憲法を取り戻し、平成の維新を! | My Aim Is True

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総選挙は自民党の歴史的大勝、民主党の憲政史上に残る歴史的惨敗に終わりました。

「郵政選挙」の自民党の大勝、「政権交代。」選挙の民主党の大勝という、気まぐれ「民意」様のあり方に、石原慎太郎(都知事・当時)は「いやぁ、日本人というのは怖いとつくづく感じたね(日本の大衆は極端に振れがち)」と呆れていて、今回も似たようなものかもしれませんが、実はちょっと違うようにも思えます。

閉塞感の漂う時代、とかく大衆は革命的な変化を求めがちです。

それ故、「ぶっ壊す」小泉純一郎や「政権交代。」民主党にそれを期待したのであろう。

ところが、期待していたほど劇的には幸福にならない(政策の良し悪しとは関係がなく、当たり前の話だ)。

そして、今回、再び、大衆が「革命的な変化」を夢見るのなら、日本維新の会あたりに期待が集まりそうなものであるが、大衆は「もう騙されないぞ」と学んだのか、自民党に圧倒的な支持が集まった。

もちろん、投票率の低さにも関係があるのであろう。

こういう時、「無党派層」と呼ばれる一番厄介な大衆(愚衆)が選挙に出向かなかったから起こる現象であり、彼らはかつて森善朗(首相・当時)が「無党派層は(選挙の日は)家で寝ていて欲しい(選挙で投票なんかしなくていい)」と発言し、それが大メディア様に問題発言化され、自民党は選挙で敗れた。

ただ、森善朗の「問題」発言は正論である(ちなみに神道の宮司が集まった会合で「日本は天皇を中心に戴く神の国」という発言も問題発言化されたが、これも正論だ)。

周りにいないだろうか?

「俺は特定政党を支持しない無党派だ」とか「俺は保守でも左翼でもなく中道派」だとか言う人は。しかも、そういう連中は何故か、そういうことを得意げに言ってみせる。

しかし、そういう連中(の大半)こそが、軸を持たずに凧のようにフラフラと揺れ、空気に流される最も危険な大衆層なのだ

そういう連中は選挙の日は家で寝ていてもらいたい。


かつて、左派大メディア様は小泉純一郎から禅譲されて総理となった安倍晋三に対して、「総選挙を経ないで誕生した内閣だから、国民に選ばれたわけではない。今すぐ解散して総選挙を!」とバッシングしていましたが、一応、今回は国民の「圧倒的支持」を得て総理となるんですけど、またイチャモンをつけるんでしょうか?


「投票率の低い選挙」

よく聞かれるフレーズです。

「国民は政治に失望している。政治を信用するな!」「政治に対する幻滅(朝日新聞・三浦)」

その延長で、「投票率の低い選挙で選ばれた総理だから、国民全体の支持を得ているわけではない」とか言い出すんでしょうね。

でも、投票率の低さって、大メディア様のプロパガンダに流されるだけの、選挙の日は家で寝ているべき「無党派層」が家で寝ていただけでしょ。

普段、大メディア様に踊らされるだけの「無党派層」が踊ってくれなかったのが悔しいだけなんでしょうね。

「一票の格差が是正されなかった選挙は無効だ」という声もあります(笑)。


無論、僕は基本的に自民党を支持しているとはいえ、支持しているというより「一番マシ」程度のものである。自民党の政策理念の全てを支持しているわけではありませんが、自分と100%政治理念が同じ政党なんて存在するわけがありませんし、もっと言えば、100%同じ理念の政治家すら一人もいないでしょう。

自分に比較的近い政治理念を持つ政治家、政党を現実的に考慮して支持・投票するまでです(自民党より旧「立ち上がれ日本」の方が政治理念が近いのかもしれませんが、政権を担える規模ではなかったので、当然、投票にまでは傾きません)。


さて、今回の総選挙です。

ハッキリ言って、民主党は政党としての存在意義を失ったといえるでしょう。

トロイカ体制と呼ばれた小沢&鳩山&菅直人の3本柱。小沢は脱退、鳩山は引退、菅直人は選挙で敗れる(比例で復活)。

選挙大敗当日、長島明久(民主党)がTVでぶっちゃけて話していたように、「民主党というのは政策理念もなく、ただ政権交代のためだけに寄せ集めた政党で、政権交代した瞬間に終わってしまった」のである。まさに「政権交代」だけで終わってしまったのだ。

多くの人は、民主党は政権を担ったら、国家運営の根本的な課題(憲法、安全保障、教育など)に直面すると分裂するだろうと予想してきましたが、そうした根本的課題から目を背けて分裂を避けてきつつも、脱党者が相次ぎ、今回の総選挙で民主党不利だと見るや、更なる脱党者が。

元からわかっていたことですが、政党としての体を成していない

僕が最も言いたいのは、そうした政党に政権を担わしてしまった、先の総選挙で民主党に投票した有権者の大衆層の責任問題です。

日本にとって国家として死活問題である時期に、3年半もの政治空白を生んでしまったことは致命傷ともなりかねない

「いやぁ、民主党には騙された」「一度、やらせてみてはどうかと思っただけ」では済まされない、民主主義礼賛者が「神の声」と崇める民意の恐ろしさである。


大メディア様は「日本にも二大政党制を!」と盛り上げ(何で?)、待望の二大政党による政権交代が行われたのですが、猿真似の「二大政党による政権交代」が行われても意味がありません。「マニフェスト選挙」もナンセンス。「世襲政治家粛清」もナンセンス。「事業仕分け」もナンセンス。

一体、どれだけ無意味なプロパガンダが踊ったことか

「地球温暖化対策」=「CO2削減」=「クリーンな原子力を使ってCO2を○○%削減」と国連総会で無責任な「国際公約」をやってきた鳩山首相(当時)を大メディア様は「歴史的な演説」「国連総会で日本の政治家の発言がこれほど注目を集めたことがあっただろうか」と大絶賛。

ところが、福島原発事故が起きると、民主党も左派大メディア様も一変して、「脱原発!」と、「CO2削減」だとか「地球温暖化」だとか全くシカトする有様である。


そういえば、民主党が政権をとってから、いくらトンチンカンなことをしても、「アメリカには政権交代が起きてからは、100日間程度はメディアは余計な批判をしない『ハネムーン期間』があるんです」とニコヤカに報じていました。

当然、政権奪還をした安倍内閣にも「ハネムーン期間」があるんでしょうね???


さてさて、脱線(?)しましたが、タイトル通りの記事を展開しましょう。

当ブログの読者なら耳にタコができるくらい聞いたフレーズでしょうか、憲法とはそもそも「Constitution」の訳語であり、「国体」「国のかたち」を表す英単語であり、言い換えれば、「日本らしさ」「日本らしい価値観」であり、日本の歴史・伝統・文化・慣習を成文化したものが本来の意味での日本国憲法である。

ところが、現「日本国憲法」というものは、そうした要素がほとんど無視されて、アメリカに「日本なんてこんな国になっちまえ!」「アメリカ(戦勝国クラブ)の奴隷となれ!と押し付けられたもので、そうしたものを憲法とする限り、日本は、日本人は本来の国柄や民族性を歪められて徐々に滅んでいき、永遠に主権独立国家となれないアメリカの奴隷に成り下がったままなのである。


安倍政権の誕生に対し、中国・韓国メディアは「日本に極右(右翼)政権誕生」と危機感を募らせる。

安倍晋三が極右?右翼?(笑)

中国人・韓国人に比べたら、安倍氏はかなり左寄りであり、安倍政権を真ん中にするなら中国・韓国は極々右国家である。

韓国はこう恐れている。「日本が軍隊を持つ」(韓国は既に持ってます)、「日本は集団的自衛権を行使できるようになる」(韓国は既に持ってます)、「靖国参拝」(どこの国でも戦没者に追悼するのは当たり前です)、「『歴史問題』を否定する」(嘘つきの嘘は認めないというだけのこと)。

結局、中華思想を持つ中華圏の国々は、自分たちは何をやっても良いが他が何かやるのは許せないという自己中心主義でしかないのです。


日本の左派大メディア様は言う。

「安倍首相になったら外交問題が悪化するのではないか?」と。

何故なら、安倍首相は尖閣諸島や竹島の領有権を当たり前のように主張するからだ。

左派大メディア様のいう「外交健全化」とは一体、何なのか?

中韓と「外交健全化」したいのなら、尖閣諸島を中国に、竹島を韓国に譲り渡せばよいだけのことである(実際、朝日新聞の論説主幹であった若宮啓文は「竹島を韓国にあげれば良いのに」と言っていました)。

もちろん、そうなったら次は中国は沖縄を、韓国は対馬を「有史以来、固有の領土」とプロパガンダを張るだけのことである。

となったら、日本の左派大メディア様は「外交健全化」のために中国には沖縄を、韓国には対馬を譲り渡せばよいというだけであろう。

「尖閣諸島は日本の領土、竹島は日本の領土」と当たり前のことを言って、外交が悪化するような国とは、友好関係など結びようがないのであり、「外交健全化」する必要すらないのである。

そもそも、勘違いしてる人が多いのですが、歴史上、日中関係が良かったことなどほとんどないということである。

聖徳太子の「日出国」文書が典型的なように、日本という国は中国にとって思い通りにならない厄介な国だったのだ。

小泉首相(当時)が中国から「止めろ」と言われたにも関わらず、靖国参拝を続け、「政冷経熱」なんて言われましたが、日中関係というものは歴史上、ずっと「政冷経熱」状態であり、中国の言いなりにならずに靖国参拝を続けた、あの数年間こそが歴史的に見て、正しい日中関係なのである。

対朝鮮関係も同様で、友好関係にあった百済が新羅に亡ぼされた以降はずっと今のような状態で、現在の朝鮮はその百済を亡ぼした新羅の系統である。例外は日韓併合後の35年間(日本が戦線に敗れるまで)、朝鮮民族が日本国民として誇りを持って生きた時代だけである。


話を戻しましょう。


憲法を取り戻し、平成の維新を!


である。

僕の言う維新とは、日本維新の会の橋下徹の言うような「維新」とは違うと思います。

そもそも、明治維新とは何だったのか。

フランス革命、ロシア革命、中国文化大革命といった左翼的破壊「革命」とは違い、国を正しい形に戻すという本来の意味での革命でした。

実際に「王政復古の大号令」という言葉にも表れています。

つまり、日本という国は本来は天皇を蔑ろにして武家が政治を行うような国ではなく、天皇を中心に戴いた国であり、そうした正しい国の形に戻す革命であったのだ。

無論、僕は皇国史観を持つ右翼ではないので、武家時代の歴史を否定するつもりは全くありません。

ただ、思い切って言ってしまえば、維新後の日本政府は天皇の権威を利用し過ぎ、天皇を政治に近づけ過ぎた(ように見える)面は否めないと思います。

もちろん、幕藩体制を終わらせて、中央集権体制を築いて、帝国主義全盛の国際社会に飛び込んでいく上で、天皇の権威を最大限利用して日本を一つにする必要はあったでしょう。

「黒船危機」以前の日本は元寇があったにせよ、ずっと海洋に守られたが故に、他国とあまり接触しないガラパゴス的な地理環境でした。

つまり、日本が一つの世界だったのです。だからこそ、日本一国で世界八大文明の一つである日本文明を築いたのです。

日本だけで世界を形成していたのですから、そこに様々な国(藩)が存在しても良かったのですが、帝国主義全盛の国際社会(今の世界)に入っていくためには国民国家として一つにまとまる必要があり、そのためには天皇の権威が必要だったのです。

奴隷憲法」と僕が憎んでいる現「日本国憲法」ですが、数少ないまともな箇所があります。

第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」です。

「主権」といった文言は別にして、これが本来の天皇の存在意義だと思いますし、「日本人の定義とは何か?」と問われれば、「天皇の下に一つにまとまる民族」と言えるでしょう。

別に祖母が朝鮮人だろうが、曾祖父が中国人だろうが、母親がフィリピン人だろうが、天皇の下に一つにまとまることができるのであれば日本人なのだ。

逆に、いくら血筋が日本人であろうとも、天皇の下に一つにまとまれない人は日本人ではないのである。


とまた脱線してしまいましたが、外国の影響を受けることなく、(日本人)武家による政治すらも、本来の日本ではないから日本本来の国の形に戻そうとした明治維新。戦後の日本はアメリカに「(日本の)国の形」(憲法)を押し付けられたがために大きく国の形が歪められました。

今こそ、それを本来の日本の形に戻す、本来の日本らしさを成文化する憲法が必要なのです。

そして、「自主憲法の制定」のために結党された自民党が大勝し、それに意欲的な安倍総理が近々誕生します。

自主憲法制定よって、ようやく戦後が終わるのです。

ただ、障壁があります。

それは連立を組む公明党の存在です。

基本、自民党支持の人でも「何故、公明党と連立を組むのか」と疑問に思う人も多いと思います。選挙前も選挙後も安部総裁の口からは「公明党との連立」が自明の理のように聞かれました。

結局、これは選挙のためなのです。

日本人の20人に1人が創価学会員であるという統計があるようですし、選挙に勝つには、そうした人たちの票が必要なのでしょう。

しかし、公明党と連立を組めば、常にに引っ張られてしまうのです。

前安倍政権時、「戦後レジームからの脱却」の第一歩といえる教育基本法の改正ですら、公明党を配慮して「国を愛する心の涵養」を「国を愛する態度の涵養」に書き換えざる得ませんでした。せっかくの改正なのに中途半端に終わったのです。これでは、「国旗は日の丸で良いし、君が代も国歌として歌うけど、内心は日本のことだってどうでもいいし、自分のことにしか興味がない」というニホン人を育んでも、教育的には成功となってしまうのです。

憲法においても、公明党にに引っ張られては、日本の正しい国の形を示すことなのできません。

解散さえしなければ、次期総選挙は4年後です。もちろん、その前に参院選があり、公明党の選挙協力を必要とするのであれば、それまでは公明党に配慮するのも手ですが、それが終えたら、次期総選挙で公明党の協力が得られなくなっても、公明党を無視して(連立から外して)健全な新憲法の制定を実現すべきである。別に公明党が否決しようとも、民主党内保守派、維新の会内保守派、みんなの党内保守派の支持を受けることができるであろう。

民主党は政党としての存在意義を失ったのですから、民主党内の保守派は自民党に移って、保守大連合を果たすべきなのです。


自主憲法の制定

日本保守派の悲願ですが、それを目標と錯覚しているように思えることもあります。

間違って欲しくないのは、それは日本再生への最初の小さな第一歩に過ぎないということです。

「日本人は一つの目標を掲げて目指している時は抜群の集中力と強さを見せるが、それを達成すると気を抜いてしまう」と言われ、実際、そうした面があるため、それを戒めておきたいですね。

そして、肝心の新憲法の中身である。

左寄りの人間は極力排除して、保守派中心でまとめるべきであり、それこそが正しい憲法制定のあり方である。

繰り返しますが、憲法とは、その国の歴史によって培われた価値観、慣習を成文化したものであり、日本の憲法とは日本らしさを示したものである。

そのためには保守派による新憲法作成が必然であり、歴史を破壊して全く新しい価値観を浸透させようとする左派というのは、憲法を論ずるには値しない

やたら、「ヘイワ憲法護持」を唱える社民党や共産党ら左翼は、そもそも憲法を論ずるに値しない。


とまあ、例によって酔っ払って書いてるうちに何を言いたいのかわからなくなってしまいましたが、思いついたことをぶちまけてみました。