長崎の原爆直後の映像は一切出てきません。
建物の写真が数枚出てくる程度です。
話の舞台は現在です。
一年前、急性肺炎で亡くなった5歳の子どもの母親と
つい最近、母親を急性の心臓発作で亡くした高校生の女の子。
この二人を中心に話が進んで行きます。
作中に何回か登場する言葉で印象深かったのが三つあって、
「あるものが見えない。無いものが見える。」
「誰もがその日が最後だなんて思っていない。」
「こうして命を繋いでいくってすごいね。」
途中まではそれそれが悲しみに押しつぶされそうになったり、
自分を責めています。
そして、この話に原爆がどう絡んでいるかと言うと、
子どもを亡くした夫婦の夫の方が記者で、
被爆者の証言を集めて回っている。
そして、被爆者である妻の両親に体験談を聞かせて欲しいとお願いをずっとしているんです。
そして、後半、急展開があって、
妻が妊娠するけど、前の子のことを考えると産むのが怖い。
また、同じことになるんじゃないかと。
そして、なぜ夕方まで元気だったのに、夜突然死んでしまったのか、
考えて出た結論が「原爆」
自分が「被爆2世だから」、更には、親が「被爆者なのに自分を産んだから」
と責めてしまう。
その苦しみを知った妻の両親は初めて被爆体験を語り、
その苦しみを一緒に乗り越えていきました。
その時に見守っていた妹から出た言葉が、「命を繋いでいくってすごいね」
一方の女子高生の母親が被爆2世だったかどうかは語られていません。
しかし、坂ばかりの長崎を何故好きなのかと聞かれた時、
先の夫婦の妻を道で助けた後、子供のお墓参りにつきあった時など、
要所要所で言葉を少しずつ変えて「あるものが見えない~」の言葉が出てきます。
そして、この子は母親が亡くなる朝に、母親と喧嘩をしているんですね。
そして、夕方かかってきた電話も取らなかった。
もし、電話に出ていたら異変にすぐに気が付いて、母親を助けられたかも。
そして、母親に「ごめん」と謝れていないことも彼女を苦しめます。
その時に父親が「誰もがその日が最後だなんて思っていない。
お母さんがお前を愛していたことを忘れなければそれでいい。」と。
このことをきっかけに彼女は立ち直っていくわけです。
つまり、この映画では今でも続く被爆者とその子孫の苦しみと
それとは関係ないかもしれないけど女子高生の話とを通じて、
「生きること」・「死ぬこと」・「苦しみ」・「悩み」
そして一番大きなテーマは「幸せとは」ということかな、と思いました。
かなり心が痛くなる言葉もありますが、
一見の価値あり。
たまにはやるじゃん、パル企画w