第二百二十一話 猫のお医者さん・夏の病気編(前) | ねこバナ。

第二百二十一話 猫のお医者さん・夏の病気編(前)

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その日はどうも、朝から調子が悪かった。
飲み過ぎなのか風邪なのか、それとも食あたりなのか過労なのかさっぱり判らない。しかしとにかく、頭がぼうっとする。食欲もない。おまけに全身だらりとして力が入らない。
これでは駄目だ。僕は会社を休み、病院に行くことにした。

最近越してきたばかりで、この街のことはよく知らない。でも、おとといコンビニに寄ったとき、そのはす向かいの路地に、小さな病院を見つけたのだ。
確か「◎◎診療所」と書いてあったはず。僕はぼんやりする頭を押さえながら、その路地にのろのろと入った。

「ここか」

こざっぱりとした門構え。しかしその内側にはもさもさとソテツやら何やらたくさんの木や雑草が生い茂っている。まるでジャングルのようだ。そしてその奥に、ペンキのはげかかった大きな扉が見える。どうやらかなり古い病院のようだ。
改めて、門に掛けられている薄汚い看板を見てみる。すると、

「ネコマタ×診療所」

ネコマタの後の文字がかすれてよく読めない。ようく顔を近づけて見てみるが、やはり判らない。
まあいいさ、中に入って聞けば...と、僕はのろのろ扉の方へ歩いた。

ぎいいいいいい

物凄い音を立てて扉が開き、中から誰か出てきた。
真っ白な髪の毛がぼさっと垂れ下がった、おばあさんだ。
扉の陰からのそり、のそりと現れる。片手に杖をついて、何かぼそぼそ喋りながら、僕に近付いて来る。

「...ったく、あんなマタタビじゃ効きゃしないよ...もっとドカンと強烈なのを...」

とか何とか。
そうして僕にまるで気付かないかのように、のそのそ歩いて行ってしまった。
なんだか怪しいな。僕は少し怖くなり、一旦帰ろうと思って外に足を向けた。そのとき。

「どうしました?」

高く澄んだ声が、病院の中から聞こえた。
振り返ると、薄暗い病院の玄関に、真っ白な制服を着た看護士さんが。
黒髪がきれいな、とびきり美人の看護士さんが、立っていた。

「は、はい、ああああの」
「診察ですか?」

にっこり笑ってそう問われると、僕はもう頷くしかない。

「こちらへどうぞ」

促されるまま、僕は薄暗い病院の中へと、入り込んでしまった。

  *   *   *   *   *

待合室には誰もいなかったので、僕はすぐに診察室へと通された。

「どうぞ」

看護士さんに案内されて入った診察室は、まるで戦時中の映画にでも出て来そうな、古臭い感じだ。いつのものか判らない人体解剖図や、色あせた骨格標本が置いてある。重そうな木で出来た棚の上には、どう見ても人間のものじゃない頭骨が転がっていた。

「おすわりください」

僕はつぎはぎだらけの丸椅子に腰掛けた。すると。

「どうしました?」

くるりと大きな椅子が回転し、僕に向き直る。
お医者さんの姿はない。えっ、一体どうなってんだ。僕が驚いているところに、

「どうしました?」

また同じ声が聞こえた。
大きな椅子の上からだ。そこには、猫が。
白衣を着て、ちょこんと行儀良く座った、黒猫が一匹。

「えっ、まさか」
「まさかもカカシもあるかい。どうしたのかと聞いてるんだよ私は」
「ううううわあああ」

僕はあんまり驚いたので、丸椅子から転げ落ちてしまった。

「ねっ、ねねね猫が、しゃべってる」
「喋っちゃ悪いのかね」
「え、いいやそんなことは」
「ふうん、どうやら君、本物だね?」
「え?」

その猫は僕をじいと見る。何かを観察しているようだ。ひとしきり僕の顔をねめ回したあと、猫は顔をごしごしと洗いながら言った。

「やはり本物だ。こいつは珍しい。人間を診るのは何年、いや何十年ぶりだろう。なあナベシマ君」
「はい先生」

美人の看護士さんは、にこにこしてその猫にそう言う。せ、先生?

「ってことは」
「うん?」
「こ、この猫が、病院の先生?」
「こら指差すな無礼者。猫が医者ではいかんのかね」
「いやそんなことは」
「そうだろう。全く最近の人間は、猫の神通力を甘く見ているから困る。ま、そんなことはどうでもいいんだ。どうしたのかね君は。何処か具合が悪いのかね」
「え? あ、はあ」

僕は手短に、自分の症状を説明した。猫はうんうん、と頷きながら聞いている。ナベシマと呼ばれた看護士さんは、カルテにせかせかとメモをしているようだ。

「なるほど。じゃ、診てみようか。まず口を開けて。あーん」

と猫はいう。

「あーん」

僕が言われたとおりに口を開けると、

「なんだもっと大きく開きなさい。見えないじゃないか」
「ああーー」
「駄目だ駄目だ。ほらこういうふうにな。あーーーーーん」

猫は大口を開けた。ぎらりと牙が光る。

「せ、先生、怖いですっ」

僕は思わずのけぞった。

「ああ失敬。ともかくほれ、あーん」
「あーん」

猫はじろじろ僕の口を診て、ふんふん、などと鼻息を鳴らしている。

「ふむう。じゃあ胸を出してみなさい」

言われたとおりにシャツをめくると、看護士さんが後ろから僕のシャツを持ち上げてくれた。
ひんやりした指が身体に当たって心地よい。

「むふ」

思わず声に出してしまった。

「なんだ君」
「へ? いやなんでも」
「ふん。じゃあ、大きく息を吸って~」
「すう~~~」
「はいて~~~」
「ふぃ~~~」

なんてことをしていると、猫は僕の胸に聴診器を当てている。なのに、肝心の耳に当てる部分は首にひっかかったままだ。ほんとに聞こえてるのかな。

「はい背中向けて」

僕がくるりと回ると、猫は僕の背中に手を当てた。そして、とんとん、とんとんと叩く。
時々爪がちくちくささって痛い。しかし。
相変わらず看護士さんは僕に寄り添って、シャツを持ち上げてくれている。
いい匂いだなあ。ひくひく。

「はい終わり」

べちん。

「いたっ!」

猫が思い切り背中を叩くもんで、僕は飛び上がってしまった。

「ふうむ、熱もないようだし、喉にも臓器にも異常なし...するとやはり」

猫は深刻そうな顔をして、考え込んでいる。
僕はシャツを直しながら、不安な心持ちで、猫を見ていた。

「うむ、あれだなナベシマ君」
「あれですか」
「あ、あれって何ですか」

凄く気になるじゃないか。一体どんな病気だと言うんだ。

「教えてくださいよ」
「うん。その前に...あのナベシマ君」
「はい」
「小休止だ。ちょっと頼むよ」
「はい先生」

すると看護士さんは、ひょいと猫を抱き上げ、猫の座っていた大きな椅子に腰掛け、膝の上に猫を乗せた。
そうして。

「かゆいところはありますか」
「うん、ちょっと右」

猫の頭や背中、ほっぺたを、撫で回し始めたのだ。

「あら先生、わきの下に毛玉が」
「うん、取ってくれたまえ」
「肉球も押しておきましょうね」
「ああううう...ふるふる、ぐるぐる」

素敵な看護士さんの膝の上で。
細い手で優しくなでなでしてもらって。
なんて幸せそうな顔してるんだ。
う、うう、ううう

「うらやましい」
「む、何か言ったかね君」
「え? いいいや何でも」
「はい終わりましたよ先生」
「今日は短いな」
「患者さんがいらっしゃるんですから、今日はこのへんで」
「そうか? むむう」

猫はいかにも残念そうな顔で、また椅子の上に座らせられた。

「さて君」
「は、はい」
「君の病気はね...恐らく、あれだ、ダレダレ病だな」
「だ、ダレダレ病?」

僕はびっくりした。というより、唖然としたのだ。そんな病名聞いたこともない。

「どんな病気なんですか」
「うむ、この暑い時期にな、脱水症状でも熱中症でも風邪でも食中毒でもない、倦怠感を伴う不思議な病気があるのだよ」
「それは、あのう、精神的なものとか」
「そうかも知れないがね。人間の世界では鬱病とか何とか言われているらしいが、本当のところは、原因は別にあるのだ」
「その原因って何ですか」
「それはね...いわゆる、猫成分の不足だな」

「ね、猫成分?」

またもや聞いたことのない言葉だ。しかも少し巫山戯てる気がする。

「そうともさ。いいかね、古来猫というのは、人間の周辺で生活してきたのだよ。ひと昔前まで、猫はあちこち自由に行き来し、地域の治安と鼠害防止に役立ってきたのだ。ところが近年室内飼いが増えたことで、猫成分はその家の中にしか充満しなくなったのだ」
「はあ」
「猫というのは、休息時間と活動時間を几帳面に切り替える動物だ。休むべき時は休み、動くべき時は動く。このバランスが大事なのだよ。そのバランスを司るのが、所謂猫成分。医学用語ではヴィタミンF/C と呼ばれているがね」
「はああ」
「現代の人間は、このバランスを欠いているものが多い。特にお盆休み開けにこの症状が多く出るようだね。君は実家に帰ったのかね」
「はあ、まあ」
「たっぷり休めたかね」
「まあ...あ、いや、地元の友達と遊びに行って...飲み会やカラオケやバーベキューで...ついつい遊び過ぎましたね」
「ほらご覧。そうした行動に出るというのも、猫成分の欠如から起こるのだよ。君に必要なのは、猫成分の摂取だ。しかも大量のな」

そう言って、猫はもっともらしく、うんうん、と頷いた。
しかし、そんなものどうやって摂取するんだろう。

「それは、あの、お薬とかがあるんですか」
「いいや、そんなものはまだ開発されておらん」
「じゃあ、ちゅ、注射ですか」
「そんな怖いことは私はしないよ」
「えっ、それじゃあどうやって」
「まあ聞きたまえ」

猫は手で僕の言葉を遮って、こりこりと狭い額を掻いた。

「一番いいのはね、君を猫の世界に浸らせることだな。しかも、どっぷりとね」
「ど、どっぷり」
「さよう」
「どうやるんですか、その、どっぷりってのは」
「そりゃあ君、君が、猫になるんだよ」
「は?」
「猫になって、猫生活を楽しむことだな。それが一番の治療法だ」

難しそうな顔をして巫山戯たことを言う猫だ。僕は少し怒って、

「そんなこといったって、どうやって猫になれっていうんですか」

と反抗してみた。すると猫は、

「そりゃあ簡単さ。ナベシマ君」
「はい先生」

看護士さんに目配せした。すると看護士さんは、がらがらと低いベッドのようなものを押して来た。

「どうぞ、横になってください」
「は」
「そうして、この木の棒を、かじってくださいな」

にっこり笑ってこの人に言われたら、僕はそのとおりにするしかない。
よろよろとベッドに横になり、細い木の枝の様なものを、口にくわえた。

「さて君。これから君に催眠術をかけるからね。そうすれば君はすっかり猫になる。たくさんの猫との交流を楽しみたまえ」
「はあ」
「ではナベシマ君、始めたまえ」
「はい先生」

すると看護士さんは、横向きに寝そべった僕の後ろに回り、僕の肩と頭に手を置いて、

「はい、気持ちをらく~~に」

と優しく言いながら、撫でてくれた。

「はい、ゆっくり息をして~」
「すう~、ふう~」
「だんだん気持ちよくなりますよ~」
「すぃ~、ふぃ~」

き、気持ちよすぐる。
手の感触がなんともいえん。
それにいい匂いだ。
眼が自然にとろけて、周りの景色がぼんやりしてきた。

「さあいい子ね~」
「ぐるぐる~~」

だんだん僕のなかで、いろいろなものが溶けて、混ざり合っていくのが判った。
そうしてそのまま僕は、眠ってしまったのだ。



つづく




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