第七十話 カツヲの毛玉(21歳 女 タレント)
第三十三話 カツヲのしっぽ(19歳 女 アイドル) もどうぞ。
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あたしは、電車でひとり、家路についていた。
大きな帽子にサングラス。でも多分、あたしを見つけて大騒ぎする人なんて、もういないんじゃないだろうか。
一時期断るのが大変なくらい来ていたCMの仕事は、さっぱり来なくなった。
ドラマも映画も、音楽の仕事も無い。大好きだったギターは、もうしばらく触ってない。
たまに地方から呼んでもらえるけど、事務所は実入りが少ないから、もうそういうのは引き受けないそうだ。
頼りにしてきたマネージャーのナベさんも、来週から別のタレントさんの専属になる。
ちいさなスキャンダルに巻き込まれてから、世間はあたしから、どんどん遠のいていった。
これがいわゆる「賞味期限切れ」ってやつなのだろうか。
「あたしは食べ物じゃない」
くたびれたスーツの肩越しに流れる風景に向かって、あたしは呟いた。
電車は、真っ赤な夕陽へと、吸い込まれていった。
* * * * *
駅に着いたはいいけど、なんだか、まっすぐ家に帰る気になれなかった。
札幌からお母さんが来てくれている。仕事のことは報告しなきゃいけないし、これからのことも相談しなきゃいけない。
きっと、好きなようにやってごらんなさい応援するからって、言ってくれるに決まっている。だけどあたしは、自分が今何をしたいのかが判らない。
何ができるのか判らない。
街の灯りに向かって、ふう、と息を吹いてみた。
ここでうじうじ悩んでてもしょうがない。カツヲのおなかでもなでながら考えよう。
すっかりおじいさん猫になったカツヲは、最近寝てばっかりだ。食欲もない。
そうだ、カツヲにおいしそうなごはんでも、買って帰ってやろう。
ふさいでいた気持ちが、少し楽になった。いつも行くペットショップに向かおうと、横断歩道を渡ろうとした。
ケータイが震えた。
お母さんからだ。
「はいはい…え、どうしたの?」
よく聞き取れない。
「何? うん…えっ、か、カツヲが、カツヲがどうしたの?」
…うそ。
嘘だ。
足が震えた。
全身の血の気が引いた。
それでも、あたしは走った。
全力で走った。
カツヲを連れて行ったという動物病院へ。
* * * * *
病院のドアを開けた。
待合室の人達に構わず、診察室へ駆け込んだ。
中には。
「お母さん」
お母さんは、顔をぐしゃぐしゃにして、あたしを見た。
その横に。
寝そべったまんまのカツヲがいた。
* * * * *
あたしの部屋に、カツヲはちいさくなって、帰ってきた。
おばあちゃんが亡くなった時と同じような、きれいなお骨箱と骨壺に入って。
カツヲがお気に入りだったサイドボードの上に、お骨と写真を乗せた。
カツヲが好きだったごはんとお水も、そのままの器で、お供えした。
ぺたりと座り込んで、あたしはぼーっとカツヲのお骨を眺めた。
お母さんは、買い物に行くと言って、出かけてしまった。
カツヲの死因は急性心不全だった。
心臓が肥大気味だと言われていたけど、まさかこんなに早く進行しているなんて。
仕事にかまけて、よく見てあげていなかったからだ。
この一年いつもいらいらして、まともに遊んであげていなかったからだ。
なのにカツヲは。
あたしの枕元で、いつも寝てくれた。
おかえりの出迎えもしてくれた。
なでてやると、ぐるぐる、ふるふる言ってくれた。
「カツヲ」
あたしのせいだ。
「カツヲー」
あたしが悪いんだ。
「カツヲーごめんよう」
あたしのせいで。
「カツヲーーーごめんごめんようううう」
床におでこを擦りつけて、あたしは泣いた。
「あああああああああああああああああ」
カツヲかわいそうに。あたしみたいなのが飼い主だったばっかりに。
もうひとりぼっちにしないから。
ずっといっしょにいるから。
おもちゃもいっぱい買ってあげるから。
なんでもするから。
だから。
だから。
戻ってきてよう。
「うわあああああああああああああああああ」
* * * * *
どのくらい泣いていただろう。
おでこが痛くなって、ゆっくり顔を上げた。
カツヲの遺骨と写真が見える。
ふわり。
その前を、何かが横切った。
ふわふわ、ふわり。
その何かは、ソファのほうへと飛んでいく。
眼で追っていった。這いずって追いかけた。
えい。
手を開くと、それは、カツヲの抜け毛だった。
当たり前だ。そこらじゅう、まだカツヲの抜け毛だらけだ。
溜息をついて目の前を見ると、埃まみれのギターがあった。
あたしは這いずってギターのそばまで行った。
しゃらん。
ギターの弦が鳴ったような気がした。
見ると、ギターの弦に、たくさんのカツヲの抜け毛がくっついている。
そういえば、いつもしっぽで、ギターをしゃらしゃらしてたっけ。
こんなにいっぱい、毛をくっつけて。
「そうじしないと、弾けないべさや」
あたしは、ギターを抱きかかえた。
身体中、カツヲの抜け毛だらけになった。
かまうもんか。
いつもカツヲが教えてくれたけど。
今日もカツヲが教えてくれたけど。
これからは、あたしが自分で決めるんだ。
ねえカツヲ。
「あたし、やってみるよ」
* * * * *
あたしはギターを背負って、駅のホームに立っていた。
大きな帽子も、サングラスも、もういらない。
カツヲが天国に行ってから一年経った。
あのあとすぐに、あたしは事務所を辞めた。
そして、ただの大学生になった。
はっきり言って勉強はできないけど、なんとかぎりぎり単位はとれている。
そして、あたしは、大学の軽音楽サークルに入った。
元芸能人なんてかっこわるいけど、でもギターやりたいですって、無理矢理入れてもらった。
サークルのみんなは、はっきり言って、下手くそだ。
でも音楽を楽しんでいる。
あたしももう一度、心から音楽を楽しみたい。
ギターをめちゃくちゃに弾き鳴らしているときが、やっぱりあたしには、一番楽しい。
スポットライトをひとりで浴びることはもうないけど。
大勢のファンに囲まれることはないかもしれないけど。
それでいい。
ねえカツヲ。
電車がやって来た。
「さて、行くか」
あたしはギターのバッグを抱えて、電車に飛び乗った。
バッグには、カツヲの毛玉で作ったキーホルダーが、揺れている。
おしまい
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