【独り言】国民的議論にして、歴史観の洗脳を解くべし! | My Aim Is True

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【「南京事件はなかった」 山田宏・創新党首も発言】


[産経新聞ネット版 2月26日18時51分]

<日本創新党の山田宏党首は26日、大阪市内で開いた支援団体のパーティーで講演し、河村たかし名古屋市長が「南京事件はなかった」と発言したことに触れて「河村さんの言うことは正しい。南京事件はなかった。日本人が敗者としての歴史観を植え付けられてしまった」と見解を述べた。

山田氏は、南京事件を否定する理由について「事件は昭和12、13年に起きたといわれるが、他国の首都で何十万人もの虐殺があれば、首都には多くの外国人記者がいるから世界中で大問題になったはずだが、報道はなかった」と説明。

日本人の祖先のために、おかしな汚名をはらす努力をすべきだ」と述べた。

講演では、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」と創新党との連携もアピール。「大阪の動きに強く期待している。国家観、歴史観が共通する人が集まって第三局ができればいい」と訴えた。>


山田宏氏は衆議院議員を経験した後、(東京都)杉並区長の「善政」で評判を集めたため、調子に乗って、日本創新党を結党し、先の参院選に立候補するも落選した。

その保守的政治理念はまさに保守政治家と呼ぶべきものである(個人的に、保守として若干、違和感を感じるところもありますが)。

以前、僕は山田氏の保守的政治理念を称えて記事を書いたくらいです。

【参照】「新しい憲法の前文として


この山田氏の今回の発言が一般メディア(TV報道番組など)で、どれほど話題を集めるのかわかりません(河村&大村発言ですら、「臭いものには蓋をしろ」とばかりに一般メディアでほとんど取り上げられていないように思います)。

残念ながら、首相でも閣僚でもなく、政権与党議員でも国会議員でも首長ですらなく、国会議員を一人も有しない(つまり政党の資格を持たない)「政党」の党首に過ぎない人ですからね。

ただ、日本の歴史を守る立場である保守政治家はこうした発言を、どんどんして国民的議論にして、歴史観の洗脳を解く機会を作るべきだと思います。

左翼がとにかく歴史を破壊しようとすることからもわかるように、健全な歴史観を取り戻すことが、日本国&日本国民を健全化させる第一の道なのです。


まあ、山田氏の発言がすべて正しいとは言いません。

「報道はなかった」と言いますが、実は当時、いくつかの海外のメディアでの報道はありました。

これは日本に戦争を吹っ掛けておきながら蹴散らされて劣勢に立たされた中国国民党が、「国際世論を味方にして日本を追い詰めろ」とばかりに自らの工作員(西洋人を含む)を使って、報道機関に偽情報を流したからです。

考えてもみてください。

当時は、今の「情報化社会」とは比べ物にならないくらいの情報空間しかありませんでした。

テレビカメラが入って生中継するとか、一般人がケータイで撮影した動画がすぐさまネットで配信されるなんて夢のまた夢。とりあえず、「記者」と称する人の情報なら「新情報」として喜んで報道されるような時代。

もちろん、疑わしい情報は遠慮がちにニュースとして流されるだけですが、そんな遠慮がちに流された疑わしいニュースが当時の「南京事件」報道でした。

一応、流しては見たものの、すぐに嘘だと判明して、年度末に発行された、そうしたメディアのイヤーズ・ブックには「数万人も虐殺される歴史的大事件」にも関わらず、掲載されていません。


いつの時代も大メディア様というのは実に姑息なものです。

例えば、以前の朝日新聞のネット版は社説が1週間経つと、その後は閲覧できなくなるため、1週間経ってネットから社説が閲覧できなくなると、1週間前とは正反対の主張をしていていました。

今時、朝日新聞を読んでいる馬鹿なんて、1週間前のことなんて覚えていないだろ!(笑)」と読者を馬鹿にし切った態度なのですが、実際、朝日新聞を読んでいる馬鹿なんて、そんなこと覚えているはずがなく、昨日、朝日新聞を読んで、「そうだ、賛成だ!」と言っていたかと思えば、翌日になって、「そうだ、反対だ! さすが朝日新聞は良いことを言う。昔、先生(日教組教師)が薦めていた通りだ」というのが一般大衆です。

そうした姑息なことをしていたにも関わらず、久しぶりに朝日新聞ネット版に行ってみると、何と、前日の社説ですら閲覧できなくなっていました


もう一つ、例を挙げれば、先週、電車の「週間文春」の広告でのデカデカとした見出しで、「衝撃スクープ 福島からの避難民11人に深刻な異常が見つかった 郡山4歳児と7歳児に『甲状腺がん』の疑い!」というものがありました。

見た人は、「福島原発事故によって、そうした被害が出ているのか!」と思うことでしょう。

実際、もし、その「疑い」が事実であったとするなら、深刻な現実として受け入れるべきですが、もしも、その「疑い」が単なる杞憂に終わったとしたらどうか?

果たして、「週刊文春」は、同じくらいデカデカとした見出しで、「先週号の『疑い』は間違っていました!」と広告を掲げるだろうか?

本来なら、そうした大衆の心を惑わせる「報道」をしたら、その数倍の活字、スペースを割いてでも、「間違っていました!」と報じるべきですが、おそらく、絶対にそうしたことを行わないのが、無責任な大メディア様の習性なのです(それなのに、「責任問題」とか偉そうに論じるな!)。


「当時は今のような『情報化社会』ではない」と言いましたが、現代に至っても、戦争中のプロパガンダは「情報化社会」が機能しなくなります。

例えば、記憶に新しいのは、2008年の「グルジア紛争」です。

グルジア、ロシア側、双方がお互いを「人道に反するメチャクチャな軍事行動をしている!」と宣伝し、大メディア様はそれを受け売りして報道していましたが、後にそれが単なるプロパガンダとわかっても、決して報道を修正しようとはしませんでした。


さて、当時、西洋人の工作員を使って、「南京事件」というプロパガンダを広め、日本を国際社会から孤立させようとして中国(国民党)ですが、世界各国は「中国」という「国」の本質を思い知っています。

「中国(中国国民党)」が国連(国際連盟)で、「南京事件」の日本に対する非難決議を掲げましたが、「また、中国人が嘘を言ってる…」とばかりに見事に否決されました(ちなみに中国側の主張は「日本軍は南京で2万人虐殺した」というもの)。

誰も「中国」の言うことなんて信用していなかったのです。


さてさて、最近、大学の秋入学の是非が問われ、一部の大学はその方向で進めようとしているようです。

の季節に入学式&卒業式といった日本の伝統的風情はどうなるのか?

と思いたくなるものですが、歴史・伝統破壊を本能とする左翼からしてみたら、極めて有効な主張とも言えるでしょう。

どうしても秋入学にするならば、「だったら、こうしろ!」という個人的見解を持っていましたが、僕と同じような見解を主張していたのが、今日2月26日の産経新聞に掲載された加地信行・立命館大教授です。


「9月入学前に自衛隊入隊」


そもそも、秋入学を推進している人たちの建前の(?)理由が、「9月入学の海外と半年ズレているから、海外の優秀な学生が日本に留学しようとしないし、日本の優秀な学生も海外に留学するには不利だ」というもので、以前、「昔は海外の大学者が、4月入学&9月入学にまったく関係なく、語学の不都合(日本では英語が通じない)にも当然関係なく、必死で日本語を勉強し、たどたどしい日本語を使って、必死で日本文化を学ぼうとしていた」と揶揄する記事を読んだことがあります。

まあ、「海外の優秀な学生が日本に」云々といった理由があったとしましょう。

そうした「国際感覚」を身に付けるべきだと意見もあるのでしょう。

だったら、「海外の優秀な学生」を招き入れたり、「日本の優秀な学生」を送り出す、日本の大学というのは東大、京大などの一流大学に限られており、秋入学にするのも、そうした一流大学だけで十分だと思います。

「うちの大学もそうする!」なんて三流大学が真似したところで、そうした大学には「海外の優秀な学生」は留学してきませんし、そこには国の大学制度を変えてまで海外に送るような「日本の優秀な学生」もいないでしょう。

百歩譲って、そうした「海外の優秀な学生」「日本の優秀な学生」云々の主張が、日本のためになるとしても、大学制度を変えてまで行うべきは一部の一流大学に限られており、そうした一流大学卒業生は、(本来は)日本を背負って立つべきエリートなのですから、秋入学&秋卒業で、本来の日本の春入学&春入社から半年のブランクが生じてしまうようだったら、その半年を利用して自衛隊に入隊して、公心&国家観&真のエリート意識を養うのが賢明だと思います。

それをやらずに、企業が「9月入社を優遇」なんてやったら、左翼系メディアが「差別だ!」と大喜びして問題視することでしょう、馬鹿らしい。


繰り返し言っておきますと、どうしても大学の秋入学&秋卒業を行いたいなら、それは超一流大学に限られるべきであり、そした例外的な超一流大学生の半年間のブランクは自衛隊入隊などによって、真のエリート精神を養うような期間にするべきである。


あと、橋下徹・大阪市市長のことにも一言記しておきましょう。


あの熱意や突破力は大したものだと思いますが、その主張はシステム論が大半で、目指すべき国家観や大局が示されていないように感じます。

まあ、日本国民も政治の閉塞感を感じていますから、リーダー・シップを発揮するような人に、変革を求めて、期待しているのだと思いますが、変革しても、それが良い方向に進むものだか、悪い方向に進むものだかしっかりと熟考しなければなりません

「変革」を求めて、本来、変革すべき逆の方向への「変革」を主張していた民主党に政権交代させてしまっては、ますます混迷を極めるだけです。

日本政治は90年代以降、とにかく、「改革だ、改革だ!」という改革に明け暮れ、一般大衆もそれに酔っていたように思います。

そして、それに乗っては見たものの、事態は良くなるばかりか、ますます悪くなる一方で、改革派は「良くならないのは改革が不十分だからだ!」と更なる改革を押し進めるも、事態は更に悪くなる一方という悪循環。

僕は橋下氏の政策や政治思想をハッキリと理解してはいないのですが、主張している代表的な方向性は、90年代以降の「改革派」と同じようなものであり、かつての民主党の主張を更に押し進めたもので、それが日本の健全化に繋がるとは思えません。


せっかく、政治家としての影響力や突破力を持っているのですから、国政に参画する前に、ジックリ充電期間を置いて、しっかりとした国家観や歴史観を養ってもらいたいものです。