セイの法則、ワルラスの法則、ついでにデロングの法則についてまとめておくへの追記内容として、リフレ派(含む一般リフレ支持者)の認識の変化について指摘しておきたい。
上記記事で引用した飯田泰之(『需要不足を認めるならば、残された問題は、貨幣供給の不足をどのように埋めるのか、という点に絞られているはずなのだ。』)や、以前議論した蝙蝠氏(『デフレは貨幣的現象によって起こる総需要不足』)のように、一般的にリフレ政策論者は、総需要不足の要因を単に貨幣不足に求め、貨幣の追加供給それ自体が問題を解決するという考えを持っていた。
しかし、上記記事で私が非難したように、貨幣の存在が不況の原因だとしても、それが単純な貨幣の追加供給で解決するとは限らない。この世界には貨幣に準拠した安全資産(特に債券)が存在し、安全資産を購入して資金を供給する従来のオペレーションは、貨幣+安全資産の総量を増やせずに無為と化してしまうからだ。
ところが最近、リフレ支持者は「国債が足りない」と言い始めた。
以前議論したすまん寝氏(すでにブロックされている)のブログでは、しれっと「いわゆるリフレ的政策支持者だけでなく、デフレ派や財政破綻派を含めて、国債が足りないが共通のコンセンサスになってきているようです。」などと述べられているし、蝙蝠氏も「現実に国債足りないからね」などと放言している。
しかし冷静に考えてみてほしい。
債務残高GDP比が200~300%である日本において、貨幣供給の見合い資産としての国債が不足しているというのは、直観的にはかなり奇妙だ。
それを説明する方法は簡単である。そもそも貨幣供給それ自体には意味がないのだ。
もっと言えば、もともと足りなかったのは貨幣ではなかった。
すでに指摘したように、不足していたのは貨幣+安全資産だったのである。それは、政策変数的には、(貨幣ではなく)「国債の不足」だったのだ。
リフレ政策論者の人々は、これまでのリフレ政策論と根本的に矛盾するこの現象について、もっと見識を深める義務があるように思われる。
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