体臭口臭と病の思考順路はやや異なる。
体臭口臭は自然界と比較して、「必要な事」がないので「余計な事」に絞り、洗剤や歯磨き粉に行き着き、口内の歯磨き粉が消化器系全体に及ぼす道理を導いた。
その他星の数ほどある病は個々に絞って考えても皆目見当もつかないようだ。
原因は専門学者の範疇にはなく、はるか足元にあるからであり、それを突きとめるには底辺の広い立体的な思考で歴史を遡るしかない。
嗅覚本能の優れた野生動物は余計なものである毒物など滅多に食べないが、食べれば下痢や病に倒れるだろう。
破傷風や抵抗力のないウィルスにやられることもある。
自ら墓穴を掘る「余計な事」は、たまに間違って毒物を食べることくらいで他は見当たらない。
「必要な事」は考えるまでもなく、昆虫から哺乳類まで生まれながらやっている。
何も考えないが・・人間のような多彩な病に悩まされてはいない。
考えた挙句、難病に悩む人間と、まったく考えず健康で悩まない動物、解決のカギはここにある。
この道理で思考を進めれば、考えられることは一つしかない。
数えきれないほどの心身の病状に、冷え性など軽度の不調も入れるとほぼ全員が病人か予備軍。
あれが体に悪い、これが良くない、これが体に良い・・そのような説は山ほど氾濫、世界中でそれを実行しているがさっぱり結果は出ない。
それでも相変わらず人は何十年間も悪玉探しに精を出し、体に良いものばかり求めている。
何が良いか悪いかではなく、生き物にとって絶対に必要なものは何か、それが欠けているのだ。
それを、何も考えない彼らから学べば良い。
生き物に必要なものは順に、空気、水、食べ物であり、選べるものは主に食べ物。
人間の言う「必要」な食べ物は数えきれないが、結果が出なければすべて不十分。
○か×しかない物理数学で言うなら間違っているということになる。
そのように考えるのが道理だと思うが、その方向へは行かない。
不十分とはどのようなことなのか。
まだまだ足りないと言うことではない。
どれも食べ物としての本質を持たず、心身の維持も不十分と言うことなのだ。
これらのことも同じ思考順路で何年もかかって答えを出したものだ。
今回は出来るだけわかりやすくまとめたに過ぎないが言葉足らずもあるだろう。
いまだ解明されない生命の仕組みは複雑なもの、しかし仕組みの理解なくして答えは出せない。
それらはこれまで実験も含めて幾度も書き続けている。
医学書、健康書、栄養学書などの類は読んだことはなく、理論の参考文献もない。
それらが間違っていないのなら悲惨な病の現状はなく、野人がこうして書くこともなかっただろう。
協生理論から導き出した生命の道理と考えていただければよい。
続く・・
2008年 11月
思考の盲点 下を向いて歩こう
http://ameblo.jp/muu8/entry-10161828446.html
2008年 12月
常識は非常識から生まれる
http://ameblo.jp/muu8/entry-10176504216.html
野菜が食べられない奈良の鹿1
http://ameblo.jp/muu8/entry-11402575263.html
野菜が食べられない奈良の鹿2
http://ameblo.jp/muu8/entry-11403550532.html
ここからのタイトルは体臭口臭が外れて、「病の理由 思考の順路」になる。
余計な事をしたことが原因の体臭口臭に対して、必要な事をしなかったことが原因の病に絞って思考を展開。
「思考の順路」シリーズに変りはないが、テーマは「食の本質と健康Ⅱ」へ移行。
開始当初は体臭、口臭、病・・と3編で終わるつもりだったが、わかりやすく書こうとすればどうしても長くなってしまう。
予定の3倍になりそうなので一旦小休止。
GWに突入した上に脳ミソもくたびれて来た。
続きはいつになるかはわからない。
単純で濃厚民族なまとめ方をするから待っていなさいね。