あけましておめでとうございます | My Aim Is True

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皆さん、大変ご無沙汰しております…。

ちょっと、ここ3,4ヶ月は忙し過ぎて、ブログ更新どころか新聞もまともに読めなかったくらいです。

12月は30・31日と、8月以来の連休を頂いたため(そもそもその間ほとんど休日なしでしたが)、実は年明け前に、皆さんに挨拶代わりの簡単な記事を書いておこうと思いました(元旦から仕事です…)。


さて、それにしても、今の日本(特に政治メディア)があまりにも酷い状態でウンザリさせられていました。新聞やニュースをまともに目にすらできなかったんですけど、いくつか目に飛び込んできました。


いつでしたっけ?

都内で微々たる放射線が測定されると、「高い』放射線が測定された」と大騒ぎしていましたね。あの話はどうなったんでしょう?

まあ、3月も都内では水道水騒ぎが起こり、僕の周りでも「もう水道水は飲めない!」と騒いでいる連中がいて、僕は「馬鹿馬鹿しい」と嘲笑しましたが、「joyrideさんみたいな人は真っ先に死ぬ」と呆れられましたが、今となっては大半の人は放射線や福島原発のことなんて気にも留めていません。

僕としては誇大に馬鹿騒ぎするより、こうしていきなり無関心になってしまう方がよほど恐ろしいことだと思っています。


そして、野田内閣。

結局、「増税のための内閣でしかなかったのか」と思えてきました。

一応、野田首相は保守派の政治家なのですが、安倍も麻生もそうでしたが、どうして首相になった途端に保守政治家としての真髄とも言えるような信念を引っ込めてしまうのでしょうか。

例の「ソウルの日本大使館の前に『慰安婦』の像」のことに関しても、野田首相なら「従軍慰安婦問題」というものが、いかに虚像かわかっているでしょう。ならば、韓国側に徹底した論戦を仕掛けて論破すれば良いものを、何を恐れてか、腰砕けになってしまう。

結局、ここまで下らない歴史の捏造をされて日本の名誉が傷つけられているのに、「戦う」こともしないのですから、諸外国はそれを「事実」と受け止めてしまうでしょうし、そうして「史実」として固定化されてしまうのです。

野田首相が「何を恐れて」いるのか?

それは韓国よりも日本の左翼(メディア)ではないでしょうか。

真実を話してしまうと、日本の左翼(メディア)から袋叩きに遭うので、それを恐れているのでしょうが、それとも「戦う」気概を持って欲しいです。

「慰安婦問題」なんて簡単に論破できるはずです(ただし、論破しても、重要な点は記事あるいは報道からカットされてしまう可能性はあります…)。

そもそも、韓流ブームのせいで知らない人も多いようですが、韓国なんて北朝鮮や中国と変わらず、言論の自由がない国家です。しかし、残念なことに日本も同じように(保守派の)言論の自由がない国家だということです。

そして、韓国などの中華思想を根強く持つナショナリズム国家にとって、歴史の史実に対する受け止め方は、日本人が考えている類のものではないのです。

それが事実かどうかなどはどうでもよく、自分達(中華)の決めた「歴史」こそが「史実」だということです。

それにも関わらず、韓国が本気で日本に謝罪を求めてくるならば、謝罪すべきは日本政府でもなく日本国民でもなく、そうした「問題」をでっち上げて火をつけた朝日新聞らの左翼、及び事なかれ主義で事実であるかのように謝罪をしてしまった河野洋平といった売国政治家でしょうね。

東電の賠償問題に対しても、メディア(特に「報ステ」)は手厳しくバッシングを展開します。「風評被害の分の賠償もすべきだ」とか何とか。

風評被害を広めるのはいつもメディアではないか?

日頃、「任命責任」とか「説明責任」とか権力者に対しては容赦なくバッシングするくせに、既に「第1権力を掌握した」とまで言われる大メディア様は自らの「報道責任」は気にも留めていないようです。

大メディア様の無責任ぶり、八方美人ぶり、ルーピーぶり、朝令暮改ぶりには鳩山由紀夫元首相ですら及びません。


あ、そういえば、金正日が死にましたね。

日本や韓国の街角インタビューで、「これをキッカケに北朝鮮の政治体制も新しく変わって欲しい(自由や民主主義を取り入れた国家になって欲しい」という声が度々、聞かれました。

あり得ません!

そんなこと中国が許すわけないじゃないですか!!

中国にとって、北朝鮮というのは生かさず殺さずに「ならず者国家」のままでいてくれなくては困るのです。

まして、民主主義化したり、韓国(アメリカ)主導で南北統一なんてしたら悪夢でしかありません。

ただ、日本人や韓国人は北朝鮮を異質な国家と捉えがちですが、北朝鮮ほど朝鮮民族的な国家はありません

あれぞ、朝鮮人らしい国家なのです。「中国」の冊封体制に組み込まれて、半植民地状態において安心している国家こそがザ・朝鮮なのです。

ちょっとばかし日本やアメリカの影響を受けた韓国こそ、東アジアの朝鮮人の国としては特異な国家でしょう。

それ故に、一時期、韓国人の中に北朝鮮に対するシンパシーが強まったのです(今でも?)。


ただ、北朝鮮や韓国のことを笑っている場合ではありません。

数年前から「もう後がない」という状況に追い込まれながらも、未だに下らない政局の混乱に陥っている日本という国は、以前から言ってますように、深刻なほど朝鮮末期に酷似しています。

【参照】「深刻な日本の朝鮮化~日は沈むのか~

おそらく過去500年において国家として最低の状況にある今の日本(国家の体[てい]すら成していない?)に比べたら、韓国や北朝鮮の方がまともに思えるほどです。

「政治は何をやっているのか!?」と報道番組が散々、煽り、大衆も呆れて同調しつつも、そもそも民主党に政権交代させたのは誰なんだ、と言いたいですね。


そういえば、忘れている人も多いでしょうが、野田内閣発足すぐに鉢呂吉雄・経産相が辞任しました。

左翼である鉢呂が入閣すること自体が問題なのですが、この人事に関しては、おそらく農業寄りの鉢呂がTPPを推進しようとする経産省の閣僚になることでTPPの議論のバランスを取りたいという意向があったのかもしれませんが、大メディア様いつもの言葉狩りに遭いました。

ただ、さすがに左翼の同士討ちに反省してか、珍しくメディアの報道姿勢を自省するような姿勢も見られましたね。


さて、増税が既定路線です。

もちろん、現在の社会保障制度を維持するためには増税せざる得ないことは誰しもがわかっています。ただ、この状況下でどうなのかという時期の点と、「復興」に名を借りた点が理解できません。何度も言っていますが、「復興債」ごときはすべて日銀が引き受けて金を刷れば良いだけの話であり、そうすべきことなのです。

ただ、「権力」的なものには批判する習性を持つメディアが何故か日銀だけはほとんど批判しませんね。

「通貨の番人」であるにも関わらず、これだけデフレを続けているのですから、猛バッシングを加えても良いはずですが、インフレにさえならなければ良い」と思っているのは、日銀だけでなく大メディア様も同様のようです。

いつぞやの産経新聞でも「アメリカはリーマン・ショック後、大規模な金融緩和を続けたが、金融市場に流れるだけで効果はあまり発揮していない」とか言っていましたが、使い道がないのに金融緩和すればそうした状況が生まれますが、日本のように「復興」という使い道がハッキリしているのなら効果は発揮されます。

そもそもが社会保障制度のための増税ですが、何故、増税しなくてはいけないといえば、言うまでもなく少子化だからです(寿命が延びたこともありますが)。

何故、少子化になったかということは、以前にも関連して、「『男女平等』思想は諸悪の根源! 」という記事に記したことがあります。

そして、「失われた20年」とも言える日本経済。

僕は経済には疎いですが、簡単に言うなら、戦前世代が社会からリタイアして、戦後世代が社会の中心になったこと、バブルが崩壊して不況感が漂う中、「冷戦」が終結したことによって「資本主義の勝利」の錯覚が生まれ、誤った経済(社会)政策(資本主義的な税制や雇用形態など)が推し進められたことによって逆噴射し、金融政策と財政政策が噛み合わなかった(噛み合わせようとしなかった)ということでしょうか。


あと、昨年は「アラブの春」とやらで、いつになく「民主主義こそ真理」というようなことが大前提として持ち上げられていました。

これまた繰り返し言っていますが、民主政治なんてものは政治の一つの手段に過ぎず、決して目的ではないということです。

それをかつての「共産革命が起きたら地上の楽園」と同じように、民主主義が推し進められるほど人々は楽園に近づくかのように錯覚している人が多いし、(左翼)メディアもそう喧伝します(アラブに限らず日本国内の政治においても)。

しかし、そのように民主主義を戴こうとする左翼が何故か「国民投票法案」を批判するという矛盾

彼らによれば、それは彼らが「ヘイワ憲法」と金科玉条のように崇める「日本国憲法」という名の奴隷憲法を改正するために必要だからですが、逆に言えば、「国民投票法案」がなければ、彼らが「愛する」「日本国憲法」の第96条が機能せず不完全な状態のままという矛盾

そもそも、彼らは「憲法改正したらアメリカ(の戦争)に利用される!」と言うが、あの奴隷憲法はアメリカが日本を抑えつけて利用するために押し付けたものであるという矛盾


三島由紀夫(1970年):「私の中の(戦後)二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど『生きた』とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。

こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら」


さて、ここに来て俄かに浮上した「女性宮家創設」の議論である。


[読売新聞1月1日]

<政府は、創設を検討している「女性宮家」について、当主となる皇族女子の夫にも皇族の身分を付与する方向で調整に入った。複数の政府関係者が明らかにした。実現すれば、民間人の男性が皇族に加わる道が初めて開かれることになる。

政府は女性宮家創設の検討を加速するため、2月から有識者への意見聴取に入り、今年秋の臨時国会への皇室典範改正案の提出を目指している>


宮家の激減(いずれはゼロ)という問題は深刻ですが、だからと言って、「女性宮家創設」は論外であり、民間人の男性を皇族に加えることが言語道断である。

そもそも、宮家の存在意義を何だと思っているのだろうか?

第一は、男系天皇の血筋の維持(保険)のためである。


結局、この議論というのは「女系天皇誕生への基盤作り」である。

左翼政党である民主党には、こうした日本という国の根幹に関わるところに手を突っ込んで、日本解体を試みるのではないかという懸念はありましたが、まさか、保守派を自認する野田首相の内閣で、こうした議論を加速させようとは思ってもみませんでした。

そういえば、小林よしのりは女系天皇を容認(歓迎?)していましたが、民間で育った男性が、仮に旧宮家の男系天皇の血筋を持っている人でも批判的だったため、これには反対しそうです。ただ、皇室に入った民間の女性皇族に対してはやたら弁護的だったので、分裂症気味でよくわからないですね。

それにしても、大メディア様は、このような悪夢が現実になった時にも、能天気に「今、初めて民間男性が皇族になられました!」と歓迎報道をするんでしょうかね…。

それが「開かれた皇室」?

民主主義というイデオロギーによって、日本の歴史・国体そのものを破壊することを「進歩」と喜ぶんでしょうね。

ちなみに僕の持論は、「旧宮家の男性に現皇族女性を嫁がせて、男子が生まれたら宮家の創設」が良いというものです。

というと、左翼・リベラルは「眞子様、佳子様のご意思は尊重されないのか?恋愛の自由はないのか?そんなことは人権侵害だ!」と批判してきそうですが、そもそも、皇族に自由や人権などありません


どうせ、そこで意見聴取をするという「有識者」なんてものは、日本の歴史や天皇や皇族に関しての知識を有していない、ロボット博士だとか、アメリカ史の権威だとか、ヨーロッパ文学の大教授だとか、物理学者だとか、もしかして漫画家か?


はぁ、ウンザリする昨今。


気分を変えて、少し音楽の話(笑)。

ずっと前から音楽の記事を書こうと思ってきましたが、近年、保守に目覚めた僕としては思想的な矛盾が生じる場合があるので、音楽記事を書く前に予め説明記事が必要だと思って手付かずでいました。

まあ、世間話程度のことなので、そうした説明は不要でしょう。

ここのところ、忙しいストレスからか、夜、酔っ払ってアマゾンでクリックしまくってました(笑)。本を読む気力はあまりなかったですが、音楽くらいなら聴けました。

最近、よく聴いていたのは、Jules Shear(ジュールス・シアー)ですね。

元々、昔、彼の「The Great Puzzle(’92)」「Healing Bones(’94)」は愛聴していたのです。前者で初めて触れ、そのコステロを思わせるようなしゃがれたヴォーカルとねじれたメロディーに惹かれ、後者ではメイン・ストリームでも通用しそうな王道ポップを展開していました(確かな記憶はありませんが、この2枚、及び旧譜CDは一時期、日本国内盤も出ていた気が)。そして、酔いながらアマゾンに行き、「そういえば、最近、どうしてるんだろう?」と検索すると、その後も何枚か発表しているようなのでまとめ買い(笑)。最新作の「More(’08)」以外はいずれも良作でした。

そして、今現在、よく聴いているのは、Bob Dylan(ボブ・ディラン)です。実はこれまでほとんど聴いてこなかったため、ついに手を出したという感じで、クリックしまくりです(笑)。


それでは、今年もよろしくお願いします。

また機会があれば、手短な記事だけでも記したいと思います。