第七十八話 俺とあいつとチャック(28歳 男 会社員)
※第十六話 くろねこちゃん(5歳 男)もどうぞ。
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「久し振りだな」
「うん」
全く、また会う事になるなんて。これも腐れ縁か。
「ねえ、部屋に寄っていってよ」
「ああ」
がちゃり。
「んみゃ~ん」
「チャック、ただいま」
「おー、久し振りだな」
黒猫のチャックは、俺を見てしっぽをぴん、と立てた。
先が小さく曲がっている。
「みゃ~んむ」
「おう、よしよし」
「ほら、あがってよ。何か飲む? ビールとか」
「いや、今日はもういいや。冷たいお茶とかないか」
「あるある。すぐ用意するからね」
* * * * *
二年前に別れたミサトと、ばったり街で出会うなんてな。
あん時、あいつはキャバクラで働いてて、俺もバイトで食いつなぐ毎日だった。
公園で拾って来た黒猫を、ミサトはチャックと名付けた。
喧嘩っ早くて、いつも何処か怪我をしていた、困った猫だった。
そう、俺達も、喧嘩ばかりしていたんだ。
そしてミサトは出て行った。猫と一緒に。
「はい、どうぞ」
「おう、サンキュ」
茶を運んでくるミサトは、やっぱり少し大人っぽくなった。
道すがら聞いた話では、大きな花屋のチェーン店で働き始めたとか。
けっこうきつい仕事らしいが、楽しんでやっているそうだ。
そして俺も、ちいさな街のタウン誌の営業になんとか入り込んだ。
忙しいが、まあそれなりに楽しんで仕事をしている。
「んで、どうだ、男出来たか」
「え? ん、んー、まあ」
一応聞いてみた。まあ当然か。
「じゃあ、あんまし長居もできねえな」
「ああ、大丈夫よ。どうせ此処には来ないし」
「そうなのか」
「うん」
「みゃん」
チャックがミサトの隣に座った。
両耳が喧嘩の怪我でギザギザになっている。
こいつの勲章みたいなもんだ。
「猫アレルギーなんだよね、彼」
「そうなのか」
「もう、すごいの。咳とかくしゃみとかさ。しまいには呼吸困難みたいになって」
「へええ」
「だから、此処には来ないの」
「なんだか、可哀想だなあ、そういう体質って」
「うーん、でもね、もともと猫とか犬とか、興味ないんだってさ」
「んなこと言ったって」
俺はふと、チャックの顔を見た。
顎のあたり、ひとふさの毛が、白くなっている。
そういえば、口の周りもだらしなくなって、よだれが少し垂れているようだ。元気もない。
「おい、チャックの奴、どうしたんだ? もうトシか?」
「ううん、そうじゃないのよ」
「前はあんなに元気だったのに」
「最近ね、調子がすごく悪そうだから、病院に連れて行ったの。そうしたら、エイズなんだって」
「エイズ? 猫にもあるのかそんなもの」
「うん。人間には罹らないらしいから、普通に生活してるけど」
「それで...。どうなんだ、こいつ」
「うん...。あんまり良くないんだよねえ」
ミサトはチャックの頭を撫でた。チャックは気持ち良さそうに目を細める。
「症状が出てからでも、長生きする子はいるみたいなんだけどさ。チャックは...」
「...そうか...」
「人間のエイズと同じで、治る見込みはないんだって」
「...」
しょうがない。どんな生き物でも、死ぬときゃ死ぬんだ。
「大事にしてやれよな」
「うん、そうだね」
「...」
しんみりしちまった。
「あ、あのさ」
沈黙を破るように、ミサトが話を振った。
「まだ野球、やってるんでしょ」
「ああ、まあな」
「ここの、ちょっと行ったとこのさ、河川敷の球場ってさ、よく試合とか練習とかに来るんだよね」
「あ、そういえばそうだな。ここの道真っ直ぐ行った正面のとこだろ」
「そうそう。今度見に行っちゃおうかな」
「やめろって。また冷やかす奴らがいるからよ」
「えー、大丈夫だよ。ちらっと見るだけだもん」
「ダメだって。俺ももう身体が動かなくってさ」
「あははは、おじさんじゃーん」
「なんだとこらあ」
「うふふふ」
何だか、昔を思い出しちまうなあ。
やっぱり、長居しないほうが良さそうだ。
「じゃあ、俺帰るわ」
「え、そうなの? もっとゆっくりしていけばいいのに」
「お前なあ、男が知ったら泣くぞ」
「え、うーん、そうか...」
「じゃあな、ほい、チャック、元気でやれよ」
「みゃう」
ミサトは、どうしたことが、俺をじっと見た。
「あのさ、また、電話してもいいかな」
困った奴だ。しかしなあ。ダメとも言えまい。
「ああ、たまにはな」
「よかった」
そうして、俺はミサトの部屋を後にした。
* * * * *
二か月後。
「おいこらサトシ! お前な、○○産業の社長んとこに行って、詫び入れて来い」
「えー、俺っすかあ」
今日もまた、編集のポカを俺がひっかぶることになった。
「しょうがねえだろ。お前が取ってきた広告なんだからよ」
「校正したのは俺じゃないっすよ。それに、最終OK出したのは向こうさんじゃないすか」
「だからー、お前も見てるだろうが原稿! もちろん向こうさんも見てるんだよ。でもな、かるーく謝った方が今回はいいんだ。な、行って来いや」
「ったくー、勘弁してくださいよ」
「ぐだぐだ言ってねえで、さっさと行って来い!」
「へーい」
ああもう、これで残業確定だ。いつものことだが。
ぶるるるるる、ぶるるるるる
お、何だ電話か。
ん? ミサトか?
「もしもーし?」
「もしもし、サトシ? あたし」
「おう、どうした」
「あのさ...。今日、これから会えるかな」
「え? 今日か?」
「うん...」
「何だよ、大事な用か」
「う、ううん、大した事じゃないんだけど...」
「だったら、すまねえな、これから仕事だ。今日は何時になるか判らねえ」
「ダメ?」
「うーん、今日ばかりはちょっとなあ」
「そう...」
「明日ならいいぞ。昼飯んときとかな」
「あ、ううん、いいの、ほんとに、大した事じゃ...ないから」
「そうか? んじゃ、ごめんな」
「うん」
「切るぞ」
「うん...あ」
ぶち。
何か言いかけてたか、あいつ。
...まあいい。何かあれば、電話が来るだろ。
さて、仕事仕事...と。
* * * * *
一週間後。
河川敷のグラウンドで、ベンチに座って俺は、ぼーっとしていた。
あれから、どうも気になって、ミサトに電話をかけてみた。
「お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません」
どうしたってんだ、一体。
もしかして、男の処にでも行っちまったのかなあ。まあそれなら、それでもいいか。
少し、いやかなり、残念だけどな。ちぇっ。
チャックの奴、まだ元気にしてるだろうか。まあそれも、俺がうだうだ考える事でもねえか。
「おいサトシ、選手交代だぞ」
「うぃーっす」
さて、野球で憂さ晴らしでもするか。
* * * * *
かきん。
「おらー、ライトいったぞー」
「おーうぃ」
俺はボールを追いかけた。
「うりゃ」
ばしっ。
「おーう、ナイスキャッチ」
「へへへ」
ボールを投げて返そうとしたが。
「...うーうううう、うええ、うーう」
何だ? 泣き声か?
「うーうううう、うええ、うええええええ」
見ると、小学校に上がる前くらいの、ちっさなガキんちょが、草むらに座り込んで、泣いていた。
「おい、ぼうず、どうした」
声をかけたが、
「うええ、うええええええ」
こちらをちらりと見て、また泣き出した。
どうしたってんだ。
「ちょっとタイムな!」
俺はとりあえず、ボールを投げ返して、そいつの近くまで行った。
「うええ、うええええ」
「どうしたんだ、こんなところに、ひとりで」
「うーーうううう」
「うーうじゃ判んねえよ。な、話してみろ」
ガキんちょは、ようやく何か話す気になったようだ。
「うーう、ひっ、ね、ねこ、ひっ、ねこちゃん」
「あ? 何? 猫がどうした?」
「ねこちゃんの、う、ひっ、お、おはか」
「お墓?」
「ほれない、ひっ、ほれない、ううう」
「掘れないって...」
その小さな手には、砂場で使うような、小さなプラスチックのスコップが握られている。
これで、この堅い地面を掘ろうと思ったのか。草の根も張ってるだろうに。
「これじゃあ無理だろ」
少し呆れて、俺は訊いてみた。
「猫のお墓か。どれ、猫は何処にいるんだ?」
「これ、ひっく、これ」
ガキんちょは、傍にあったビニールのバッグを指差した。
中には、黒い毛の塊のようなものがある。よく見ると、確かに猫だ。
近くに寄ってみる。耳はぎざぎざだ。しっぽの先が、小さく折れ曲がっている。
顎の先のひとふさだけが、白い。
ぎざぎざの耳。
ひとふさの白い毛。
折れたしっぽ。
嘘だろ。
まさか。
よく見てみたが、やっぱりそうだ。
チャックだ。間違いない。
なんてこった。
「...おいぼうず、おまえ、何処から来たんだ?」
「あっち」
「あっちじゃ判らん。どうやってここまで来たんだ?」
「ひっ、ま、マンションの、まえの、こうえんの、まえの、みちを、ずっとまっすぐ」
「道を真っ直ぐ...」
「そこのかいだん、ひっ、のぼって、きた」
「ああ...そうか...やっぱりそうか...」
あいつ、チャックを連れて行かなかったのか。
どうしてだ。
助からないと判っていたからか。男のアレルギーに気を遣ったのか。
それにしたって。
あ。
「あのさ...。今日、これから会えるかな」
「う、ううん、大した事じゃないんだけど...」
大した事だろうが。何なんだあいつ。
なんで、ちゃんと言わなかったんだ。
俺のせいか。俺がもっと...。
俺は、チャックの頭を、撫でてやった。
眼と口が少しだけ開いているが、疲れて眠ってしまったようにも見える。
遣り切れねぇ。
ふと、あのガキんちょの視線を感じた。
俺を、不思議そうに眺めている。
それにしても。
こいつ、チャックをここまで連れて来たのか。あのバッグに入れて。
大人の足でも五分位はかかるだろう。それをこの小さな手で、こんな重いものを持って。
そして、こんな小さなスコップで、穴を掘ろうとしてたのか。
猫の、チャックの墓を作るために。
汗でびっしょりじゃねえか。
こいつめ。
「よし、少し待ってろ。もっとちゃんとした穴を 掘ってやるからな」
俺は走った。
「すまねえな、ちょっとヤボ用。交代してくれや」
そして、車の荷台に積んであったスコップと、スポーツドリンクの入ったボトル、それにタオルを掴んで、ガキんちょの処へ戻った。
「ほら、これ飲め。汗びっしょりじゃねえか。喉が渇いたろ」
俺はガキんちょの顔を拭いてやった。汗にまみれて、泥で汚れて。
一生懸命穴を掘ってくれたのか。チャックのために。
ガキんちょは、ストローでごくごくドリンクを飲んでいる。その間に、俺は穴を掘った。
西日が当たって、ちょっと暑い処だが、まあいいだろう。
「これでいいか?」
「うん」
そして、ガキんちょは、チャックをていねいに抱いて、穴の中に入れた。
俺は、すぐそばに咲いていたシロツメクサを、一束取って、チャックの脇に置いてやった。
すまねえな。
俺が看取ってやれなくてよ。
俺は手を合わせた。すまねえ。それしか出て来なかった。
手を下ろしてふと見ると、あのガキんちょが、小さい手を合わせて祈ってやがる。
俺は嬉しくて、ついつい笑っちまった。
そして、チャックの頭を、また、少し撫でてやった。
* * * * *
「なあぼうず」
俺はガキんちょに訊いた。
「この猫、お前んちの近くにいたんだろ」
「うん、おとなりの、おねえさんの、おうちにいたの」
「そうか、隣だったのか」
「おじちゃん、このねこ、しってるの?」
おじちゃんて。
「おじちゃんじゃねえよ、お兄さんだろ」
いちおう訂正してみたが、まあ無理か。
知ってるも何も。
「知ってるよ。一緒に住んでたこともあるぞ」
「なかよしだった?」
「そう...そうだな、仲良しだったな」
「なまえは、なんていうの?」
「名前?」
「ねこちゃんのなまえ」
「ああ...。チャック。そう、チャックだ」
「チャック...」
こいつ、ちっちゃな頭で、何を考えているんだか。
チャックよ。お前、こんな小さな友達がいたのか。
最期を、こいつに看取ってもらったんだな。
なら、少しは救われるってもんだ。
夕陽が傾いて来た。
いいかげん、このガキんちょの親も、心配するだろう。
「さあ、もういいか、土をかけるぞ」
「うん」
ざく、ざく、ざく
チャックの身体が、土に隠れていく。
可哀想だが、此処なら、また俺が来てやるからよ。
成仏してくれや。
埋め終わると、俺はまた、シロツメクサの一束を置いてやった。
「ねえ」
それまで俺の動作をじっと見ていたガキんちょが、訊いた。
「なんで、ねこちゃん、しんじゃったの?」
「病気だったんだよ、こいつ」
「びょうき?」
「ああ。もう助からないって、言われてたんだ」
「そうなんだ」
「だから、ゆっくりさせてあげれば...良かったのにな」
「ねえ、なんでおねえさんは、ねこちゃん、つれていってあげなかったの?」
「...さあなあ、俺には......判んねえな」
判っているさ。
でも、このガキんちょには関係ねえことだ。
まだこういう、大人の都合ってもんを、知るには早過ぎるだろう。
ミサトよ、お前の代わりに、こんなチビが、チャックを看取ってくれたとよ。
「くそったれ」
俺は、言葉を胸の奥底に飲み込んだ。
ガキんちょは、また俺の顔を珍しそうに覗き込んでいる。
見ると、膝小僧が擦り剥けて赤くなっている。
「おお、ぼうず、足、擦り剥いてるじゃねえか。大丈夫か?」
おいおい、怪我していた事も、忘れてたらしい。
「うん、もういたくないから」
「そうか。じゃあ」
気休めにはなるだろ。
俺はタオルで膝の土をはらって、唾を付けてやった。
「家に帰ったら、ちゃんと手当してもらえ」
「うん」
「ひとりで帰れるか?」
「うん、だいじょうぶ、まっすぐだから」
「そうか」
「どうもありがとう」
俺は、どきりとした。
なんでこいつ、俺に礼なんか言ったんだ。
そうか。こいつ、チャックの友達だったんだな。
俺なんかよりも、ずっと、仲が良かったんだな。
「ああ、俺も、ありがとう」
泣かせやがる。
「気を付けて帰れよ」
「うん」
「またな」
「うん」
ガキんちょは、振り返りもせず走っていった。
俺は立ち上がって、ガキんちょの走っていく方を、見送った。
「え」
ガキんちょが走っていく。家に向かって。
通りのずっと先に向かって。
その脇を、するりとすり抜けて、来る人影がある。
見慣れた人影だ。
「み」
ミサトじゃねえか。
あんなに髪振り乱して。疲れた顔をして。
あちこち探すように見渡しながら。
何してんだあいつ。
何しに来たんだあいつ。
あいつは俺を見つけた。
河川敷の土手の上で、見下ろす俺を。
あいつの足は止まった。
身体が震えている。
真っ赤な眼しやがって。
何泣いてやがんだ。
ば。
「馬鹿野郎ー!!」
俺のでかい声が、通りにこだました。
おしまい
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