再び自民党憲法改正草案の12条・13条について考える | なか2656のブログ

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1.はじめに
新聞記事によると、自民党の憲法改正推進本部事務局長の礒崎陽輔首相補佐官は、自身の政治資金パーティーで本年3月22日に、「憲法改正を行うのは当たり前」と述べ、まず1回目は、国家緊急権(緊急事態条項)などを対象とし、国民に憲法改正に慣れてもらい、つぎにより本格的な憲法改正を行うべきだとして、最初の憲法改正のための国会の発議は、遅くとも再来年前半までに実現することに意欲を示したそうです。

・礒崎首相補佐官、憲法改正「まず緊急事態条項から」|日本経済新聞

先般、つぎのとおりブログ記事で自民党の憲法改正草案についてふれてみたのですが、特に「第三章 国民の権利及び義務」の冒頭にある12条、13条の部分は、この自民党の憲法改正法案の本質をよく表す部分であるといえると思うので、もう一度考えてみたいと思います。

■先般のブログ記事
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法前文~憲法24条まで)
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法25条~憲法102条まで)

■自民党の資料
・自民党の憲法改正草案(PDF)
・自民党の憲法改正草案Q&A(PDF)

2.自民党の憲法改正草案の12条・13条の部分を考える
自民党憲法改正草案

第三章 国民の権利及び義務
第12条(国民の責務)
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

第13条(としての尊重等)
 全て国民は、として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。


(1)憲法13条の「個人」が「人」に変わることについて
第三章の「国民の権利及び義務」の部分は、現行憲法と草案とでかなりの違いがあります。

まず、草案13条は、現行憲法が「個人」としているところを、「人」としました。

この背景にはつぎのような考え方があります。自民党の憲法改正草案Q&AQ14は、「国民の権利義務」について、「現行憲法の規定のなかには、西欧の天賦人権説に基づいて規定されているものが散見されることから、こうした規定は、改める必要があると考えました。」と解説しています。

この点に関して、自民党憲法改正草案の起草委員のひとりであった、片山さつき参議院議員のツイッターでのつぎのような内容の投稿が以前話題となりました。

国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのはやめよう、というのが私達の基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!

http://twitter.com/katayama_s/status/276893074691604481

この自民党のQ&Aに登場する天賦人権説とは、名前だけ聞くと仰々しいですが、しかしその内容は、「すべての人間は、生まれながらにして自由に、平等に幸福を求める権利がある」という考え方です。

この片山氏の発言と天賦人権説との関係について、慶應義塾大学法学部名誉教授で憲法学者の小林節先生は、つぎのように説明なさっておられます。

「人間はだれもが生まれながらに人権を持っている」し、「人として生まれただけで尊いし、幸福に生きる権利がある。そして幸福とは、自分が自分であることを否定されないこと、つまり個性や個人の尊重が憲法の前提となる価値観」です。

「そのうえで、人間はひとりでは生きていけないものだから、国家というサービス機関を道具として皆で作ったのです。であるとすれば、人間と国家が対立したときに、国家が人間の人格的生存を侵すようなことがあれば、これは道具である国家が誤動作しているということなのだから、人間は革命を起こさなくてはならない。これがアメリカ独立戦争、独立宣言の精神です。」

「たしかに天賦人権説というのは西洋ではじまったものではあるけれど、個々の国民が個性を持った存在であり、かつ幸福に生きる権利を持っているのだという前提は、誰にも否定できない普遍性を持っている。だとすれば、天賦人権説は、個人の存在理由や国家の存在理由にかなった説明方法だと思われます。

国家が先に来て、国民が後に来るとなると、国家が人権に対していくらでも条件をつけることができてしまう。だけど国家なんていうのは肉体を持たない架空の約束ですから、結局は国家権力の名で行動しうる自然人、政治家を含む公務員が、自分の価値観や判断を「国家」の名で押しつけることになる。

「だから、この(自民党憲法改正草案の)第三章を貫いている考え方は、歴史の教訓に逆行する、おバカな発想ですよ。それから、個人の個をとって「人」とすることが意図的に行なわれたとのだとしたら、恐ろしい話です。個性こそが尊重されるべきものだというのが人権論の本質なのだから。」(小林節・伊藤真「自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす」106‐108頁より)。

慶應義塾大学法学部名誉教授で「改憲派」の憲法学者として知られる小林節先生が、端的に、この自民党のこの第三章の部分の改憲草案に関して、

「国家なんていうのは肉体を持たない架空の約束ですから、結局は国家権力の名で行動しうる自然人、政治家を含む公務員が、自分の価値観や判断を「国家」の名で押しつけることになる。」

とのコメントを述べておられますが、これはまさに正論であると思います。

うえであげた、片山さつき氏のツイッターの投稿ですが、これはかつてのアメリカジョン・F・ケネディ大統領大統領就任演説を連想させる、一見、耳障りのよい、かっこいい表現です。

1961年の大統領就任演説で、「アメリカが諸君のために何を為すかを問うのではなく、何が出来るかを問うてほしい」と演説したケネディ大統領は、今もなおアメリカなど各国で愛される、人気のある政治家です。

しかし、ケネディ大統領は、実際には1962年のキューバ危機においては核戦争勃発の瀬戸際まで世界を追い込み、また、1961年からは、ベトナム戦争において、南ベトナム(ベトナム共和国)に「軍事顧問団」という名目で海兵隊を派兵し、枯葉剤、クラスター爆弾、ナパーム弾などによる攻撃を行い戦争を拡大した、極めて好戦的な、人間の幸福よりも国益を重視するタイプの大統領であったことを今一度思い起こす必要があります。

また、片山さつき氏は東大の法学部を出て、元大蔵官僚を経て自民党の政治家となった人物です。今現在の政府・与党の政治や行政を見るに、そのような超エリート達が、本当に庶民のための政治をしてくれるのでしょうか。

そういったわが国の政治家やキャリア官僚といったごくごく一部のエリート達が国民に対して、「国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるかを考えよ」と述べたとしても、それは一見、「国を維持するため」と目的を表示しつつ、実はその目的は「自民党・公明党の国会議員や官僚の利益のため」ではないでしょうか。

それは戦前の「滅私奉公」「七生報国」といった、国家が国民に対して奴隷のような奉仕や、最終的には命すら要求する状況の再来にしかならないと思います。

現に、自公政権の安倍政権は「規制緩和」「構造改革」と称して、労働分野、社会保障分野、医療分野などにおいて、まさに国民・庶民を苦しめるさまざまな制度の改悪を実施中であり、福島原発の被災者の方々が暮らしに困窮しているにもかかわらず原発の再稼働も行なおうとしており、沖縄では地元の民意を無視して辺野古の基地建設を強行しようとしています。

まさに安倍総理や自民党・公明党の政治家や中央官庁の官僚たちが「国家」の美名を名乗って自分達の価値観、判断や私利私欲・党利党略を国民にごり押ししている状況です。

そのような意味で、草案13条が現行憲法が「個人」としているところを「人」としている点や、その背景の考え方として、天賦人権説の否定を行なっている点について、私は反対します。

(2)自民党の改憲草案12条の「自由及び権利には責任及び義務が伴う」について
また、草案12条に付け加わった、「自由及び権利には責任及び義務が伴う」というのも何なのかなと思います。

たとえばある人が別の人にお金を貸すと、その人は債権者となり、貸金債権を有することになりますが、べつに何らかの義務を負うわけではありません。自民党の政治家の先生方が誰かにお金を貸すと、その先生には何かの義務が発生するのでしょうか?

そういった意味でも、このあたりの草案の条文は、自民党の議員の先生方の古臭くてあまり正しくもない価値観の押しつけがましさを感じます。

言うまでもなく、近代以降の自由主義諸国の憲法は、その本質は国家の専横を防ぎ、もって国民の基本的人権を守ることにあります(立憲主義)。

つまりそのような意味での憲法は、政治権力者が国民に対してめざすべき国家像や伝統・価値観を押しつけたり、あるいは道徳や義務を強制するための法ではないのです。

自民党憲法改正草案は、前文でわが国の長い歴史や文化を強調し、和を尊び、国を守る義務、家族助け合い義務などを国民に課し、「良き伝統」と「国家を末永く」繁栄させることを憲法の究極的な目的としている、極めて国家主義的・全体主義的な憲法です。

立憲主義を放棄した内容であるので、「憲法」という名称を使っていたとしても、近代以降の自由主義・民主主義を標榜する諸国における憲法と呼べるものではなくなってしまいます。

自民党の国会議員達の法的知識の無さ、あるいは同議員達の私利私欲・党利党略の欲望の内容がまざまざとわかる内容です。某政党のかつてのキャッチコピー風にいえば、『国会議員の生活が第一!!』という感じでしょうか。

自民党・公明党の国会議員や官僚など統治する側でない我々国民・市民としては、このようなとんでもない前近代的な憲法改正草案には断固反対するしかありません。

(3)改憲草案12条・13条の「公益及び公の秩序」について
さらに、草案12条、13条、21条などは、現行憲法が人権の制限・制約「公共の福祉」としてきたところを「公益及び公の秩序」としました。

すでに現在の「公共の福祉」人権相互の対立の場面だけでなく、たとえば選挙訴訟などに関する、公正な選挙の実現など公益をも含めて広く判例・学説は解釈しています。

それをあえて自民党の草案が「公益及び公の秩序」と幅広な表現をしてきたのは、つまり、国民の人権がつねに「公益と公序」に反しない限りでしか認めないとするためであろうと思われます。

これは、戦前の明治憲法における「法律の留保」(「法律の範囲内ニ於テ」)のついた「臣民の人権保障」と同じであり、つねに人権のうえに公益・公序があることになり、人権はつねに公益や公序に反しない範囲でしか認められないという狭いものになってしまいます。

たとえば国会前や首相官邸前におけるデモや、沖縄の辺野古における国民のデモは、現行憲法21条により最大限保障されるとされる国民の「表現の自由」「集会の自由」です。

しかし、自民党憲法改正草案の通りに憲法が改正されてしまったら、政府・与党の恣意的判断で、「公益及び公の秩序」に反するとして、簡単に国会前や辺野古での国民のデモが禁止されてしまいます。

つまり、自民党の憲法改正草案は、日本社会を戦前に逆戻りさせる極めて反動復古的なものです。

そういった意味で、私は自民党憲法改正草案に反対です。

■補足
自民党の憲法改正草案については、こちらもご参照ください。
・集団的自衛権/憲法解釈の変更と憲法改正の限界

・自民党憲法改正草案28条の公務員の労働基本権/堀越事件・猿払事件


自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!



赤ペンチェック 自民党憲法改正草案



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いま、「憲法改正」をどう考えるか――「戦後日本」を「保守」することの意味





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