日本とは何ぞや? Part.1 ~日本文明、そして天皇と日中関係~ | My Aim Is True

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先日、ハーヴァード大学教授のサミュエル・ハンチントンが亡くなった。彼は著書「文明の衝突」の中で、世界は大きく分けて6つ、もしくは7つに分けられるとした。

西洋キリスト教文明、イスラム文明、中華文明などに並んで、日本文明を挙げた。

他の文明圏と比べ、日本文明はたった一国で形成しているという特異の文明である。

「日本の常識は世界の非常識」だとか「そんな事、言っているのは日本人だけ」なんて声も聞かれるが、それは日本がたった一国で大文明を形成しているのだから仕方がない、というより、誇るべきことであるようにも思う。

ヨーロッパの世界地図を見ればわかるように、日本は地図の一番右端(一番東)に記される。アメリカ大陸も発見されておらず、もちろん、太平洋を航海するなんてことは全く頭になかったのだから、彼らから見たら、まさにそこが「極東」である。


ハンチントン:「一部の学者は日本の文化と中国の文化を『極東文明』という見出しで一括りにしているが、ほとんどの学者はそうはせず、日本を固有の文明と認識し、中国文明から派生し、西暦100~400年の時期に現れたと見ている」


東アジアには巨大な中華文明が存在し続けた。もちろん、南北朝鮮やベトナムなどは中華文明圏に組み込まれているが、何故、日本だけがそこから脱却し、独自の大文明を発展させることができたのだろうか?

周りを海に囲まれるという自然要塞が当時にとって大きかったことは確かだが、それだけではない。

言うまでもなく、日本文明の核となっている天皇の存在である。


古代から、アジア世界に君臨したのは、「中国」の皇帝であり、自らを天命を受けた「天子」と称した。近世までのヨーロッパにおけるローマ教皇に似たような権威的存在といってもいい。アジア各国はアジアの権力者、かつ権威者である「中国」皇帝に貢物を贈って臣下の礼をとり(朝貢)、皇帝に「お前を○○国の国王と任ずる」と各国で権力者になるための権威付けをしてもらった(冊封)。

日本も古代はそうしていた。所謂、「倭王」の称号である。もちろん、単に貿易・経済的メリットのために形だけの朝貢かもしれないが、していたことは確かだ。

朝鮮は、日清戦争(1894年)で日本が「中国」(清)に勝ち、下関条約で日本が朝鮮の独立を「中国」に認めさせるまで、1000年以上に渡って、この朝貢冊封(ちょうこうさくほう)体制に入っていた(つまり、「中国」の属国だった)。むしろ、朝鮮はそれを誇りにしていたかのようであった。それ故、「中華圏に入っていない」=「野蛮国・日本」という強烈な差別意識を持ち続けていたが、それが近代に完全に逆転されてしまったために、彼ら特有の捻じ曲がったコンプレックスへと変わっていった。

日本は「中国」の属国であり続けるのは嫌だった。

そこで、少なくとも記録として最初に残る「中華圏」脱却宣言が、聖徳太子が遣隋使・小野妹子に持たせたという、あの有名な国書である。


日出ずる国の天子より、日没する国の天子に書を致す。恙なきや

=日が昇る東の国の天子(天皇)より、日が沈む西の国の天子(中華皇帝)に国書を渡す。元気ですか?


この国書を見た隋の皇帝・煬帝は激怒した。中華思想からして当然である。天下(世界)を治めているのは天命を受けた唯一人の天子(中国皇帝)である。対等外交なんてものはありえない。あくまでも他国は天子に朝貢し、天子が冊封してやるものなのだ。近代に入っても、その中華思想は強烈で、大英帝国が貿易を申し入れると、「よろしい」として、当時既に「7つの海を支配する」と言われていた大英帝国を属国にした(気分になっていた)。

しかも、この時の日本は「対等外交」を求めるどころか、自らの統治者(天皇)を中国皇帝にしか許されない「天子」と称しているのだから、とても許されるものではない。

ちっぽけな島国のくせに生意気な奴だ!

普通なら問答無用の朝伐を受けるところであるが、当時の隋は出来なかった。

すぐ北の強国・高句麗と戦争中で、しかも大苦戦している。

まさに絶好のタイミングでの外交戦略である。


それに比べ、昨今の日本の外交はどうか?

1989年、中国で天安門事件が起こり、国際社会から激しい非難を浴びると共に経済制裁を受けた。当時の日本の与党・自民党の中枢にいたのは、「売国奴」「媚中派」の加藤紘一&河野洋平であった。「日中友好」という美名の下、日本(外交)は世界各国に中国に対する経済制裁を解くよう要請して廻った。

そして、ついに、何と天皇を訪中させてしまったのだ!!

所謂「倭の五王」時代以来、およそ1500年ぶりの「天皇訪中」である。

「日中友好」?

中国は中華思想の国である。今もDNAに刻み込まれている。

「倭王が自ら、1500年ぶりに朝貢に来た」と捉えたことは想像に難くない。

それ以後、経済制裁が緩やかになった中国は順調に経済発展を遂げるが、それと共に、反日・侮日教育と侮日外交を推し進めた。それに追随するのは南北朝鮮であり、強力に後押しするのは朝日新聞ら日本の左翼勢力である。


それに終止符を打ったのが小泉純一郎である。

「いかなる非難があろうとも、私は8月15日終戦の日に靖国参拝を行う」と公約した。

ところが、1年目に加藤紘一の助言を受け入れ8月13日に参拝してしまったのが、迷走の始まりだった。これが中国への悪いメッセージに繋がった。つまり、小泉は中国をビビッている、と。小泉はその後、ずっと後悔し続けたそうである。

もちろん、国内では朝日新聞ら左翼メディアの猛バッシングである。中国の抗議がある前から「中国の抗議必至!」と煽りたて、“中国様、早く抗議してください”とお膳立てした後、中国が抗議すると、「中国との友好関係が悪化!!!!」と煽り立てた。

全く関係のない韓国まで、金魚の糞のように靖国参拝に抗議し始めた。

小泉は日取りを変え、手法を変えながらも、一応、任期中は毎年1回は靖国参拝した。もちろん、朝日新聞など左翼メディアから猛バッシングである(最後まで支持し続けたのは産経新聞だけ)。

そして、最後に、8月15日に参拝し、任期を終えた。

小泉:「どんな日に、どんな手法でやっても非難されるんだから、いつ参拝しても同じだ」

靖国参拝を繰り返した小泉政権時代、メディアは「政冷経熱」と称した日中関係、つまり、外交的には悪化しているが、経済的・民間的には良好だ、と。

小泉は「靖国参拝すると中国との経済関係も悪くなる!」とメディアから批判され、「政治と経済は別問題」と言い返すと更に批判されたが、小泉政権時代、中国との経済的関係は発展し続けた。

政冷経熱。

日本人は、有史以来、様々な中国文化を受け入れたため、中国とはずっと良好な関係を築いてきたと思っている人が多い。

僕の親父も「中国との関係が悪化したのはこの100年くらいだけ」という浅はかな史観を持っていた。

言うまでもない。

日中関係は聖徳太子以来、ずっと「政冷経熱」だった。

中国にとって日本はずっと「ちっぽけな島国のくせに生意気な奴だ。いつかは版図に加えてみせる」という存在であり続けた。

日本は近年になるまで絶対にそれに屈しなかった。

加藤紘一らが天皇を訪中させて以降、中国は日本を属国扱いしたが、小泉の靖国参拝でそれに抗議した。

中国はビビッた。中国がそれに抗議するたびに、朝日新聞らに影響を受けていない日本人の対中感情は悪化し、対中投資は減り、中国への観光客も減少した。このままでは経済発展が止まってしまう。そうなれば、国内で国家転覆規模の暴動が起こってしまう。

ただ、何よりもメンツを重んじる中国だけに、一旦抗議した以上、小泉政権時だけは戦略を切り替えることが出来なかったが、小泉が政権から離れると、待ってましたとばかりに日中友好「戦略」に切り替え、現在に至っている。


たった一国で世界七大文明の一つ「日本文明」を形成する日本。

それを守り続ける気概が必要ではないか?


づく。