「協生農法は自然農法と似ている
それで生産量が増すとも思えない
業としてやって行けるのか・・」
これらが最も多い疑問質問だ。
見た目は似たようなものでも基点も手法も異なる。
自然農法に分類されるのなら協生農法とは名付けない。
古来よりある混生農業、1970年代に思想的研究の中から生まれた森林農業とも言うアグロフォレストリー、同じく1970年代に生まれたパーマカルチャーも理念思想にとどまり具体理論は構築されていない。
どれもアグリカルチャー(農業)と言う言葉を組み合わせた用語だが、近代農法のように業として成り立たせる具体的な道理がなく、近代農法以上の成果も出せない。
理想概念ではあるが業として広まらないのはそれが理由だ。
その近代農法もまた業として成り立たなくなりつつあり、農地の荒廃が急激に進んでいる。
自然界を見ればわかるように、植物は人が関与せず
放っておいても自力で育つ。
植物生産が成り立たないのは手法を間違えたからに他ならない。 さらに・・
人間同様に様々な病や障害災害を引き起こしている。
この結果を招いた根本的な理由は、自然界の仕組み、植物の仕組み、表土の仕組みがいまだ解明されていないからであり、世界にはそのような学問も書籍もない。
学ぶ基盤がないのだから思いが先行、迷路に入ってしまう。
基盤とは自然界の物理であり、自然界はすべてこの法則で成り立っている。
数学も物理もすべて自然界の法則から誕生したもの。
現実に起こることはすべて理由がはっきりした物理なのだ。
連作障害の理由がわからないから転作する。
そこにも間違いに気付くヒントがある。
自然界では発生しないものが何故人が作った畑で起こるのか。
原因もわからず対策に向かうのが前向き思考なのか。
病も同じだが、それが人知と言えるのか。
進化ではなく思考の退化ではないのか・・
表土と植物と動物を相手にするのは物理学の原点、基本と言える。
農学、生物学、植物学、生態学など、いくら言葉で定義付けしようが内容は物理に変わりないのだ。
物理的な視点と道理で理論を構築出来るのは物理学者しかいない。
このような事態を招いたのは物理学が介入しなかったのが原因だが、介入出来なかった理由は、見えない「生命」とは何かがわからないからであり、現学問の分野があまりにも専門的だからだ。
機械工学はそのほうが理想的だが生命はそうではなく、工業的な人間の道理を持ち込むべきではない。
大地は工場であり農産物は製品、それが世界の現状であり、「大地の産物、自然界の恵み」とは程遠い。
続く・・
科学物理界の現状と境界線1
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科学物理界の現状と境界線2 全6編