誤嚥性肺炎から緊急で🚑施設から搬送された時点で「二、三日が山です」と告げられ、「いよいよかぁ‥‥」と更に覚悟を決めた。
でも、幸い抗生剤が効いて肺炎は治まった。
次は?
看護師さん「食べれない状況になってます、ゼリーを試してみたのですが肺に入ってしまいます‥‥‥」
私「ありゃりゃ」
Dr.「今後のことを相談したいのでご足労頂けますか?」
私「はい」
とのやり取り後
このまま見守りながら点滴での栄養補給を継続‥‥‥
2/7には先端医療の病院から転院が決まってた矢先
2月1日午後‥‥‥
回診後のDr.より
「血圧や脈は正常値なんですが
明らかに意識レベルが低下しています。
反応がありません。個々によって症状はまちまちなのでなんとも言えませんが、良い状態ではありませんので覚悟をしてください。
変化がありましたら面会できる様に部屋を用意します。夜中も枕元に携帯を置いてくださいね」
私「‥‥‥そっか、はいわかりました」
電話を切ってからずーっとボーっとしてたと思う。
とはいえ家事はやっていたのですけどね。頭は空っぽ‥‥‥‥
洗濯を取り込んだり何かしら動いて気を紛らわす。
家族が仕事から帰ってきて夕飯
状況説明
その後、父の話をしながら夕飯を済ませ後片付けをしようとしていた時に電話が鳴る。
病院の番号からだ
看護師さん「今脈が40ぐらいに落ちています💦すぐ来れますか?」
私「はい、母を迎えに行って連れて向かいます」
看護師さん「どれぐらいかかりますか?」
ラッシュの時刻は過ぎているので20分ぐらいかと‥‥‥‥」
看護師さん「わかりました!時間外入口からお入りください、お気をつけて!」
その後は母を迎えに行き走る車の中から弟へ連絡‥‥‥‥
弟もすぐ向かうと言ったが最短でも40分はかかる距離
バタバタバタバタ‥‥‥
個室に移されていた父
脈は60まで上がっていた。
目は大きく見開き、酸素マスクも全開な状態でしたがピクリとも動かず、天井を見つめている?!そんな状態
私達の声掛けにもピクリとも反応はない‥‥‥
しかしながら、私達が声掛けるたびに脈が下がっていく‥‥‥。
30 27 24 19 0
アラーム音がなる
浅く細かった呼吸、胸も動いていない。
脈拍計の表示があっという間にゼロになり呼吸が止まった。
酸素マスクの音がやけに大きく聞こえた。
20時ちょうどだった。
私は、ナースコールを押すと
看護師さんがすぐ来てくださった。
看護師さん「弟さんがいらっしゃるまで待ちましょうか?」
私「そうさせてください」
弟が来てDr.立ち会い
20時34分‥‥‥‥と告げられた
それから事前相談をしていた葬儀関連へ連絡し迎えの依頼を行ったり、家に連絡したり私ができることを済ませた。
田舎にいると葬儀の経験は多い
私が嫁いでからも二人見送っているし、近所でも何件も葬儀に参列はしている。
流れはだいたい把握している。
しかし、それからは本当に慌ただしくて、葬儀場のスタッフの皆様に親切に対応して頂き、こじんまりとではあるものの父の義兄弟と家族、私達子供と孫、ひ孫で無事に送ることができました。
まだ実感もなく、お礼の挨拶等に回ったりしつつ平常な日課を済ませる。
葬儀後二日目の夜‥‥‥‥‥
節分、立春と何もできなかったけれど
せめて父の好きなおはぎをと
今日は作ってみた。
仏前に備えるために小さなサイズを別に作り供えました。
義母のときは食事もミキサーにかけたりと、少しでも口から摂ってもらいたくて工夫しながらこさえていたものですが‥‥‥
五年も施設に居る実父となると、面会も制限されていた中で、世話もできなかったせいか‥‥‥‥なかなか亡くなった実感というのはまだありません。