第九話 カツヲのおなか(17歳 女 アイドル)
「...っツー、スリーフォー、っツー、スリー、フォー」
......。
「上、下、開いて、タン、タン、タン!」
.........。
「右、左、右、左」
............。
「ながれるくものむこ~~...って、ああ!また間違えた!!」
......あふ。
「ちょっとカツヲ! なしてそんな落ち着いてんの!?」
......むにゃむにゃ。
「も~! 少しは元気づけるとか、応援するとかしてくれないの!?」
...ごろ~~り。
「カツヲ~~!!」
あたしはカツヲのでっかいお腹を、わしゃわしゃとなで回した。
いつもなら、それで落ち着くはずだった。
でも、今日は違った。
* * * * *
「いよいよ明日だな」
「はいっ」
「小さいハコだけど、最初のワンマンだから、まあこんなもんだろ。細かい打ち合わせとか、もう終わった?」
「はい、今ちょうど」
「事務所の上の方も、期待してるからね、頑張って」
「はい、がんばります!」
「じゃあ俺はこれで。あ、ナベちゃん、ちょっと付き合って」
「お疲れさまでした!」
そう、明日は初めてのワンマンライブなのだ。
歌も踊りも、正直得意ではないけど、いっぱい練習した。
マネージャーのナベさんも忙しそうだ。事務所のスタッフさんや私だけでなく、お母さんとも時々何か相談している。
周りが動いてるって感じがする。あたしもがんばらないと。
通しリハを終えたあと、あたしは少し外で涼みたくなった。
リハ室を出ると、廊下の向こうで、事務所のキシさんとナベさんが話しているのが、少し聞こえてきた。
「...それで....」
「...埋まりそうだが...」
「...ここまでやってなんで....」
「...社長は...プロモーションをシフト...」
「...シングルも三枚リリース......一区切り....」
「...これ以上伸ばすには金が......マニアの間......もっと....」
「...本人が納得....」
あたしはここまでしか聞く勇気がなかった。
ダッシュでその場を後にした。
* * * * *
「なして、いっつもここで間違えるかねぇ」
あたしはカツヲに話しかけた。
サビ猫のカツヲは、あたしが札幌の芸能スクールに入った時に、家に来た。
あたしはちょうど九歳だった。だから、カツヲはもう八歳。
人間で言えば、もう立派なオジサンだ。
それに顔も、体格も。
おなかがでっかくてカンロクたっぷりのくせに、ゴハンのときだけ甘えんぼになる。
食べたあとはソファの上でごろーんだ。動くのもめんどくさいって顔して。
カツヲが手にのるくらいのちいさな頃から、あたしたちは一緒に過ごした。
デビューが決まって東京に出てくるとき、あたしはカツヲと離れたくなかった。
まだ中学生だったあたしのために、お母さんとカツヲが、一緒に東京に来た。
以来お父さんは札幌に単身赴任中。
だから、カツヲがお父さんみたいに思えてくる。
イヤな仕事があって泣いて帰ってきたときも、
イベントでお客さんがぜんぜん入らなくて落ち込んだときも、
カツヲのおなかをわしゃわしゃなでれば、気分が落ち着いた。
でもなんか今日はちがう。
落ち着かない。
振りを間違えちゃうだけじゃない。いろいろなものが、心のどこかで、ひっかかってる。
「お母さん、遅いねえ」
事務所の人と、何話してんだろ。だいたい想像つくけど。
「ねえ、もう切られちゃうのかなあ」
あたしは、思い切ってカツヲに向かって、声に出して言ってみた。
「ぜったい大物になるって、ゆったべさ。ねえ」
カツヲの頭をなでてみる。
おっきな顔だ。
「うちのお父さんより、あんたの方が老けてるねぇ」
カツヲは知らんぷりだ。
お父さんか。
「カツヲ、こないださ」
カツヲが顔を上げて、あたしを見た。
あたしは、その眼を見ながらしゃべり続けた。
「お父さんが電話でさ、あたしのDVD見たってゆってたよ」
カツヲは眼を細めた。
「すごいなぁ、カッコいいなあって、ゆってたよ」
薄目を開けて、あたしを見てる。
「話し方も変わったってさ。もうすっかり、内地の人だもなぁ、っゆってた」
カツヲの顔が、ぼんやり滲んできた。
「なんか寂しいねぇ...」
ぼけて見えなくなってきた。
「まわりがみんながんばってくれてるのに....なしてさびしいんだろねえ....」
あたしはカツヲのおなかに顔をうずめた。
「さびしい...カツヲ、さびしい.......」
ぽん。
「ふぇ?」
カツヲがあたしの頭をたたいた。
顔を上げてみると、カツヲはあたしの頭に手をのっけたまま、じっとこっちを見てる。
「カツヲ?」
カツヲはあたしの頭を、両手でぐいっと押しのけた。
そして、
むーーーーーん
そのまま向こうにそっくり返って、すごい伸びをした。
見たことないほど長い。
「カツヲ....あんた、見かけによらず、身体やわいねえ」
そして、むーんと伸びきったところで、
ごろん。
私のほうに向かって、丸まった。
ダンゴムシみたいに。
「あ、あはは、すごいなカツヲ」
....え?
身体を反らして....その反動で、くりっ。
「ながれるくも~の...あ、ああ! そうか! これでいいんだ!」
踊りの先生もわからなかったのに。あたしなんかぜんぜんわからなかったのに。
カツヲは一瞬で、あたしの振りのぎこちなさの原因を当ててしまった。
「カツヲ~! すごいねあんた! あたしの先生だよお」
カツヲはとくいげにおなかを出した。
あたしの涙でぬれちゃったおなかを。
ふう。
「カツヲ。あたしね、がんばるよ」
大きなカツヲのおなかをわしゃわしゃしながら、私はつぶやいた。
いろいろひっかかってるもの。それはあたしが、こだわりすぎてたってことなのかもしれない。
「大物になんかならなくてもいいから、できることを、がんばるよ」
カツヲは薄目であたしを見ている。
とにかく明日だ。
おうしっ。
「もっかい、おさらいしとこうか」
立ち上がりかけて、私はひらめいた。
「ねえカツヲ、あんたさ、明日のライブにゲスト出演しない?」
カツヲは、すごくイヤそうな顔をして、そっぽを向いた。
おしまい
※第三十三話 カツヲのしっぽ(19歳 女 アイドル)もどうぞ。
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