第二百五話 江戸っ子猫 其三 | ねこバナ。

第二百五話 江戸っ子猫 其三

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 前回  第二百四話 江戸っ子猫 其二


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ひゅうううううううううう

つむじ風が舞う路地のど真ん中を、のっしのっしと、ヤクザ猫モンジが歩いてきた。
脇にくっついてるチンピラ猫なんざ問題にならねえ。
しかし、モンジはほんとうに、つえぇんだ。
ここいらでタイを張れるのは、肝っ玉ミケくれぇのもんだ。

「ここはあたいに任せな。あんたらはさっさと逃げたほうがいいよ」

ミケがのっそり立ち上がる。
タマの野郎は、ありがてぇ、と情けねぇことを言って、さっさとトンズラしちまった。
しかし、おいらは。

「おいミケよ、今日はおいらが引き受ける」
「ちょっ、何言ってんだい」

ミケは仰天しておいらを見る。
そりゃそうさ。おいら、こないだあのモンジに、ひでぇ怪我を負わされたばっかりだからな。

「あんたがかなう相手じゃないって、嫌と言うほど思い知ったじゃないか」
「いんや、おいらも江戸っ子猫でぃ。このまま引き下がる訳にゃあいかねえ。きっちり御礼をしねえとな」
「やめときなって」
「へへへ、というのは嘘でよ。じつはミケ、おめぇに頼みてぇことがある」

おいら、ミケに顔を寄せて、小さな声で言ったんだ。

「おいらが奴らの相手してる間に、サマンサを逃がしてやってくれ」
「えっ、あのおチビちゃんかい」
「おうよ。あいつは逃げ足は早ぇようだが、喧嘩なんぞしたこたぁねえだろうからな。あのチンピラ二匹なら、おめぇに任せときゃ安心だ」
「ふん、何だい格好つけちゃってさ」

ミケは鼻を鳴らして不満顔だ。

「とにかく、無理するんじゃないよ。ケツまくって逃げんのはあんたの得意技だろ」
「へん、判ってるじゃねぇか」

おいら、にやりと笑って、前を見た。
キジトラのでっけえ顔したモンジが、じいっとこっちを見てやがる。
あの眼力。さすがのおいらも、震えが来るぜ。

「クマー」

サマンサがおいらを呼ぶ。

「さ、おチビちゃん、行くよ」

ミケがサマンサをせき立て、長屋の陰に消えていった。
と同時に、モンジの後ろにいたチンピラどもが、ミケを追って走り去っていった。

「なんでぇ、こないだの青二才か。まだ懲りねぇのか」

ドスの利いた声でモンジが言う。

「う、うるせぇよ。てめぇみてぇなジジイに、二度も不覚を取ったとあっちゃ、長屋猫の名折れでぃ」
「いい度胸してるじゃねぇか。今度は尻尾の怪我じゃあ済まされねぇぞ。ここいらを俺の縄張りと認めるんなら、命だけは助けてやる」
「けっ、てめぇなんぞに長屋を牛耳られてたまるけぇ。おとといきやがれっ」
「そうかい」

ずい、とモンジが足を踏み出す。もんのすげぇ圧力だ。
おいら、無意識に腰が引けちまう。

「覚悟しやがれ」
「てやんでいっ」

でっかな口を開けて、モンジが飛び掛かってきた。
おいらは必殺の前蹴りで抵抗する。

ぼかすか
ぼかすか
ぼかすかぼかすか

「ほう、やるじゃあねぇか」
「あ、あたぼうよ」
「じゃあ、こいつぁどうでぃ」

ぼかすか
ぼかすか
ぼかすかぼかすか

「なんでえ、もう終いか」
「う、うるへいっ、まだまだこれからよ」
「大口叩いていられるのも、今のうちだぜ。そらっ」
「ひっ」

ぼかすか
ぼかすか
ぼかすかぼかすか

「どうしたい、もう動けねぇのか」
「ひ、ひい、じょ、冗談じゃねぇ、誰がてめぇなんぞに」
「そうかい、そんなら」

ぼかすか
ぼかすか
ぼかすかぼかすか

ぼかすか
ぼかすかぼかすか
ぼかすかぼかすかぼかすか
ぼかすかぼかすかぼかすかぼかすか

  *   *   *   *   *

「ぜえ、ぜえ、ぜええええ」

やっぱりモンジは強かった。
おいらはあちこち傷だらけで。
もう、動くのもやっとだ。

「く、くそう」
「ざまぁねぇな。こないだみてぇに、さっさと逃げちまえばいいものを」
「や、やや喧しいっ! こちとら江戸っ子でぃ。醜態を二度も晒せるかってんだ」
「その意地も今日限りだ。覚悟しな」
「うっ」

じり、じりとモンジが間合いを詰める。
おいらにゃ、もう反撃する力は残ってねえ。
万事休すか。

と。

「クマー」

「なにっ」

路地の向こうから、サマンサが駆けて来やがる。
しかもひとりで。ミケはどうしたんだ。

「クマー」

「なんだあの綿毛みてぇなのは」

モンジがぎらりと目を光らせる。

「目障りな奴だ」
「や、やめろおおおおおおおお」

おいら、必死にモンジに飛びついた。
そうして。

がぶり。

モンジの短けぇ尻尾に、思いっ切り噛み付いた。

「いってええええええええ」

次の瞬間、おいらの頭をモンジのげんこつが襲った。

ごちん。

おいら、あまりの衝撃に、その場にどたりと倒れちまった。

「クマー!」

サマンサが。
駆けてくる。

「く、来るなっ」
「クマー!」
「野郎おおおおおおおおおお」

モンジの爪が、おいらを狙って、ぎらりと光った。
もう駄目だ。
おいら、目をつむっちまったんだ。



ばしゃっ


「ぐあっ!」

一体何が起きたのか、判らなかった。
全身、水を浴びせられたみてぇに、冷たくなっちまった。
おいらは。
やられちまったのか。

恐る恐る目を開けてみると。

必死に逃げていく、モンジのケツが見えた。
そうして。

「う、うえええええ」

おいらの身体は、全身びしょ濡れだ。

「クマや、またこっぴどくやられたもんだ」

おいらを覗き込むのは、ご隠居だ。
手には桶と柄杓を持っている。
何だよう、おいらじゃなくて、水ぶっかけるなら、モンジのほうだろうよう。

「びゃーう」

おいらは抗議の声をあげた。

「わかったわかった。ほれ、今拭いてやるからな」

ご隠居はしゃがんで、おいらの身体を丁寧に拭ってくれた。
そこへ、サマンサがそろそろとやって来た。

「クマ-、大丈夫?」
「へっ、ざっとこんなもんよ。モンジの野郎に、がっぷり噛み付いてやったぜ」
「そのわりに、ずいぶんひどいかっこ」
「ううううるへいっ! こんなもん、こんなもん、か、蚊トンボに触られたくれぇのもんよ」
「それさっきも言ってたね」
「...」

相変わらず口の減らねぇ奴だなぁ。
待てよ。おいら、はたと気が付いた。

「そういや、ミケはどうした。おめぇと一緒じゃなかったのか」
「ミケさんね、襲ってきた二匹をこてんぱんにしちゃって、あたしをご隠居さんとこまで送ってくれたの。でも、あたしクマが気になって」
「戻って来たってのか」
「うん」
「危ねぇから、もうそういうことはすんなよ」
「うん」

「さあクマや、帰ろうかね。おう、チビちゃんも一緒に帰るか」

ご隠居は、おいらをひょいと抱き上げて、サマンサを肩の上に乗せて、歩き出した。
サマンサの奴、おいらの頭をじっと見て、

「ねえ、これコブっていうの」
「なに?」
「頭がぽっこりしてるよ」
「けっ、かすり傷でぃ」
「あたし、なめてあげるよ」

と、おでこのコブに、鼻をすりすり、舌でべろべろ、始めやがった。

「うひゃ、く、くすぐってぇ」
「じっとしててよー」

だんだんおいらも、気持ちよくなっちまった。

「ほうううう」
「ねえ、クマ」
「なんでぇ」
「ここは、いいところだねえ」
「そうけぇ」
「うん。みんな親切だし、優しいし」
「おうよ。これが江戸っ子ってもんよ」
「あたし、ずっとここに住みたいなぁ」
「ああ、おめぇさえ良ければな、ずーっと、ずーーーっと、ここにいていいんだぜ」
「ほんと?」
「あたぼうよ。おいら達ぁ、長屋の仲間だからな」

おいら、そう言ってサマンサの鼻を、ぺろりと舐めてやったのさ。
そうしたらサマンサの奴、鼻をおいらにずりずりと、こすりつけて来やがる。
おいら、くすぐったくて、うれしくって、

「みゃーうん」

不覚にも、鳴いちまった。

  *   *   *   *   *

「ご隠居! ご隠居!」

おいらとサマンサがご隠居ん家に着いた途端、弥助の野郎が飛び込んで来やがった。

「何だいどうしたんだい弥助さん。留吉んとこのウメさんが饅頭にでも当たったかい」
「いやそうじゃねぇんで」
「じゃあ書生の佐武朗さんがだんごを喉にでも詰まらせたのかい」
「そうじゃねぇんですよう」
「いったいぜんたい、どうしたんだい」
「じつぁですね」

弥助は、んぐっと息を飲み込んで、話し始めた。

「今朝方俺っちが連れてきた、猫がいたでしょう」
「ああ、今も此処にいるよ。ほれ」
「ああそうそう、この猫だ」
「猫がどうかしたのかい」
「見つかったんですよ! 飼い主が」

なんだって!?
おいらびっくりして、目をまんまるにして、弥助を見た。

「おやおや、もう見つかったのかい」
「そうなんですよう。築地の異人とこに楽器を習いに通ってる士族のお嬢さんが、生まれた猫を分けてもらったんだそうで。随分探してたようで、俺っちが猫のことを話したら、大層喜んでましてねえ」
「そうかいそうかい、そりゃよかった。なあお前達」

ご隠居はにこにこして、おいらとサマンサを見る。
ってことは。

「クマー」
「なんでぇ」
「どうしたの、何話してるの、あのひとたち」
「...おめぇの、飼い主が、見つかったんだとよ」
「えっ」
「...よかったなあ。いいとこのお嬢さんが、おめぇを可愛がってくださるんだそうだ」
「えええっ」

サマンサは、顔中を目ん玉にして、おいらを見てる。

「なんでなんで? あたしは、あたしはここがいいよう」
「いいようって言っても、しょうがねぇじゃねえか。おめぇはもともと、何処かに飼われることになってたんだ」
「いやだよう、あたしはここがいいんだよう」

おっきな目で、サマンサはおいらに訴える。

「全く判ってねぇなおめぇは。いいか。こ、こんな汚ねぇ長屋でよ、ろくに飯も貰えねぇでよ、乱暴者に囲まれて暮らすよりもよ、そ、そんないいとこで、のののんびり暮らせるんならよう、猫冥利に尽きるってぇもんじゃねえか」
「やだようー」
「お、おいらだって、おいらだって」

「あ、ご隠居、来ましたぜ」
「おや」

ご隠居ん家の戸口に現れたのは、見た事もねぇ着物を着た男の人と、きれいに着飾った女の子だった。

「ほうら、この子でしょう」

弥助はサマンサを、ひょいと抱き上げた。

「クマー」

「ぴゃーう」

サマンサはおいらを見て鳴いてやがる。

「ああ、よかった。御免なさいね人力から落っことしたりして。もう絶対何処へもやらないから」

と言いながら、女の子はサマンサを抱きしめる。

「いやあ、よかったですねえ」
「なんと御礼を申し上げてよいやら」
「いえいえ、こちらは当たり前のことをしただけで」
「これは心ばかりの...」
「とんでもねぇ! そんなもんを受け取るわけには....」

ご隠居達がそんな問答をしている間も。

「クマー」

「ぴゃーう」

サマンサの奴、まだ鳴いてやがる。
おいらは。

「しっ、幸せに、なりやがれっ」

ぷいとそっぽを向いた。

  *   *   *   *   *

サマンサは、きれいな籐の籠に入れられて。
女の子の膝の上に乗せられて。

「では、ごきげんよう」

人力に乗って、いっちまった。

「クマー」

夕暮れの中。
サマンサの声が聞こえる。

「クマー」

だんだん、だんだん遠くなる。

「いっちまったねえ」

何時の間にか、ミケがおいらの隣に座ってた。

「ほんの少しの間だったのに...いなくなると、さみしいもんだねえ」
「へ、へん、どうってことねぇやぃ」
「...あんた、泣いてるのかい」

ミケの奴、おいらの顔を覗き込みやがる。

「や、やめねぇか! おいら、おいら泣いてなんかいねぇ」
「じゃあそれは何だい」
「わ、ワサビが目にしみただけでいっ」
「サシミ食ったわけでもあるまいに...」
「うううるへいっ」

ぐずっ、とおいらは鼻を啜って。
それでもやっぱり。

「なおーーーーーーん」

月に向かって、啼いたんだ。

けっ、夜風が身に沁みらぁ。



おしまい




いつも読んでくだすって、ありがとうございます

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