日本銀行の手詰まり ――その根源は財政の機動性欠如にある―― | 批判的頭脳

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年始から、株価の値崩れが話題になり、金融市場及び政治経済論壇は騒然としている。

実際に株価の推移を見ていると、実は下落トレンドそのものは2015年半ばを過ぎてから顔を覗かせているのがわかる。






この間、日銀は『補完措置』を提唱、実行などするに至ったが、米利上げや中国バブル崩壊本格化、以前から続いている原油値崩れに対して資産市場を安定化することはできなかったようである。


こうした中、最近の日銀の動きは積極性を欠いており(黒田日銀総裁「現時点で追加緩和をする考えはない」 日本経済新聞 )、黒田総裁は必要があれば躊躇なく追加緩和であれ調節を行うという呪文を唱えるだけの機械と化している感がある。


このような黒田総裁率いる日銀の消極さに、批判的な向きも多い。

しかし、日本銀行が徐々に手詰まりに追い込まれつつあるのは、事実である。その構図を解説したい。


それを論じる前に、まず拙記事:非伝統的金融政策の要諦 ――異次元緩和はなぜ効くのか、そして効かないのか――の議論を確認しておこう。

クルーグマンが論じたように、流動性の罠では量的緩和そのものには意味がなく、インフレ目標が伴わなければならない。しかし、インフレ目標があっても、有効であるとは限らない。拙記事:クルーグマンのRethinking Japanと本当の財政問題で述べたように、自然金利が長期沈降していれば、インフレ目標に意味はない。
実際、ブレークイーブンインフレ率は、インフレ目標2%の提唱とBMの135兆(2013/3)から346兆(2015/12)への拡大があっても(参考)、1%近傍から抜け出せていない。
途中に消費増税と原油安が挟まっているとは言え、それからいくらたっても目標に近づこうともしないのである。
そもそも、1.5%以下での停滞(新物価連動債に変わってからは、1%近傍での停滞)は、消費増税前にすでに生じていたということを確認しておくべきだ。
そうした中で、インフレ目標を伴う量的緩和という第一の方策はすでに瀕死状態である。




日本相互証券から引用)


このため、非伝統的金融政策の第二の方策である信用緩和が残された唯一の手段となろう。まさに「日銀はケチャップでも買え」ということである。(ちなみに、このフレーズはジョン・テイラー発祥らしい)

だが、拙記事ですでに解説したように、リスク資産は、損失発生による見合い資産不足とそれによるコントロール不可能なインフレ発生のリスクを負うため、中央銀行が(経済的に意味があるほどの)大規模購入を行うのは困難だ。万が一それを行えば、中央銀行は多大なリスクに晒される。

しかしながら、中央銀行が見合い資産不足に陥った場合の対策はある。その一つはボンド・コンバージョンだ。日銀が保有する政府負債の利子率を政府とアコードを結んで引き上げ、資産価値を引き上げて売りオペすることで、見合い資産不足による引き締め能力毀損を解消できる。(ただし、政府にとっては利払いが増加しており、実質的な緊縮財政になる。この利払いに対し政府が国債を発行すると、その履行のために日銀がマネタリーベースを供給せざるを得なくなり、インフレになる元の木阿弥になってしまうので、やはり主体的に政府が緊縮財政を取ることが前提になる)
他にも、政府が強力な緊縮財政によって財政黒字にし、日銀の代わりに市場から資金を回収するという方法もある。


ところが、いずれの場合でも、政府が緊縮財政をする能力が求められる。政府が機動的な財政を行う能力を保持していると信頼されていない限り、日銀はリスク資産投資の勇気ある拡大を進めることが出来ない、というわけだ。

しかしながら、もし政府が機動的な財政能力を行う(判断)能力を保持しているのなら、そもそも政府が財政出動を行えばいいのでは? ということになる。

ここに最大の矛盾がある。日銀が強力な信用緩和を進めるとき、財政の機動性を信頼しなければならないが、財政の機動性が十分にあるなら、そもそも日銀がそのようなリスキーな政策を取らなくても、財政が総需要を刺激できるし、そうすべきだ、ということになるのである。


もっとも財政支出の重要性を過去に訴えていたバーナンキと裏腹に、黒田総裁は5⇒8%の消費増税を要求する声明を頻繁に出していた。今回の日銀の窮状、すなわち、金融政策単体が無効の流動性の罠経済において、財政政策の助力を失うという事態は、もはや黒田総裁の自業自得なのだ、とも思える。
しかし、金融政策が有効か無効かという議論が重要である理由で述べたように、金融政策が有効だという(誤った)信念は、その極めて正常な論理的帰結として黒田総裁のような消費増税容認(黒田に限ってはもはや推進であったが)をもたらすのであって、金融政策単体の無効性を認めなかった経済学者たちの罪は重いと言えよう。



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