「日本人の誇り(藤原正彦著)」を読んで | My Aim Is True

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「日本人の誇り(藤原正彦著)」を読みました。


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4月に発刊されて、既にベストセラーとなっている新書です。

著者は言うまでもなく数年前にベストセラーとなった「国家の品格」を著した数学者(当時)の藤原正彦氏です。

本書「日本人の誇り」が発行された当初、パラパラと見てみると、「自虐史観から脱せよ!」がメイン・テーマだとわかりましたが、実は僕としては「この人、何を今さら言っているのだろう!?」と思ったのが正直なところです。

というのも、「国家の品格」で藤原氏自身が自虐史観を抱えているようにも思ったからです。

例えば、当時、入江正則・明治大教授が産経新聞の正論コーナーにおいて、「国家の品格」を取り上げて、

「日露戦争と日米戦争は『独立と生存のため』の、いわば正義の戦争だったが、日中戦争で弱い中国をいじめたのは日本武士道に悖る行為だった、という意味のことを書かれている。(略)そういう単純な贖罪史観ではアジアの近代史の真相は分からない」

と批判していました(こちら )。


もちろん、僕は「日本人の心である武士道精神を取り戻せ!」を唱えた「国家の品格」は興味深く読みましたし、こうした本がベストセラーになったことは(自虐史観的箇所を除けば)、有意義であったと思いますし、きっとニホン人の心の琴線に響いたからだと思っています。日本もまだ捨てたものではないな、と。

僕の身近に父親が日教組関係者で、幼い頃から朝日新聞を愛読し、最近でもNHKの歴史番組を熱心に見て勉強した気になっている人がいますが、その彼ですら、「国家の品格」を読んで、「これ、日本人として基本的な精神ですよね」と言っていました(左翼的な思想や歴史観を持ちつつも、ギリギリで日本的精神を有している男でもありますから)。

そんな彼が当時、たまたま僕の前で彼が愛読する朝日新聞に記された「国家の品格」の書評を読んでいたので、僕は推測して、「どうせ朝日は批判しているんだろ?」と言ってみました。

すると、彼からは「はい…」と答えました。

そこで、僕は「そりゃ、朝日は批判するだろうね。日本人特有の精神である武士道精神朝日イデオロギーは対極であって、朝日新聞からしてみれば、叩き潰したい日本人の心だろうから」と言いました、。

僕は当時、日頃から朝日新聞の有害性を、その愛読者の彼に言っていましたから、彼なりにその時初めて痛感したのだろうと思います。もちろん、朝日イデオロギーに毒され続けた人を、たった一つの事例でそこから脱却させることはできないでしょうけどね…。


話を本書に戻しましょう。

「国家の品格」において、「日本人の心を取り戻せ!」と訴えた「保守」性から藤原氏は保守系雑誌に引っ張りだこになり、そこで多くの保守系言論人と接っしているうちに、歴史観に興味を抱いて、特に数学者を定年退職したこの2年間で歴史を徹底的に勉強し直したのではないでしょうか。

よって、本書の大部分のスペースを割いている藤原氏の近代史観は僕の史観に極めて近いものになりました。

たぶん、読んだ本も僕と似たようなものだったのではないかと思います(それは田母神俊夫氏の歴史観からも感じました)。

細かな疑問点をあげれば、「張作霖は河本大作大佐の個人的な策略で爆殺されてしまいました」と断定しているところでしょうか。

実はこれも著者が批判する「東京裁判史観」です。

最近ではコミンテルン(ソ連=共産主義)犯行説や息子・張学良謀略説などの説がある通りです。


その点は欠けているのですが、本書では近代史における共産主義の謀略も多く取り上げられていることが重要です。

僕としては、20世紀のほとんどの戦争や紛争において、共産主義の謀略が関わっていて、それ抜きでは語れないと思っているからです(もう一つはアメリカ覇権主義の謀略でしょうかね)。

書店では数々の半藤一利保坂正康の歴史本が溢れ返っていますが、何故か彼らには共産主義の謀略という観点が欠けているのです。と言い切ってみたものの、彼らの本はほとんど読んでいないため確かではないかもしれませんが、半藤一利の「昭和史」を途中まで読んで(!)、そういう印象を持ちました(内容が馬鹿らしくて、「時間の無駄」と珍しく読むのを途中で止めました)。

ちなみに、この「近代史に詳しい」としてNHKに度々登場する両氏ですが、「文藝春秋(2005年11月号)」の対談で以下のような、やり取りをしていました、


保坂:「陳立夫氏(日中戦争当時、蒋介石の右腕)から『日本と中国の戦争を起こした張本人は誰だと思う』と問われて、『日本の関東軍の軍人達です』と答えると、『違う。あれはソ連が演出したのです』と言うんです。僕が驚いていると、陳氏は『日本陸軍の中に共産主義者がいたでしょう?』と言う。『わからない』と答えると、『いや、絶対にいる。我々が見たところ、共産主義者がいる』と断言するんですよ」

半藤:「それは、国民党が当時つかんだ情報に、日本陸軍内部のそうした動きがあったということなんですか?」

保坂:「いえ、それは知らないと言っていました。『日本が中国を攻めてきて、誰が一番喜ぶ? スターリンだろう?』『絶対に陸軍に共産主義者がいる。こんな簡単なことをどうしてわからないのか?』と盛んに言うんです。私が会ったとき、彼は90歳でしたが、ずっとそう思っていたらしい」


日本を代表する、と世間的には思われている、もしくはNHKでそのように登場する「歴史評論家」の両氏のこのトンチンカンなやり取りは絶望的になります。陳氏も「日本の歴史評論家は馬鹿じゃないのか?」と呆れたことでしょう。

陳氏の言葉をもう一度、繰り返せば、

「こんな簡単なことをどうしてわからないのか?」

恥ずかしい限りです。


もちろん、陳立夫氏の発言に根拠があったかどうかはわかりませんし、「それ以外に考えれない」と思っただけかもしれませんが、さすが謀略に長けた中国人だけあって、その「勘」は鋭いのです。

共産主義者は日本陸軍にもいたでしょうが、少なくとも近衛文麿首相(当時)のブレーンに尾崎秀実西園寺公一らがいました。

(日中ソの)共産主義者は日中戦争を勃発させ、拡大化し、和平工作を揉み消したのです。

盧溝橋事件の翌年の9月に長崎で宇垣一成・外相と孔祥煕(国民党行政委員長)が和平会談が行われることが決定しながらも直前で流産となりましたが、間違いなく共産主義者の謀略が絡んでいると思います。


このように近代史において、共産主義の影は切っても離せないにも関わらず、NHKとかTBSを筆頭として、テレビの歴史番組では共産主義の影すら見えない作りになっているのはペテンとしか言いようがありません。

そうした共産主義の謀略を語っている本書がベストセラーになったことは極めて重要なことだと思います。

「国家の品格」で日本人の心の琴線に触れた読者が、著者の新刊に興味を持って、多くの人に読まれたら、戦後日教組教育によって刷り込まれた自虐史観から脱する契機になるかもしれないからです。

テレビの情報番組でたまに大型書店の売れ線ランキングを発表し、ちょっとした解説を加えたりしていますが、この「日本人の誇り」はどのような解説をされたのでしょうか?(個人的には未聴)


「この本は、我々、テレビが垂れ流す『歴史認識』は嘘っぱちで、そうした洗脳から脱して、本当の日本人の歴史を奪還し、『日本人の誇り』を取り戻せ!と言っている問題作です」

というような解説しか、しようがないですね。


そもそも僕のブログのメイン・テーマが、

「日本の歴史、日本人の心を取り戻し、目覚めよ、日本人!」

ですから、「武士道精神」の重要性を訴えた「国家の品格」を著し、「脱自虐史観」を訴えた本書「日本人の誇り」は僕のスタンスそのもので、正直、こうした本は僕が著したかったと思うくらいで、羨ましいですね(笑)。

実際、本書はサミュエル・ハンチントンが定義した「世界七大文明」の一つである「日本文明」から論じ始めていますが、それも当ブログの「日本とは何ぞや? Part.1 」と同じなのです(笑)。

本書の内容に戻りますと、「日中戦争は侵略戦争ではない!」と当たり前のことを訴えています。当時の中国大陸の実態や共産主義者の謀略にもスポットを当てていることは上述したとおりです。

ただ、それにも関わらず、入江氏に「自虐史観だ」と批判された表現を再び繰り返し、「弱い者いじめに近い日中戦争は武士道精神のまだ残っていた多くの国民にとって憂鬱な戦いだったのです」とありますが、ニュアンスが微妙に異なっていますね。


さて、当ブログの書評記事は、多くの抜粋が行われることが大半ですが(笑)、今回はあまり抜粋していませんね。そこで物足りないと思われる人のために(?)、ある箇所を抜粋します。


<国際法などが20世紀になって登場しましたが、それに抵触せずに武力を用いる口実はいくらでもでっち上げられますから、実質的な歯止めは「他の列強が認めるかどうか」だけでした。ある列強が卑劣なことをすると、当然、他の列強に非難されますが、同種のことを真似てやった国は前例があるということで軽く批判されるだけ、三番目からは舌打ちされるだけで済まされる、というのが通例でした。数ある弱小国の意見は蚊帳のそとです。弱肉強食です。この「他の列強が認めるかどうか」こそが、実は国際常識と呼ばれるものであり、帝国主義の唯一のルールでした>


歴史を語る上で、重要なのは、「今の常識で見ては健全な歴史観は得られない。当時の常識・価値観を理解しなければならない」と思っています。

「他の列強が認めるかどうか」、そして前例があれば認められるというのが、当時の国際常識でしたが、有色人種唯一の「列強」であった日本だけが更に厳しいハードルが課せられました(それは今でもそうですが)。

1948年に発刊された「アメリカの鏡・日本」の著者であるヘレン・ミアーズも以下のようなことを言っていました。

「米英両国の軍隊と砲艦が(中国にいる)自国民の生命財産を守るために中国の『盗賊』を攻撃したとき、両国の世論は中国人を野蛮人と呼んで非難した。(略)ところが、日本が同じように中国の『盗賊』を攻撃すると、同じ国民が日本人を野蛮人と呼ぶのである」


そして、当時の「国際常識」という文言である。今でも「国際社会」と言うことがある。

で、そこでいう「国際」とは何のことか?と僕は疑問に思うことがあります。

実は数年前、僕の父と中国の膨張主義について論じたとき、中国がもし軍事的侵略行動を取ったとしたら、僕の父は「そんなことをしたら、『国際社会』が許さない」と言っていました。

言うまでもありません。

現在の「国際常識」を作る「国際社会」とは、今はまだ欧米社会であるということです。

ただ、もし、中国やロシアが国力(経済力&軍事力)を増大し、欧米社会を圧倒するような時代が到来したら、「国際社会の常識」は中国やロシアが決めるということです。


長々と述べましたが、本書「日本人の誇り」は、「初心者」の一般の人たちにも是非とも読んでもらいたい必読の書であると言えます。

ちなみに、ここで言う「初心者」というのは、戦後日教組教育に毒され、自虐史観を抱き続けるニホン人のことを言います。もちろん、彼らが完全に利己的個人主義者と化し、金儲けに何の役にも立たない歴史観に何の興味を持たないならば救いようがないですけどね。

また、既に戦後日教組教育の洗脳から脱した皆さんからしてみれば、それほど多くの新しい知識を選べる本ではありませんし、僕自身もそうでした。

ただ、前々から言っていますが、「初心者」に薦められる本を見つけるのも、僕の楽しみの一つで、本書で綴られる近代史観も大部分において賛同できて、お薦めしたい本です。