第百九十話 三毛猫ゲッタウエイ(上) | ねこバナ。

第百九十話 三毛猫ゲッタウエイ(上)

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「...おい、そっちへ行ったぞ」
「...くそう、手間かけさせやがって」
「...なにぼさっと突っ立ってんだ! さっさと追え」
「...ちっ」

「はあ、はあ、はあ」

メッセンジャーバッグを前抱きにして、あたしは狭い路地の陰に隠れて奴らをやり過ごした。

「はあ、はあ、はあ」

そうっとバッグを開けてみる。ファスナーの音が出ないように、慎重に。
指が震えた。

「ぴきゃ」

バッグの中には、小さな三毛猫が。
ようやく目が開いたくらいの、ほんとにちいさな三毛猫がいた。

  *   *   *   *   *

「今回のターゲットは、R大学医学部の実験室にいる猫だ」
「猫ですって?」

あたしは呆れた。そんなものを盗み出して何の得があるのだろう。

「この猫はな、雄の三毛猫だ。遺伝子解析をするために連れて来られたらしい。雄の三毛が産まれる確率は非常に低いらしいからな」
「へえ」
「それでだ。さる猫好きの顧客が、どんな手を使ってでも雄の三毛猫が欲しいと言う。我々が確実に雄の三毛を手に入れられるとすれば、此処しかない」
「一般の家庭では駄目なのですか」
「事は出来るだけ慎重に運びたい。どうやらR大学では、この猫を非合法的なルートで手に入れたらしいのだ。だから表沙汰になっても大して問題にはならないだろう」

なるほど。
影の運び屋、シャドウ・メッセンジャーとして随分色んなものを運んだあたしだが、生きた猫なんてのは初めてだ。

「恐らく追っ手くらいはかかるだろう。どんな追跡からも逃げおおせるお前の手腕、いや足に期待しているよ」
「任せてよ」

あたしは自信満々にそう言った。そう、大して難しい仕事とは思われなかったのだ。

  *   *   *   *   *

「あんた、随分人気者なんだねえ」

あたしはバッグの中でじっとあたしを見る猫にそう言った。

「ぴきい」

と、猫は何か訴えるように鳴く。

「そうか、おなかがすいたんだね」

あたしは小さな哺乳瓶を取り出した。この仕事は、猫が生きていなけりゃ話にならない。産まれてまだ一ヶ月も経たない猫を運ぶのだから、栄養補給や下の世話だって仕事のうち、なのだそうだ。
手で抱えて哺乳瓶を口に当ててやると、猫はちゅっ、ちゅっとミルクを飲み出した。
恍惚の表情というのは、こういうのを言うのだろうか。両手で瓶を押さえて、目を細めて、この上なく幸せそうな顔をして。

「おいしいかい」

思わずあたしは、口に出して言っていた。
あたしみたいな女にも、母性ってのがあるんだうか。
裏社会で姑息に、誰も信頼せず生きてきたあたしにも。

「けふう」

猫は軽くむせこんで、少しミルクを吐いてしまった。あたしは慌てて口を拭いてやり、背中を軽く叩いた。すると猫はもぞもぞと、くるまっていたタオルに顔を埋めて、もぞもぞと両手を動かしている。
どうやらミルクの時間は終わりだ。

「さて、と」

あたしは立ち上がった。そうして、路地の出口から通りを注意深く見回した。

「ちっ、まだいやがる」

通りには、凡そ五十メートルおきに、奴らの手下が張り込んでいる。あたしがこの辺りに逃げ込んだのはバレているから、飛び出して来たところをふん捉まえる積もりなのだろう。
それにしても、何でこんなに、必死に追って来るのだろう。奴ら、大学の職員とは思えない。絶対裏社会に通ずる人間どもだ。
あんな連中を雇うほど、この猫が大事なのか。

「こんなにモテるなんて、あんたがうらやましいよ」

あたしはバッグの中の猫に言った。しかし猫は、もう眠ってしまったらしい。ひくひくと腹が動いている。

「ちょっと走るよ。シートベルトくらいしときな」

バッグのファスナーを閉め、帽子を目深に被って、あたしは時計を見た。あと二時間のうちに、あたしはこの猫をボスに届けなければ。
するり、するりと路地を出て、人混みに溶け込む。奴らの目線から死角になるように、身体を人の陰に隠す。伊達にこの商売でのし上がった訳ではない。並の人間なら、あたしの存在などに気付かないはずだ。
だが。

「ぬ?」

気配がする。
背後に二人、左右にも一人ずつ。
気付かれたのか。なんてこった。奴らも相当の腕とみた。
あたしは気付かぬ振りをして、そのままの調子で歩き続けた。正面にスクランブル交差点が見えてきた。奴らが仕掛けて来るなら、あそこに違いない。
少々荒っぽいが、やるしかないか。バッグを身体にきつく留め、あたしは覚悟を決めた。

右から左へと流れる車の群れは、渋滞のせいでほとんど動かない。
しかしその向こう、左から右に流れる車は猛スピードだ。
片側三車線ずつ。ひとつタイミングを間違えば、死ぬ。
あたしは人混みをかき分け、車道に面して立った。
後ろから奴らの気配が近付く。
まだだ。まだだ。焦るな。
好機は必ずやって来る。

来た。

あたしは向こう側の流れている車線に向かって、手に持っていたものを放り投げた。
黒い珈琲豆くらいの、その粒々は。
向こう側のアスファルトに散らばって。

ぱん、ぱぱん、ぱぱぱぱぱぱぱぱん

軽い音をたてて弾けた。
いわゆる癇癪玉というやつだ。

「うわなんだ」

人混みからどよめきが起きる。

きききいいいいいい

車が急停車する。
そして。
大きな路線バスも。

今だ。

「それっ」

あたしは駆け出した。
踏み出した途端、あたしはトップスピードだ。
渋滞中の車の間を全速力ですり抜ける。

「くそお」

背後で奴らが追って来るのが判る。
向こう側の車線では、うまい具合にバスが斜めになって止まっている。
あたしは全速力のまま、バスの車体の下に滑り込んだ。
摩擦で背中が焦げる。
車体の向こう側まで滑りきったら、あとは走るだけだ。
あたしはまた人混みに突進し、地下鉄の駅へと向かった。
しばらくは時間が稼げるだろう。

と思ったが。

甘かった。
奴ら、地下鉄の駅の入り口にまで、見張りをつけてやがる。
しょうがない。ここは強行突破だ。
あたしは全速力で、地下へと続く通路に飛び込んだ。

「いたぞ」
「待ちやがれっ」

奴らはおおっぴらに、しかも大胆に追って来る。
何なんだ一体。何故奴らはこんなに必死なんだ。
しかし考えている暇はない。

「捉まえろ!」

背後から声がかかる。すると改札口のまん前に、チンピラ風情の男が三人現れた。
構うもんか。
あたしの鉄則は。

スピードを落とさないこと。

「なっ」

全速力のまま、あたしは跳んだ。

「ぐはっ」

あたしは跳び蹴りで、真ん中の男を吹き飛ばした。そしてそのまま改札を飛び越え、電車へと走る。

「逃がすか!」

奴らが追って来る。丁度列車が滑り込んで来る。
夕方のラッシュだ。物凄い数の人が車両に向かって吸い込まれてゆく。
あたしは走りながら、タイミングを計った。

ぴいいいいいい

ぷしゅーーーー

ドアが閉まりきる直前。
あたしはスーツ姿の男を思いきり押し込み、

「ぐえええ」

見事に車内に滑り込んだ。
そうしてすぐに屈んで身を隠す。
押されて妙な声を挙げた男性が、何か訴えるようにあたしを見た。
あたしは。

「ごめんなさあい」

屈んだまま、片目をつむって見せた。

  *   *   *   *   *

ぷるるるるる、ぷるるるるる、ぷるるるるる

ぷち。

「ああ」
「ボス」
「どうした、ターゲットは」
「もちろん確保してますよ」
「なら連絡はするな。さっさと此処まで持って来い」
「ボス」
「何だ」
「奴ら、何故こんなに必死なんですか」
「ん?」
「ただの実験動物にしちゃ、追っ手が激しすぎますよ」
「お前にゃ大したことはないだろうさ」
「冗談でしょ。あんな大規模な追跡は初めてよ」
「む」
「それに、奴らの何人かは、どうやら銃を持ってる」
「...」
「そんなにヤバいブツなんですか、これは」
「...」
「ボス」
「お前は黙って仕事をすりゃいいんだ」
「割に合わないわ。報酬を倍額にすること、奴らが必死になってる理由を教えること。これが仕事継続の条件ね」
「なにい」
「どうなの。ブツはあたしが握ってんのよ」
「...ちっ、仕方あるまい。いいだろう。報酬は倍だ。しかし仕事の詳しい内容については教えられない。この商売、守秘義務は大切なんだ。判ったか」
「...いいわ。ただし」
「何だ」
「追っ手をまくのに時間がかかる。到着はあと二時間遅れるから、そのつもりで」
「む...判った」
「じゃあ」
「しくじるなよ」
「ええ」

ぶつん。

  *   *   *   *   *

「ふう。あんた、いったい何者?」

あたしはバッグを開けて、小さな猫に向かって言った。

「ぴゃう」

猫は何かを訴えている。

「ああ、オシッコ? それともウンチ?」

あたしは何となくそう思った。ティッシュで股のあたりを刺激してやると、猫はだらりと弛緩した。
あったかいものがあたしの手に伝わってくる。
おかしなものだ。子供の世話だってしたことないのに。
ましてや動物の世話なんて。
あたしは。

ふるふると猫が震えた。どうやら用を足せたようだ。

「短い間だけどさ。あんたに名前を付けようか」

そう言って、あたしは猫を抱き上げた。

「珍しい三毛猫、か...」

ふと頭に浮かんだのは。

「トリニティ。そう、あんたの名前よ」
「ぴゃう」
「気に入った? そう。ふふふ」

あたしは猫に、トリニティに頬ずりした。
こんな感覚が、あたしに芽生えて来るなんて。
人の温かみすら知らないあたしに。
不思議なもんだ。

「さて、と」

あたしは、隠れている倉庫の隅で、考えを巡らせた。
このまま仕事を続けるわけにはいかない。
奴らは何者なのか。
何故こんな小さな猫を、必死に追っているのか。

さあああああああああああああ

雨が降ってきた。
冷たく湿った倉庫の片隅で。
トリニティの体温だけが、あたしをじんわりと温めた。


つづく




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