来月の診察までに、10年にわたる再発期の病歴を書かなきゃいけないのに、逃げるワタシ。
やっぱ、ツライ思い出って思い出したくないのよねーーてへ


ってなわけで、脱線ではありませんが、さがしびとについて。


自分の病気について、ネットで論文を見つければ、読んでるんですが、
そのなかで、1992年の「頭蓋底軟骨肉腫の治療経験」という、
都立駒込病院脳外科の医師たちが中心になって発表した論文があります。


ちょっとふるいけど、基本的なことは変わっていないので、勉強になりました。

まあ、医学の知識はないので、おおよそのことしか読み取れていないんですけど・・・。

(わたしエラソウ…あはは・・・



この論文でとりあげられている症例のなかで、1988年に発症した13歳女性患者という記述をみて、おおおっ!驚いた人ハッとなったのです。

なんと、ななみんと年齢が近いではありませんか!しかも女性だし、関東在住だし!
脳腫瘍患者を1000人集めても1.6人しかいないというこの病気で、

同年代・同性・同地域の患者なんて奇跡!キラキラと思い、コレを読んでからずーーっとこの患者さんに会いたいなあと願ってきました。


よく、いろんな病気の患者の会をみかけるけど、それは病気人口が多いから成り立つもので、脳腫瘍・軟骨肉腫では望むべくもないですよね。でも、やっぱり同じ病気を持つ人たちと、これまでの経験やつらかったことを話して、病気への思いを共有したい気持ちは強いですし、いろいろな後遺症へみんなどう対応しているのかを聞いてみたいです。おたがいの苦労を少しでも軽くしたいのです!
三人寄れば文殊の知恵っていうじゃないですか。



JBTAという脳腫瘍患者の会には入っているのですが、やはりここでも軟骨肉腫の方に会えていません。



なので、この駒込病院で1988年に発症・手術・入院した女性患者さん!ぜひななみんと会ってください!!
わたしの最初の開頭手術は1993年です。同じ病気を繰り返している者どうしで、おはなししたいのです!


とはいえ、いまもお元気でおられるのか、いまどこに住んでおられるのかもわからないので、可能性はほとんどないのですが…ガーンしょぼん


この女性患者さんに限らず、同じ病気の方、もしくは同じ病気の方を知っていらっしゃるという方、ぜひななみんまでご一報ください。でも、ひやかしみたいなことはやめてください。
病気のつらさ、苦しさを誰かと分かち合いたいのです。
家族も友人も心を寄せてくれていて、それには心から感謝していますが、それとはまた違うことなのです。



もちろん、相手の方のお気持ちが一番なので、無理強いのようなことではなく、もし同じ病気の方がおられて、ななみんと同じ気持ちをお持ちであればにかぎってのことです。

そこのところを、よーくご配慮くださいねsei


どうぞ、どうぞ、どうぞ、よろしくお願いします。

ってなわけで、とーーっても行きたくないところに受診に行ったわけですが、

(何の話じゃって方は、その1をお読みください)
おかげで受診の数日前から胃痛に……あせる
とほほ。ストレスに弱いわたし。


2013年9月11日大学病院耳鼻咽喉科
若い医師の診察
以前の受信が古すぎてすでにカルテが処分されてしまっていること、
だから自分にはどうしていいかわからないということのみを繰り返す。


あのさ、それはだいたい察しがついていたけどさ、
受診に来ているのはいまなんだから、もうちょっと他に話すことあるだろ。おい。

んで、「とりあえず」「とりあえず」「音声外来を受診してください」
またこれを繰り返す。

最後に内視鏡で鼻のなかを見たのだけど、見終わってのコメントなし。
えーーー!人の体のなかを見ておいて、それはありえなくない??プンプン


けっきょく、来月の音声外来の予約とその前日の検査の予約をして、
2700円くらい払って帰ってきました。
高っっ!!叫び


なににそんなにカネがかかるんだろ。
やっぱ内視鏡だよね。
でも見てどうだったか聞かされてないし。
だったら何のために見たんだって感じだよね。


ここがこーいうところだってことは知っていたから、驚きは全然ないんだけど、
久しぶりだったのでさすがにゲンナリシチャッタヨガーン


今回の目標は、リハビリとかの努力目標的な方法でなくて、
もっと根本的に発声を改善できる方法がないかを調べることです。


風邪をひくと、みなさんのどが腫れて声がガラガラになりますよね。
わたしの場合、ガラガラ+声が出しやすくなるのです。
たぶん、のどが腫れて膨張したことで、声帯の隙間がふさがれて、そうなるんじゃないかと思います。
なので、やはり何かしらの補強みたいなものを加えれば、
改善が期待できるのではと思うのです。シロウトなので希望的観測ですが。


ちょっと話はそれるけど、医療にできることできないことっていうのは、
もちろんその時代での技術的な限界があると思うのだけど、
もうひとつに、医師個人の姿勢がおおきく影響していると思うのですよね。
その患者の症状と希望に沿った治療方法を、

マニュアルどおりだけでなく、最大限の可能性を考えてくれる、
そんな医師に出会えるか出会えないかが、患者の運命を左右するのです。
じっさい、わたしの運命もそのとおりに進んできました。


なので、セカンドオピニオンがだいぶ浸透しては来ているけれども、
やはり医師を選ぶ、患者の側の視点というのがだいじだなーと実感しています。


で、上記の病院では、もちろんそのような医師には出会えなかったわけで、
ひとまず受診したのは、長い病歴ゆえの通過儀礼だと思ったからです。


というわけで、ストレスまんさいの耳鼻科受診は来月に続きます。
しばしお待ちあれ~。
その間に、病歴の記事を少しずつ書ければいいな。
なにせめんどくさがりンで…sei

基本的なこと、脳腫瘍の病歴なんかは、おいおい書いていきますが、

(なんせ脳腫瘍の再発繰り返し期だけで10年ぶんあるので・・・ガーン

いま現在うごいていることから記録していきますね。


2013年9月に、左側の声帯麻痺による発声障害を改善させたいと、

お世話になっているN大学病院脳外科と同院内にある耳鼻咽喉科を受診してきました。


じつは、1993年に脳腫瘍が発見されたきっかけは、この声帯麻痺でした。

今回受診した耳鼻科で発見されたわけです。

そんで、じゃあ麻痺の原因は何かってバリウム飲んで食道の検査したり、

当時はMRIなんてあんまり普及していなかったので、CTで頭部を撮影したり、

そこで、脳腫瘍が発見、そのまま脳外科へうつされたわけです。


そして、ときがたって、1度目の脳腫瘍摘出手術の後に、

麻痺した声帯をシリコンで補強する手術を、やはりこの耳鼻科でしてもらいました。


それでいったんは、若さゆえの回復力もあって、かなり正常に近い程度に声量が戻ったのですが、

2003年の4度目の脳腫瘍摘出手術の後遺症で、首から上・左側の機能がマヒした結果、

飲み込みがうまくできなくなったり、声帯麻痺が増大したりしてしまいました。

あと併せて行った経鼻の脳腫瘍摘出手術で鼻腔を損傷したことで、

いつも空気が左の鼻から抜けてしまうようになって、滑舌がひどく悪くなりました。


これらの症状のせいで日常的に困ることを書き出してみます。

1.ぜーぜーした声しか出ない

2.大きい声が出ない

3.滑舌が悪い

4.プレゼンテーションなどで一人で長時間話すときなどは空気が足りなくて酸欠になる

5.自分のつばでむせる。ぱさぱさした食べ物は飲み込めない


ほかにもあると思うのですが、思い出せないのでおいおい足していきます。

1、2、3のせいで心配なこと困っていることは、

一番には自分のしゃべっていることを相手に聞き取ってもらえないことです。

とくに電話で話すとき、相手がお年寄りのときは絶望的です。

両親がゆくゆくは年を取って難聴になったとき、きちんと意思疎通ができるか心配です。

滑舌が悪く、ゆっくりとしか話せないので、就職面接などで困ることもあります。

いざというとき大声が出ないので、いつも災害対策用の笛を持ち歩いています。


これに加齢が加わって、いま状況はさらに悪くなってきています。

このため、なにか医療の点からできることはないかと、

悪化していくものをそのままにしておきたくないと、耳鼻科に行く決心をしました。

それはもう、ほんとに「決心」でした。

行かずに済むのなら、金輪際、一生、かかりたくなかったところだからです。

その理由はひとまずおいておいて、次の記事からは今回の受診記録について書きたいと思います。