そのコンフォートゾーンの向こうへ (5/24) | MY LIFE AS A PIG

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山と農業と旅を愛するAkihisaのブログです。
高崎高校→北海道大学農学部→銀行員(札幌・鹿児島・福岡・US)→旅人(日本縦断・世界一周)→大分大学医学部(編入)→明日は何処…
大分朝読書コミュニティBunDoku主宰/NPO法人NICE GWCコーディネーター/財務経営アドバイザー

大分に居を落ち着けて、気付けば1年が経ちました。
1年以上もひとところに留まってるなんて、地味に4年ぶりです。

でも実は、この1年を振り返ると、一体どれだけのことをしてきたんだろうと思う部分もあるんですよね。

今の自分をつくってくれた北海道時代はもちろんどこまでも濃厚な日々で、
転勤10ヵ月で駆け抜けた鹿児島は未だに九州で一番ふるさとと感じる土地で、
受験モードに切り替えた福岡時代は確かに仕事×医学部受験に走り抜いたと思っていて、
でも翻って大分でしてきたことを振り返ると、ちょっと「アレ?」って。

何もしてないわけではないはずなのです。
とりあえずBunDoku(読書会)を始めて、徐々にBunDokuが大分の読書コミュニティとして根付いてきた感触が掴めてきたところだし、
旅の報告会をしたりNICEのイベントをしたり東北に通い続けたり手話を始めたり、そしてもちろん勉強もあって、それなりにあくせくしてきたんじゃん?と思うこともできます。

でも、誤解を恐れずに言ってしまうと、自分の中のどこかにそれら全部を「流してる」感がずっとあったんじゃないかとも思うのです。

穿ってみると、自分にとってのBunDokuやNICEは、結局これまでの経験から「こうしてこうしてこうすればいいんでしょ?」ってやるべきことが見えてるから、ただそれを実行してるだけなんですよね。
(もちろん楽しんでやってますがw)
あるいは勉強も、確かに学ぶことは新しい知識ではあるけれど、「新しいことを理解して覚えていくという作業」自体は、自分なりの勉強方法さえ確立してしまえばあとは必要量の時間を投入するだけのただのルーチンワークです。
(あくまでも知識の吸収に関しては、ね。あと勉強自体は好きだから楽しんでルーチンしてるわけですが)

だからふとした瞬間に振り返ると、無意識に日々そうして楽をして生きてきた自分に気付いて愕然とします。
BunDokuやNICEやイベントは、北大時代の活動とTenDoku経験でこなしてるだけで、
対外交渉や書類作成は銀行員時代のスキルと経験をちょっと出してるだけで、
新しい土地で新しいことをしているように見えて、実は全部過去の遺産だけで生きてきた1年だったんじゃないかとさえ思ってしまいます。

仕事も活動も旅も勉強も、経験を積んでることは悪いことじゃないと思うんです。
でも今みたいに、そこに生まれた慣れに甘んじてるだけでは自分の成長がない気がするんです。
本来なら、経験を積み重ねていく度に螺旋階段を登るようにレベルアップしていくべきなのに、今は昔取った杵柄におんぶに抱っこで、同じフロアをぐるぐる回っているだけのような…。

自分は気持ち的には人から褒められたいけど、でもきっと性格上、褒められるよりもプレッシャーを掛けられてやっと伸びようとするタイプなんだろうなと思います。
仕事では上司がガンガンプレッシャーを掛けてきてくれたから単純に上に向かっていけたけど、今はそのプレッシャーを掛けてくる誰かが周りにいないから、楽に甘んじてしまっているのかもしれません。

自分の手の届く範囲のコンフォートゾーンに安住していて、その向こう側に飛び出そうという気概が薄まっていました。


…でもまぁそれでも、この1年はそれで良かったのかなと思ったりもするのです。
仕事を辞めた2年半前から、続けざまに色々な物事が起こっていました。

退職して世界を旅して、大分に居を移してぼちぼちと生活を始めて1年。
徐々に大学生活のペースが掴めて、街での楽しい人脈も広がってって、最近になってようやく改めて自分の人生を考える時間が持てるようになってきたとも言えるわけで。
言い換えれば、最近になってようやく自分の中にその精神的余裕が生まれたのかもしれません。

つまりこれまでの1年は、大分での新生活に慣れるための、この新天地で自分にとっての物理的なコンフォートゾーンを作るための、あるいはそもそもキャリアチェンジをして新しい人生をスタートするための、リハビリ期間・アイドリング期間だったとも言えると思うのです。

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2度目の大学生活も、残り3年を切りました。

振り返ってみると、いつからか「10年後の自分像」を自らに問いかけるのを止めていました。
「人生をかけての目標はなんだい?」と問いかけるのを止めていました。

でも自分はそろそろ、近い未来に始まるであろう本業の「医」の分野でどう生きていくのか、その具体的な答えをもっと真剣に探し考えていくべき時期にいるのかもしれません。


冷静に考えてみると、今やっていることは自分の将来に直接繋がる何かではないのかもしれません。
楽しいし、少しは誰かの役に立っている感触もあるから一定程度の満足はありますが、でもそれらは自分の人生の延長線上において具体的なその先があるわけではありません。

何でも試す20代は終わって、選択と集中の30代に入ったんだと意識したとき、そんな風にまだ自分の中に方向性と現実とのギャップがあります。
本当にそれが「選択と集中」するべき対象なのかの、確信がありません。
だから「いつまでこんなことしてるの?」と自問することも多々あります。

でも、何かをそう自覚し自問しながらも続けていくこと自体は、きっと自分の人生にとって意味があるんだろうなとは思っています。


30代を「選択と集中」と考えていくスタンスはこれからも変わりません。
何でもかんでも手を出して忙しくし過ぎるのからは、そろそろ離れて良いかなと思っています。
(20代のひと時にその時期があったのはもちろん良かったと思っていますが)

でももしその何かが、選択し集中するに足る何かなら、もう少し深く突っ込んでっても良いはずで。
だから、のんびりと気楽に過ごしてきたこの1年からはそろそろ卒業して、ちょっとまた、このコンフォートゾーンの向こう側へと出掛けていきたいです。