神社に楽しい気持ちになれたのはこの生田神社が初めてなのですが、恐れ多くて見える人から言わせたら神社で写真を撮るのは良くないことも…とか聞きますが、
なにぶん見えない人間なのですが、神様は直視してはいけないという風習からカメラも良くないと言われていたそうです。
目上の人であるという意識があれば、撮影してもいいとか、要は気持ちの問題ですね~。
せっかくなので、神社の参拝についておさらいをしておきましょう。
まず、参道から最初の鳥居をくぐりますが、そこでも作法があるそうです。
鳥居もたくさんあるので、最初の鳥居を一の鳥居といい、軽くお礼をしてくぐります。
このとき、真ん中は神様の通り道なので通らない!そうです。
正中といって、ここでのお礼を一揖【いちゆう】というのだとか。
次に手水で清めるときも、本当は全身を水で清める禊【みそぎ】の略なんだそうで、手だけで勘弁してもらってる気持ちでしましょう。
●右手で柄杓【ひしゃく】を持って左手をすすぎ、次に左で持って右をすすぐ。
●また持ち替えて右手で柄杓をもって左手に注いで口をゆすぐ。
柄杓を口につけないで!…子どもの頃は美味しい美味しいって飲みまくってましたけどネ
●それからもう一度左手に注いで、柄杓を置くときも柄に水がしたたるようにおいて清める。
んだそうです。
これも、中二病の頃の私なら、まず自分が穢れてるとか言われたくない!とムカついてましたね。
汚い汚いと思っていたのですが、神社にそれを落としてもらう意識はなかったですね~。
今アラフォーでやっと穢れが取れてキラッキラ写真でもオッケー出せます。
それについてはまた。
さて、次にお参りするとき。
鈴があれば元気良く鳴らし、自分が来たことをお知らせしましょう。
でもお賽銭は投げないで軽く
そして、有名な「二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)」の出番です。
●「二礼」
神前に向かって、二回深くおじぎをします。背中を平らにして、腰を90度折ります。
●「二拍手」
両手をのばして手のひらを合わせてから、右手を少し後ろへ下げます。(左手の親指の付け根の膨らんだ部分と右手の手のひらのへこんだ部分が合わさるぐらいのイメージで)肩幅ほどに両手を開いて、柏手を2回打ちます。
●再び、両手をあわせ、揃えて祈念をこめてから手を下ろします。
●「一礼」 再び深くおじぎをします。
出典はこちら↓
このやり方で、お祈りしますが、ほとんどの人は自分の欲が叶いますように、ということを神様に頼みに行くのではないでしょうか。
私はこれでは叶わなかったら神様のせいだったり、欲望は神様が叶えてくれるということになり、あまり努力したりもする必要が無いなと思って、つまらないと考えます。
神様にだって個性がありまして
その神様はみんなの心の中にもいる
というのが私の考えです。
たとえば、生田神社の神様も、好きな神様のところにおまいりしたらいいのだと考えます。
入って左側には市杵島姫【いちきしまのひめ】の神社がありますが、これは七福神のなかの弁財天で、芸能の女神。
その女神様の前で、芸が秀でますようにとお願いする、という考えは面白いか?と思うのです。
じゃあ、お話に来てはどうか?
いちきしまのひめさま、いちきしまのひめさま、私が再びやってきましたよ、今年の私の芸の道はどのような方向に開けていくでしょうか?
そんな話しかけをします。
すると自問に違いないのですが、答えがかえってきます。
大丈夫、そのままの自分をもっと出せるし、こんなこともあんなこともしちゃっていい(映像として湧くことも)のです。
みたいなね。
決まってる答えを確認する作業にも見えるのですが、神の個性を読んで想像して、その神に近づけるような思考を取り入れる。
本当に自分が思いもよらないことを神の前では聞けることもあり、新しい発想の元になったり…
神社には必要な時にお参りするものかもと私は考えます。
…しかし!
こんなことも別では行われているとか知ってしまいました…!
↓
書いたのはいいが、手放しで喜べないぞ…⁇
穢れてない意識=自分は間違ってない=神はそれを後押ししてくれている
そこに政治が絡んでるんじゃない?
これはまた、次につながっていきそうです。
今日もお読みくださりありがとうございました(^o^)
パワースポット生田神社
●なるみ堂サテライトショップ営業中
●チンドン屋と似顔絵のなるみ堂
●似顔絵メニュー
●チンドン屋のご依頼、ボンプロジェクトのページからどうぞ