新しい憲法の前文として | My Aim Is True

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山田宏氏をご存知でしょうか?

現東京都杉並区長で、950億円あった借金を10年で約200億円まで減らすことに成功し、三期目の任期中で残高をゼロにする見込みだそうである。

僕がたまたまテレビで彼を観たのは、フジテレビの「新報道2001」で、あの橋下府知事黒岩祐治(フジテレビ解説員)が大バトルをした放送の際、スタジオに出演していた時です。

バトルを小休止した橋下府知事は「(黒岩の机上の空論ではなく首長として成果を残した)山田宏区長には是非、アドバイスを頂きたい」と言うと、黒岩は更に激昂していました(笑)。

ちなみに杉並区は「中核派の拠点」と言われるところだそうで、そんな区でよく保守派の山田宏氏が当選したものだなと思いますが、2005年、杉並区が中学生用歴史教科書に「新しい歴史教科書(扶桑社)」の採択を決定しようとすると、杉並区役所前に賛成派(保守派)と反対派(左翼)が集まっていたのですが、反対派の男が賛成派の若者に暴力を振るったため、警視庁は現行犯逮捕したところ、その反対派の男は「国電同時多発ゲリラ事件に加わり6年半の獄中生活を送った筋金入りの中核派の活動家」だったそうだ。


さて、山田宏・杉並区長は、昨今、注目を集めている首長連合をめぐる運動の原点になったという「日本よい国構想 」という組織を少し前に中田・横浜市長らと立ち上げました。


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そんな「日本よい国構想」のフォーラムが先月、日比谷公会堂で開催され、「日本の新しい基本理念」を読み上げたそうだ。

「新しい憲法を制定するなら、その前文にする気持ちで書いたものである」

それが以下のものです(「正論」9月号より)。


≪わが国は長い歴史を通じて、国の象徴たる天皇のもと、豊かな文明を築き上げてきた。先祖を敬い、家族を大切にし、自然を畏れ、清く明るく正しく直(なお)い心を重んじた先人たちの歩みにより、日本ならではの自然観、倫理観、宗教観が形づくられてきた。また、古より『言霊の幸(さきわ)う国』と語り継がれてきたことが示すように、豊かな言葉と感性によって多様で優れた文化芸術が生み出され、守り伝えられてきた。

さらにわが国は、諸外国の優れた文物を積極的に受け入れ、広く世界の衆知を集めることにより、つねに自らを高める努力を積み重ねてきた。

わたしたちの願いは、この歴史と文明を受け継ぐものとして、物心両面で豊かな国を築き、自らの知恵と力でこれを守り、美しく豊で平和の日本を幾久しく次代へ受け渡し、そして、この日本の力を世界の安寧のために役立てていくことにある。


わたしたちは『ひとの幸(さきわ)う国』をめざす。

わが国の力の源は、ここに住まう『ひとの力』にこそあった。道義が栄え、諸々の技芸が栄え、教育が栄え、知恵が豊かにあふれる国。人びとが自由のうちに自らの天分を追求し、実現させていくことができる国。万機を公論に決する民主主義の伝統を堅持し、国民がお互いの知恵を持ち寄って進むべき道を切り開いてゆく国。それが、わが国のあるべき姿である。

またわたしたちは、これらの諸価値を重んずる諸国民と手を携え、より広く『ひとの幸う世界』をつくりあげることに貢献していきたい。

わたしたちは『いのちの幸う国』をめざす。

日本人は、この豊かな自然の生きとし生けるものと共に生きる精神を培ってきた。この叡智を生かし、わたしたち各々のいのちを相互に尊重するとともに、かけがえのない地球のいのちを守っていくことこそ、わたしたちの崇高なる使命である。


わたしたちは『和の幸う国』をめざす。

日本書紀がいまに伝える『憲法十七条』が、『和を以って貴しとなす』の一文からはじまるように、いにしえより、私たちは『和』の精神を重んじてきた。わたしたちは、これからも和を貴ぶ国であることを誓い、また、この精神のもと、和の先導者として国際平和の実現に力を尽くすことを誓う≫


どうでしょうか?

憲法の前文にするにはやや長いとはいえ、五箇条のご誓文や聖徳太子の十七条憲法から引用するなど良いと思いませんか?

あまり詰め込むとゴチャ付いてしまいますが、もっといろんな文献から引用してもらっても良いかもしれません。

いっそのこと神皇正統記の「大日本(おおやまと)は神の国なり」ってのは、どうですか?(笑)


そういえば、4年くらい前に自民党内で新憲法草案の前文論争というのがあったのを覚えていますか?


中曽根元首相らが中心になって書いた新憲法前文草案を、舛添氏(現厚生相)が土壇場で独断で勝手に書き換えて、中曽根氏が激怒した論争です。


中曽根元首相らが書いた前文草案は以下のもの。


「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた。(中略)

日本国民は大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意味を深く認識し現在の国民とその子孫が世界の諸国民と共に更に正義と平和と繁栄の時代を内外に創ることを願い、日本国の根本規範として自ら日本国民の名に於いて、この憲法を制定する」


かなり大雑把な抜粋をしましたが、書き出しなどなかなか良いものだと思います(全体で見ると、個人的には不満な点がありますが)。


一方、舛添氏が勝手に書き換えたのが以下のものです。


「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。

象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。(中略)

日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため力を尽くす」


これまた大雑把な抜粋をしましたが、何とも無機質なものです。

櫻井よしこ氏も怒っていましたね。

それに対する舛添氏の反論は以下のものです。


舛添:「第一は、地理的環境や気候・風土に基づいて日本人の国民性が決まるというような議論は、社会科学的に言って不等だからだ。気候が温和だから、日本人は温和なのか。日本人にも凶悪殺人犯はいる。(略)

第二に、『美しい島々』などの情緒的な表現や、何が美しくて何が汚いかという人によって異なる価値観を、憲法に盛り込むべきではない。外国にも美しい島々はある。

第三に、憲法に個人の歴史的解釈を入れてはいけない。『和を尊び』は、中曽根元首相の歴史観だ。だが、日本の歴史は、和を尊ばずに、争うを続けた歴史とみる見方もある。大化の改新、関が原の戦い、そして郵政民営化の実現を目指して小泉首相が踏み切った今回の衆院選は、殺し合いこそなかったものの、まさに戦いだった。(略)

今の日本の若者は、明治時代の日本の若者より、むしろ今のアメリカの若者に近い。韓国の若者とも近いかもしれない。そういう世界主義が起きている。

無駄をそぎ落とし、必要な要素だけで簡潔にしなければ、異なった主観を持つ層からも賛成を得るようなものにならない。

今回の草案は、憲法改正を実現するための高度な政治判断だ」

(読売新聞05年11月23日)


呆れ返りましたよ。

当時は「この学者上がりの頭でっかちが!!」って、頭に来ました。


一方、中曽根元首相の反応は以下のもの。


中曽根:「自民党新憲法草案の前文は、起草委員会の前文小委員会で全員が賛成してまとめた案を、一部の者が勝手につまみ食いして作ったものだ。その結果、国に対する考え方を欠き、非常に軽いものになった。法規範を並べればいい、との思考にとらわれている。

小委員会の意見は、『前文は、中学生が暗記し、そらんじられる美しい文章にすべきだ』というものだった。しかし、党の草案は日本の歴史、文化、伝統を書かず、風格に欠けている。憲法前文の格式を忘れてはいけない」

(読売新聞05年11月23日)


言うまでもなく、憲法というのはConstitution=「国体」であるため、その国の歴史によって培われた伝統・慣習・価値観・倫理観を凝縮したものでなければなりません

それ故に、GHQ占領下で数人のアメリカ人(しかもド素人)がスターリン憲法やワイマール憲法やフランス革命の「人権憲法」やフィリピン植民地憲法などを切り貼りして押し付けてきた現在の「日本国憲法」は憲法とは言えません(僕は奴隷憲法」と呼びたい)。

そのため、憲法前文にはその国の「歴史観」(価値観なども含む)の美しいエッセンスを凝縮したものであるのが相応しいと思っています。

また、中曽根氏の「中学生が暗記し、そらんじられる美しい文章にすべき」という言葉にちょっとピンと来るものがありました。僕は経験がないのですが、行きつけの床屋の店員(30代?)が中学生の時、授業で、あの奴隷憲法奴隷宣言ともいえる前文を何度も暗誦させられたというのです。


こんなことがあったので、最近、「次期首相に相応しいのは?」で、舛添が高い支持率を集めるのを見て、「あんな思想や政治理念もない学者肌の奴に一国の宰相を任せられるか!」なんて思うのです。

ただし、舛添の「憲法改正を実現するための高度な政治判断」という言葉も気にする必要はあると思います。

というもの、憲法改正には必然的に左翼・サヨクにも賛同してもらわなければ、改正が不可能なので、そいつらにも妥協してもらうための「政治判断」だったのかもしれません。

国家を否定し、歴史を破壊し、日本を憎んでいるニホン人左翼に憲法制定の決定権なんか与える必要はない!と思いますが、まあ、どっちにしろ完成した「自民党新憲法草案」は「日本国憲法(奴隷憲法)」から第9条を書き換えた程度の下らないものなんですけどね・・・。


あと、舛添氏が政治学者として、テレビで活躍していた当時のことを覚えていますか?

まあ、政治学者はそうであるべきかもしれませんが、何とも高慢なイメージでしたよね。ところが、政治家に転身し、都知事選で敗れるなどしたためか、その後、たまたま身近で接する機会において、驚くほど腰の低い態度に驚きました。政治家を志して、票を集めるためには、こうまで人が変わるかって思いました。

ただ、僕が最近、感じるのは、国を背負う政治家、しかも閣僚クラスの大物政治家が、いわゆる「ドブ板選挙」で有権者の票を集うために関心を惹こうと頭を下げている様子を見ていて、腑に落ちないものがありますね。

本来、「俺は日本をこういう国にしてみせる!俺に付いて来い!」として、有権者を惹きつけなくてはいけませんし、諸外国の政治家はそうでしょ?

いかに日本の民主主義が大衆迎合的な「民主主義の失敗例」かわかります。


明治維新後まもなく、岩倉使節団として世界の政治情勢を視察した随行員の一人は、アメリカなどの民主主義政治を見て、

「民主主義は人気取りの政治であり、必ずしも有能な政治家が選ばれるシステムではない」

と否定的な見解を記していますが、当時の日本人はさすがだな、と感心してしまう今日この頃です。