお尻に、尻尾がはえている。
愕然とする僕に、白い斑猫は怪訝そうな目を向けた。

「大丈夫かお前」
「え? いやあの、その」

僕がうろたえていると、周りの草むらから、ぞろぞろと猫が現れた。

「新入りか」
「新入りだ」

ぞろぞろ、ぞろぞろ。
一体何匹いるんだろう。僕はすっかり、猫の大群に、取り囲まれてしまった。

「で、お前、何処から来たんだ」

斑猫は面倒臭そうに聞く。でも僕は何と答えていいものやら判らない。

「ああああの」
「判らねぇのか」
「まあ...その...そんなとこです」
「全く困ったもんだな。猫神さんも、あんまり勝手に新入りを寄越さんで欲しいもんだが。まあいい、状況が飲み込めてない猫が突然ここに飛ばされて来るのはよくあることさ」

斑猫はそう言って、顔をごしごしと洗った。周りの猫達もうん、うんと頷いている。
僕はいまいちどころか、さっぱり状況が飲み込めない。ただ、こいつらとうまくやっていかなきゃいけないってことだけは、なんとなく判る、ような気がする。

「俺はハンペンって呼ばれてる。この島の、まあ顔役みたいなもんだ。よろしくな」
「ああ、どうも」
「お前、名前は」
「名前? ええと...」
「なんだ名前も憶えてねえのか。まどろっこしいな。じゃあお前は、チクワだ」
「ち、チクワ?」
「そうだ。みんなよろしくな、こいつは、チクワだ」

「チクワ」
「チクワー」
「うまそう」
「じゅるり」

こうして僕は、突然何処からか迷い込んで来た新入り猫の、チクワ、ということになってしまった。

  *   *   *   *   *

がんがんがんがんがん

少し遠くで、何か鍋のようなものを叩く音が聞こえる。
すると猫たちの眼が、ぎらぎらと光った。

「ごはんだ」
「トメばあさんちの」
「ごはんのじかんだ」
「それいけっ」

ずどどどどどどどどど

物凄い数の猫が、音のするほうへ向かって走り出した。

「えっ、これ、どうしたの」

僕はハンペンに聞いてみた。

「ああ、この先に住んでるトメばあさんがな。飯の時間だぞって、知らせてるんだ。もっとも、そこいらにカリカリをばらまくだけだから、俺達全員が喰えるってわけじゃねえんだけどな」
「へえ」
「ともかく、だ。お前も腹拵えくらいしといた方がいいぞ。いくらこの島が猫の楽園だからって、飯は自分の器量と才覚で勝ち取るもんだからよ」

そう言ってハンペンはにやりと笑い、すたすたと行ってしまった。僕は慌ててハンペンの後についていく。
舗装された坂を駆け上がっていくと、小さな家が見えてきた。その玄関先には、何十匹という猫が群がっている。

「うわ、すごい」
「ううむ、今日は競争率高いな」

ハンペンは眉間に皺を寄せ、それでもずい、ずいと人混み、いや猫混みをかき分けて中に入って行く。僕も真似をして、ずい、ずいと押し入ってみた。

「ほうれもっと食え~」

ばらばらばらばらばら

頭の上に何かが降って来た。固くて乾いた粒状のものだ。

「うわー、くれくれ」
「おいらのだいっ」
「あたしのよっ」

僕に向かって、いや僕に降りかかった粒々に向かって、猫達が飛びかかってくる。

「うわちょっと」
「どけっ」
「尻尾が邪魔だって」
「耳かじるな耳っ」

ひっちゃかめっちゃかにされながら、僕はただじたばたするだけだ。

「のわーーー」

そうこうしているうち、食事に満足した猫達は、一匹、また一匹といなくなり、ぎゅうぎゅう詰めだった庭先も閑散としてきた。
にこにこして粒を撒いていたおばあさんも、何時の間にかいなくなった。
最後には、僕とハンペンだけが、そこにぽつねんと残された。

「おいチクワ、早く食えよ」
「え」

ハンペンに言われて、僕は物凄く腹が減っていることに気が付いた。
足下には泥まみれのキャットフードが散乱していたが、僕は端っこの敷石に散らばっているやつを選んで、かりぽり、かりぽり、と食べた。
味はよく判らなかったけれど、なぜだろう。
切なさがじんわりと、喉元を通っていった。

  *   *   *   *   *

「さて寝るか」

うーん、と背伸びをして、ハンペンが言った。

「え、寝るの」
「そうさ。飯を食ったら寝なきゃしょうがねえだろ。他にすることなんてねえしな」
「はあ」
「ほらお前も、そこらで寝てろよ。日陰だから涼しいぞ」

そうして、ハンペンはごろんと横になった。しかし、

「あの、そこって、道のど真ん中じゃないの。危ないよ」

僕はそう言ってみたんだけれど、ハンペンは意に介せずこう言う。

「は? 道だろうが屋根だろうが関係ないさ。気持ちいいところが、即ち寝床。当然のことだろう」
「はあ」
「それにな、ここは猫の楽園だからな。人間どもは俺達に危害を加えたりはしないさ。もし通りたきゃ、避けるなりどかすなりするだろう」

そういうものなのか。
しかし辺りを見てみると、道のあちこちに、所かまわず猫がごろごろと横になっている。まるでそこいら中が自分の住処だと言わんばかりに。
僕は溜息をついて、ごろりと横になった。見るとハンペンは、もう高いびきをかいて熟睡している。怖ろしく寝付きがいいみたいだ。
そういえば最近夜更かし続きで、眠ろうと思ってもなかなか寝付けなかった。昔はこんなんじゃなかったんだが。最後に気持ちよく眠りにつけたのって、何時のことだろう。
いやそれより、僕はこんなところに来て、これからどうなるんだ。まさか、このまま猫の生活を、死ぬまで続けなきゃいけないのだろうか。
あの猫の医者、治療だって言ったじゃないか。それなのにどうしてこんなことに。

僕は悶々としていたが、そのうち、自分でも気付かないうちに、眠ってしまった。

  *   *   *   *   *

「おいチクワ、起きろよ」
「ふぇ」

眼を開けると、ハンペンのどアップ顔が迫っていた。

「うわっ」
「何驚いてんだ。俺は港に行くからな。ついて来るんなら来てもいいぞ」
「港」
「おう。魚をくれるおっちゃんたちの所に行くのさ」

そう言ってハンペンはのそのそと坂を下って行く。辺りを見ると、さっきまで寝そべっていた猫達の姿はない。ひとりぼっちにされるのも不安なので、僕はそそくさと、ハンペンのあとに続いた。

僕は猫という生き物のことは、ほとんど知らなかった。
テレビで見る猫は、飼い主の膝の上とかクッションの隙間とかで、いかにもだらだらと暮らしていた。随分お気楽な生き物だと思っていたんだ。
しかしこうやって、ハンペンが「猫の楽園」と呼ぶこの島で、猫として行動してみると、彼等はなかなかにしたたかで、そして案外規則正しい生活を送っていることが判る。餌をくれる人や場所を憶えていて、そこをどんなスケジュールで巡るか決めている奴が多い。当然、餌をめぐっての争いがあちこちで起きるが、一度勝負がついてしまうと、争いのことはすぐ忘れてしまうようだ。そんなことに長く関わりあっちゃいられねえ、とハンペンはいう。
驚いたのは睡眠時間の長さだ。一日の半分くらいは寝てるんじゃないだろうか。眠るのがもったいなくて色々詰め込んで、結局寝不足になってしまう僕とは大違いだ。

「ふう、食った食った」

小魚をたんまり貰って満足したハンペンは、港の片隅に摘まれた木箱の上で、ごろんと横になった。

「ねえハンペン」

僕はハンペンの隣に座って、聞いてみた。

「なんだ」
「この島は、なんで猫の楽園って言われているの」
「ああ、そのことか」

ハンペンは寝そべったまま、大きく伸びをした。そうして、ごろんとおなかを出して、僕を見た。

「そうさな。あんまり細かい事情を話してもしょうがねえだろうから、はしょって言うぞ。ここは昔から、猫を神さまとしてあがめる習慣があるのさ。島のてっぺんには、猫を祀った神社もある。昔から魚をとって暮らしていたこの島の人間にとって、猫ってのは、漁の守り神なんだそうだよ」
「へえ」
「だから、島の人間は、猫をいじめたり、傷付けたりしねえ。犬を飼うことだってしないんだぜ。まあ、他の街がどんなのか、俺は見たこたぁねえが、本土から飛んで来たウミネコが教えてくれたんだよ。ここは間違いなく、猫の楽園だってな」
「ふうん」

楽園か。確かにそうかも知れない。しかし。

「でも、街で人間に飼われてる猫は、もっといい暮らしをしてるんじゃないの。ここの猫のほうが...なんだか、大変そうに僕には見えるけど」

これは僕の正直な感想だ。するとハンペンはむっくりと起き上がって、空を見た。

「ああ、そんなことを教えてくれたウミネコもいたよ。家の中でぬくぬく暮らす猫がいるってな。まあ、それもいいだろうさ。だが、もっと酷いめにあってる猫達の話も聞いたぞ。都会ってなあ、そういう差が激しすぎるんじゃねえのかい。だったら俺は、みんながそれなりにのんびりできる、この島のほうがいいねえ」
「ふうん」
「どんな楽園だって、そうお気楽には暮らせないだろうさ。人間の「天の道」にだって、五つの苦しみがあるって、寺の和尚さんが言ってたぜ」
「ふううん」
「結局、何が幸せなんて、判りゃしねえのさ。俺達猫は人間みてぇに色々考えたり作ったりしねえからな。その場その場で、いかにのんびりお気楽に暮らすか! これが猫の生きる道ってもんよ」

そう言って、ハンペンはにやりと笑った。
なるほど、それは確かにそうかも知れない。その場その場で、ねえ。

「さあ、今日はここで寝るかな」

ふわぁ、と大きな欠伸をして、ハンペンは改めてごろりと転がった。
僕もなんだか眠くなってきたので、ハンペンのすぐ下の箱の上に蹲った。
浜風がそよそよ吹いて、気持ちがいい。楽園か。これが。
僕がうとうとしかけたとき。

「おういハンペンよ」

頭上で何かが叫んだ。
びっくりして起き上がってみると、僕とハンペンのすぐ上で、一羽のウミネコが羽ばたいている。

「ぬぁ? 何だよ俺ぁ眠いんだよ」

ハンペンは不機嫌そうに言う。

「ハンペンよ、その新入りをな、猫神さんがお呼びだぞ」

ウミネコはそう言って、けけけ、と笑った。

「全くもう、猫使いの荒い神さんだ...」

ハンペンはのそりと起き上がり、不機嫌な顔を僕に向けた。

「しょうがねえ。チクワ、行くぞ」
「い、行くぞって何処へ」
「決まってるじゃねえか。猫神さんとこだよ」

のそのそ歩くハンペンに、僕は続いた。
目指すは島のてっぺん。猫神様の、お社だ。



つづく




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