完全断薬3年を『仕事』で振り返ってみる その2 | 【夏海のお部屋】精神薬の完全断薬から丸10年の軌跡

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夏海のお部屋へようこそ

あなたは、あなたのままで良いんだよ

毎日頑張って生きてるよね、私たち。

頑張っていても、頑張れない日も、あなたのことが大好きです。

こんばんは(*^^*)

これを下矢印アップしてから もう半月以上経ったんですね。


 

早いなぁ。

 

今日締め日でした。

やっと一ヶ月分のお給料が貰える分を働きました。

(風邪を拗らせたので、休みが多いのですがw)

 

初めの一歩は1日5時間の趣味の延長だった

さて。

 

完全断薬をしたのが2014年の元旦で、春までは動けないから と宣言していました。

4月になったら動けるようになることを信じて、

暖かくなるまでの我慢 暖かくなるまでの我慢と 毎日唱えて過ごしていました。

 

四月になって、手芸屋さんで募集をしていることをネットで知りました。

当時の私は家に閉じこもって色んなものを作っていましたので、

丁度良い職場だと思って面接をしてみました。

 

当時の目標は10万円でしたが、結局1日5時間程度の仕事で、

最低賃金だったこともあり、

シフト制で夜の7時まで働いていたり、

土日も仕事をしていた割に10万円に満たない収入でした。

 

まだ トラウマ治療の先生のところに通っていて、

何だか分からないけれど、指が怖くて不愉快 という症状の相談などをしていたり、

向精神薬の断薬の乖離(離脱)症状もあったので、

『リハビリ』という意識は持っていました。

 

それよりも、私は企業で働くこと が性に合ってないから、

起業をしようと思って、リアル『夏海のお部屋』の為に の勉強期間として、

心理学を学んだり、起業について学んだりしようと思い、

長くても2年後には手芸屋さんを辞める予定でいました。

 

そんな理由から、今まで一度も経験したことがなかった、

辞めることを前提として仕事をする という経験をすることになりました。

 

辞めることを前提として仕事をする

私が本当にやりたいこと は、手芸屋さんの店員ではなく別のことで、

私がそこで働くのは、活動資金が欲しいから。

 

それまで一度も意識したことがなかった、お金の為に働く という意識で働いていました。

お金の為に働いているから我慢する ではなく、

お金を稼ぐ為に働いているのだから、『ここ』でなくても良い という意識です。

 

そう思えるのはとても気楽なことでした。

生まれて始めて感じる自由だったのかも知れません。

 

『そこ』に一生いなければならない

『そこ』でしか生きられない

 

私は強迫観念的にずっとそう思っていたので、好かれることに命を掛けていました。

嫌われては生きてはいけないと思い、

浮かない為に、嫌われない為にと必死になって気を使って生きてきました。

 

だけど今回はそれをしなくても良い。

 

なぜならば、辞めて下さいと言われても私は平気だったからです。

なぜならば、私がお金を稼ぐ場所は、『そこ』でなくても良かったからです。

 

少し長くなったので、続きはまた明日に(*^^*)